キリシタン生き埋めの地(白鷹町)

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昨日は休みで白鷹町荒砥駅からレンタサイクルでサイクリング、涼しくなって風が心地よかった、駅出て朝日町、寒河江市にむかう国道287号線にはいり、最上川の難所であった黒滝跡を過ぎて黒滝橋から左手に深山のどか村に向かう途中、キリシタン生埋の地と言う看板がめに入ります、高岡の上ノ台にある。寛永年間(1624~1647)、鮎貝城主が春日氏の時、切支丹宣教師が山形に来て布教、約3000人に洗礼を授けたといい、高岡は特に盛んになったという。切支丹屋敷が出来たほどであったともいわれている。幕府の取締りが厳しくなった時、様々な説得をしてもそれでも受け入れない信者を生埋にし、後に供養として地蔵堂を建立した所という。すごい話ですよね、前にあった説明看板には、実際には殺さず、見逃して地蔵堂を建て偽装したと言い伝えがあり、「生き地蔵」と呼ばれている、と記載ありましたが、今たってる看板にはその部分が削除されてるのはなぜだろうか?
2019.08.28:li-no2:[歴史探訪]

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