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皇太神社祭礼

  • 皇太神社祭礼
米沢の皇太神社といえば、東町、大町、立町と三社ありますが、最も賑わうのは立町ではないでしょうか。
子供のころには御神明様(おしめさま)のお祭りと言っていました。

昨日は七年ぶりに大神輿が宮出しされて、大いに賑わいました。
興譲小学校のテリトリーなので、息子も多くの先輩諸氏とそっけない挨拶を交わしていました。
17日は免許町大日堂、東寺町下観音堂と祭礼が続きます。
2011.07.16:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

ここにおわすは、、、

  • ここにおわすは、、、
覗いてみると、聖徳太子の像がチラリと見えます。残念ながらお顔は拝見できません。
ここは地番匠町の太子堂です。大工様の神様というか仏様なのでここにお祭りしてあるわけです。
東京にも世田谷に太子堂があります。この辺では白石の駅の近くに立派な太子堂があったと思います。

春頃から毎日ここにお参りするようになりました。ほぼ日参というわけです。
たまたまここを通らないとき時は、川井小路の観音様、お不動様、大沼前の熊野様(おくまんさま、って言ってますね。)、大町中の皇太神社(御神明様=おしめさま、っていってますね。)などやたらにお参りしています。
何でもいいのですが、旧一万円札には叶いません。

ここはいつも境内というのでしょうか、小体ながらお掃除が行き届いております。
お堂も大工様が丁寧に拵えたなあ、というのが伝わってくる造りです。
この写真は息子が賽銭を放り込んでいるところ。カブト虫を使って取ってるわけではありません、念のため。
2011.07.14:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

一花院跡を訪ねる。

  • 一花院跡を訪ねる。
西蓮寺の隣にある一花院は幕末の頃廃寺となったが、虚空蔵菩薩堂が残っています。
今年400年忌を迎えた前田慶次の墓があったところとしても有名ですが、何も残ってないということになっています。
つい140年ぐらい前のことが、判らなくなってしまうところが不思議と言えば不思議で幕末の時代、慶次はどのように思われていたのでしょうか。
堂森に埋まったという話もあるようですが、その辺はどうなのでしょうか。

何か見つかったらいいのになぁと、思います。
隣の寺にはすごく荒れている昔の墓が大量にあるのですが。
2011.07.13:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

墓掃除は暑い日に、、、

  • 墓掃除は暑い日に、、、
なってしまいますな。
この間ある店に買い物にいったらばまだ空いてなかっので、その時間を利用して近くなのでうちの墓参りをしました。
そうしたら、結構汚れていたので今日掃除をすることにしたのです。
本当はお盆近くでいいのでしょうが、忙しくなることが予定されているので取りあえず第一回目です。
細かいところは近くなったらやりましょう。

墓を洗っていたら、タクシーから降り立ったこの辺の方ではなさそうな御婦人、御住職がいらっしゃらないみたいなのですが、柿崎家のお墓はどこでしょうとのお尋ねでした。
玄関先にお墓の地図が貼ってあるので、お教えしました。
西蓮寺初代は柿崎家から出た方らしく、すぐに墓は見つかりました。

大層暑い『ひんのまえ』=昼の前?でした。
2011.07.12:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]

こ、これは、、、

  • こ、これは、、、
なんと懐かしい、外便所ですね。
なんといっても屋根の下のところにブリキの肥汲柄杓が渡してあります。
本当に今ではなかなか見ることのできないものですね。

以前私のオヤジの実家にはこれがあり、ここでするのは怖かったです。
最近東3丁目に一つ見つけました。

これはこれで、絶滅危惧種といえましょう。
2011.06.01:mameichi:コメント(0):[そこいら辺を歩く]