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今日の八重桜。

  • 今日の八重桜。
家族みんなが休みのため、会津若松までドライブしました。

久々に鶴ヶ城に登りました。展示物が四十年振りに変更になったとのことで、ぐるっと回って天守閣に上がりました。お城の規模が米沢とは段違い、それはどこの城に行っても感じるのですが。

前回ここに来たのは、サリン事件の頃です。ある百貨店の部長連中がそろそろ何かありそうだということで、身の危険を感じて東京を脱出、山形会津出張にいらっしゃいました。

あれから14年も経ってしまいました。お城の中はかなりきれいに改築されていましたが、そとは少し時代がかって来ていました。
2009.05.05:mameichi:コメント(0):[動植物奇想天外]

白い花は、

  • 白い花は、
さくらんぼの花です。最近ミツバチが減っているという話を聞きますが、さくらんぼの場合はマメコバチというのが受粉作業をしてくれると聞いています。
非常にきれいなものです。近所のお宅の木です。

2009.04.26:mameichi:コメント(0):[動植物奇想天外]

やっぱり猫が好き?

  • やっぱり猫が好き?
社会人になって、短い期間に引っ越しを2回して三鷹のかなり古いアパートに越した時のことです。
駅前の不動産屋のおばさんにすすめられ、自転車を借りておばさんと三鷹の町を走り回り物件をあたりました。その時多摩川上水沿いのボロい二階建ての二階の真ん中があいており、「このアパートが建った時は、あちこちから見学に来たものよ。」(あんたはいつから不動産屋やってるの?)みたいな感じでしたが、そこに決めました。
部屋は台所2帖(板の間)、畳8帖だったでしょうか。もちろん風呂はありません。近くの銭湯に行くわけですが、あのころはバブルの真っ最中で、遊ぶのに忙しく、なかなか風呂に行けません。よく会社の同僚で風呂付の人のアパートで、シャワーを借りたりしていました。

そのアパートの特徴は何といってもベランダというか、物干し場というかがいきなり広いのです。畳にして3帖ぐらいはあったと思います。そこに毎日猫が遊びにきて日向ぼっこをしています。ちょっとパンの切れ端などをやったりすると情も倭寇というものです。
まだそのころは、一部土曜が半ドンだったので、14時頃帰ってきて早風呂に行き、16時頃からエルモア・ジェームスのギターなぞ聞きながら、ビール片手に猫と戯れ、武蔵野の野部を半眼で遠目に見ていたことを思い出します。

写真は最近仕入れた、踊る猫たちでございます。
2009.03.26:mameichi:コメント(0):[動植物奇想天外]

梅は咲いたか、桜はまだかいな。

  • 梅は咲いたか、桜はまだかいな。
所用で群馬に行ってまいりました。関東は花粉がすごいことになっております。
最近少しのどがかゆいのですが、久々に目から涙が出てきました。

高崎のちょっとした田舎の方ですが、梅がいっぱい咲いていて梅の産地ということが分かります。

そういえばイギリスの旅行作家、イザベラ・バードが明治初年に新潟から置賜地方に入ったとき、ここを東洋のアルカディア=桃源郷とたとえたという話は、この辺(置賜)では少し有名です。実は置賜は桃や梅、杏、無花果、栗、胡桃など果実の産地だったのです。いつの間にか果樹は舘山周辺と高畠の洋梨、赤湯のぶどう、桜桃などがありますが、もっと多くの果実が作られていたようです。

米沢も明治時代はさくらんぼの産地であり、今回出した絵葉書にも立派な農園の写真があります。今米沢のさくらんぼは舘山のほかに関根の中島、東江股などに若干点在しています。
これくらい雪が少ないと果実の玉の張りが気になる今年です。
2009.03.17:mameichi:コメント(0):[動植物奇想天外]

トキと場合による。

  • トキと場合による。
いつもの場所で吾妻を撮ろうとしたら、カラスがひなたぼっこをしていて、近づいたら飛び立とうとした瞬間の写真です。

トキの自然放鳥が始まってから一羽が亡くなりました。まあ想定されたことでしょうが.
餌をまきたい気持ちも分かりますが、国はその辺はかたくなに拒んでいる様子です。
国と県、市の考えが違うのは目的が違うから仕方ないことかもしれませんね。
豊岡のコウノトリはそのようなことはあまり聞こえてきません。実際はいろいろあるのでしょうが。

絶滅したのはいろいろ理由があって絶滅するのだと思います。
たとえ人間に原因があったとしても、勝手に人間が他の場所から連れてきて、生育させてそれを自然に返すのはいかがなものかなあ、と思います。

朝鮮、ロシアのトキも絶滅です。そういう国でも中国から借りてきて繁殖させて自然に帰すなどということを考える方があるのでしょうか。
失われた風景を鉄道模型のジオラマで作る作業と同様の感じがするのは私だけでしょうか。

もしも佐渡で放鳥したトキがすべて地元(中国)に渡っていったら、どうするのでしょう。日本に連れ戻すのでしょうか。飛行機で。
故郷を目指すDNAはあるのでしょうか。その昔一部は渡りもしていたらしいのです。鳥自身の意思はどこまで尊重されるのでしょうか。

トキとカラスとの戦闘状況を写した写真がありましたが、トキがいっぱいいたときよりも、カラスは強くなっているのでしょうか。
江戸時代、空が朱鷺色に染まるといわれたぐらいなのですから、もっといっぱいじゃないと生きられないのかなぁ。

映像を見るたび、何故かこの仕事には大いなる疑問を感じます。多分結構な予算が掛っているはずです。

トキには元気で大空を飛んで欲しいのですが。

2009.01.26:mameichi:コメント(0):[動植物奇想天外]