赤浜の草木塔

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米沢スキー場のシーズン券、申し込み行った9月19日のついでに、スキー場、入り口から13号を栗子方面に向かってすぐ右に入る小さな道がある、下り道で、すぐに小さな集落がありました、軽トラが停まって、なんか作業してる人がおられてましたが、住んでる人がいるのでしょうか?民家数軒あり、萱吹きの古民家も残ってました、その先にすぐに車は行き止まり、左に山の神様神社があり境内に草木塔説明看板がありすぐわかりました、赤浜の草木塔、江戸後期の天保12年(1841)9月吉日、安山岩の自然石、高さ79㎝とあります、米沢市の指定年2012年3月29日有形民俗文化財になっている、ここのは”山神 惣木供養塔”と草ではなく惣の字が用いられている、珍しいですが、理由は何でしょうかね、ここから市内に向かって数㎞下、苅安にあるのが弘化2年(1845)同じ山の神神社にある。その昔、木が主な燃料の時代、山仕事の技は、春先の雪解け水の中に飛び込んで、かなりの寒さと危険を伴う重労働、石炭、石油に変わる前は、木流しという山仕事があり、昭和の初期まで続いている、沢山の人が力を合わせ、頭(かしら)の采配により働く、共同作業です、ちょっとしたミスも、なまけも許されない危険な仕事、集団の結束を高める講や、技術伝搬の交流を深める泊りもあったと言う、危険な作業ゆえに山の神様に祈り、そして作業に当たる、そんな草木供養信仰がこの置賜地域に育ち、伝搬したと言うのがわかります。

2022.09.24:li-no2:[歴史探訪]

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