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随分ご立派に、、、

  • 随分ご立派に、、、
まいづるの相撲大会が先週行われたのですが、そのときにぐるっとみてきました。
上杉、松岬両神社は随分改修工事が盛んに行われているようです。

この写真は水屋ですが、眩いばかりの銅葺きの屋根です。
伊東忠太先生がお造りになったときの写真では瓦葺だったのですが、いつの頃からか銅葺きになったようです。こんなに綺麗なのにどういう風にして緑青色に変わるのでしょうか。

他にも稽照殿と松岬神社の神殿の改修が現在進行中です。

2010.10.21:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

店番はかみさんに任せて、、、

  • 店番はかみさんに任せて、、、
宮城県村田町の陶器市に行ってきました。
新婚当時仙台に遊びに行く途中、蔵王PAでポスターを見たのがきっかけで行ったのが始まりです。そのときはまだ確か第2回だったと思います。
で、今年は第10回ということで、昔とはくらべものにならないくらい規模も大きくなり、町の人たちもここは一つ頑張って稼ごうという感じが出店に現れています。

陶器の出店も一通り見たので、お昼を何にしようか随分迷ったのですが、なんと彦麻呂そのままの「宝石箱」というお弁当を見つけました。
魚よし 小石川という店のものなのですが、内容がすごい!
見ての通りなのですが、真ん中に蒸し海老の握り2貫、上からばらちらし(えび、白身、蛸、海老っ子、卵焼きほか、これの単品もあり一番人気らしい)、右にいって貝飯(帆立、牡蠣、ホッキなど)、下にいってはらこめし(鮭、いくら)、そしてねぎとろとすごいボリウムですが、美味しいので軽くいけます。これで840円はお買い得だと思います。

車だったので飲めませんでしたが、町の中心部に乾坤一大沼酒蔵店が振る舞い酒をやっています。
若主人と美人若女将(だとおもう)がなかなかいい感じでやっています。
会期は残すは本日16日明日17日の朝10時から、是非行ってみて下さい。

東北自動車道村田SA下車3分、臨時駐車場無料
2010.10.16:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

○○のチベット。

  • ○○のチベット。
というと物議をかもすことがありますが、東京の中でも都電が廃止されてからバスでしか行けないところは、そんな風にいわれる場所も少なからずありました。
廃止しては見たものの、実際は便利だったんでしょう、都電という乗り物が。

今から20数年前、三ノ橋というところにお客様があり、時々お邪魔していました。
現在では南北線という地下鉄が通っているのでそれほど行きにくい場所ではなくなりましたが、六本木の交差点からバスに乗り飯倉片町を右折、一ノ橋、二ノ橋、仙台坂と過ぎていき三ノ橋に着きます。山手線の中とはいえ、また白金などの高級住宅地に近いのですが、行くのは億劫な場所でした。

お客様は日本生命のビルのテナントでしたが、細かいことは忘れてしまいました。
そのビルは少し道路から引っ込んだところに建っていて、その入り口にちょっとクラブハウス風の外から中がよく見える小体なカフェがありました。
見るでもなく目をやると、初老の姿のいい紳士が若い女性と話しているのが見えました。
髪はきっちり整えられ、細いフレームの少し色の付いた眼鏡、ジャケットを羽織り首にはスカーフを巻いています。

すぐに池部良とわかりました。
時代が違うので「青い山脈」とか「昭和残侠伝」などを見たことはついぞありませんでしたが、この人しかいないだろうという存在感で佇んでいたのを憶えています。
齢七十を過ぎても美貌という言葉が通用する人も珍しいと思いました。

謹んでご冥福をお祈りします。

丁度同じ頃、確か都立大の駅前の眼鏡屋で上原謙に遭遇したり、赤坂見附の弁慶橋のたもとでプリンスホテルの方に目をやっていたフジテレビの山川千秋(その後半年もせず亡くなられたと思います。)を見かけたり、あの頃の私は、昭和と平成の狭間の帝都を随分動き回っていました。

2010.10.14:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

♪明治13秋のころ~

  • ♪明治13秋のころ~
米沢市の中心に位置する興譲小学校は9月に130周年を迎えました。
創立記念式の曲というのがあるらしく、題名のフレーズで始まる歌らしいです。

それに関わる記念展示が行われているというのが回覧板で回ってきたので、先週の火曜日見に行ってきました。
さすが伝統校、ありますあります、宝物が。

まず立派な屏風に天皇陛下或いは東宮殿下がいらっしゃった時に座る玉座のような椅子がでんと控えています。
実際使われたことはないらしいのですが、こういうものを用意しているということが凄いです。
あと狩野文信による明治天皇が行啓されたときに、生徒代表の宇佐美慎平君が陛下の前で朗読している図というのがあります。

この方はその後名前を宇佐美勝男と替え、帝国大学法科大学卒業後、高等文官試験合格。内務省参事官などを経て、1908年に富山県知事に就任。その後、韓国政府内務次官、朝鮮総督府内務部長官などを経て、1921年に東京府知事に就任。1925年、東京府知事を退任。1933年、満州国国務顧問に就任した方です。

世の中にはこれほどずっと順当にいく人もあるのかと思う経歴です。
息子に三菱銀行頭取・日本銀行総裁を歴任した洵、宮内庁長官を務めた毅がおり、兄が米沢市長の駿太郎です。まあそういう家系なのです。

息子に昔君と同じ名前の人が、米沢の市長をしていたんだよと言ったら
「前にパパに聴いたよ、うさぎしゅんたろうだよね。」と言っていました。

2010.10.11:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

出張の途中に、、、

  • 出張の途中に、、、
なぜか足尾駅に立ち寄りました。
よくこの状態でそのまま残っていたものですねぇー。
しかも現役なのですよ。

今まで何度か足尾は通ったんです。いつもバイパスを急いで走っていたのですが、今日は少し心に余裕があったのかもしれません。
街中を通ってみました。

この町では明治28年から大正時代まで、この写真の旧国鉄足尾線(=現在のわたらせ渓谷鉄道)以外に、馬車鉄道があり、その後ガソリン機関車で輸送をしていたそうです。

町の中は昭和時代に戻ったようなラビリンスです。
2010.09.02:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]