昨日は休み、久しぶりに中津川そば師匠別荘でそば打ち練習、今年末はそば検定2段に挑戦、師匠は3段の検定に向けて来月から師匠宅で月2回ほど練習します、千葉から移住した農家さんもよんで打ったそばでランチ、昨日は自宅で採れたレタスにキュウリ、朝作ったラズベリージャムつてけサラダ、千葉やんからは蕨おひたしに生ニンニクのボイル、わさびは師匠宅のワサビ2種すりおろしてそばを食います、師匠は海の友人がいるのでよく海のものが届きます山のものと物々交換で送られてきたカニも参加してのランチで満腹です、帰りはすこし中津川を散歩・・周りの緑がまぶしい中津川・・
ETS-ⅢからETS-Ⅵ(IES)へ(その1)
1980年昭和55年3月結婚式の前日はつくば電総研でETS-Ⅲイオンエンジンのサブシステム試験最終日だったような記憶があります、システムサブ取りまとめの”ねこ”さん、電源装置側サブ担当のKさん電源担当のOさん、制御器担当のKさん式に出てもらう上司先輩などみないた記憶があります、式がおわり結婚休暇を普通は1週間くらい取るのでしょうが、その翌日から次の試験をする仕事してたと記憶してます・・電総研から東芝小向の宇宙棟へサブ試験が終了し衛星システムへ引き渡しすると間もなく、システム試験は待ったなしではじまりましたイオンエンジン装置は衛星試験でビーム噴射というわけにはいかないため熱真空ではダミー用エンジンを制作していて外部からダミーエンジンを発熱させる治具設計しながら衛星試験を進める日々、衛星EMCではエンジンだけ特別の樹脂でできた真空チャンバーに入れて試験、ステンの容器に手で液体窒素をすくいチャンバーにまたがりエンジン部のシュラウドにシステムネコさんと窒素を供給するなど今では考えられない危険なことしてましたね、なつかしいです・衛星試験は長男が生まれた1981年24歳の時です、翌1982年には種子島衛星試験棟に運ばれイオンエンジンサブの輸送後初期機能確認のため初めて種子島に出張となりました、ETS-Ⅲは1982年秋に打ち上げられイオンエンジン動作試験など終了して1985年燃料枯渇で寿命をまっとうして運用終了してます、ETS-Ⅲのあと1986年か1987年?ころから国産で2トンクラスの衛星の南北軌道制御として20mNイオンエンジンの開発が始まり電源の基礎研究に部分試作の仕事が始まり、ETS-Ⅲで電源装置開発の担当Oさんは主任となりその指導下でETS-Ⅲは地上支援装置側の担当でしたがETS-Ⅲ以降電源装置の担当になりました当時2トン衛星の南北制御はイオンエンジンかヒドラジン(現状ヒドラジンスラスタから機能アップした電熱式ヒドラジンスラスタ)かの競合で試作研究が進められ三菱、IHI,東芝で競合試作研究が始まりそのどちらにもかかわることができました・・つづく
MOS-1
ETS-Ⅲのイオンエンジン装置開発の後、初めて衛星搭載電源の設計担当となったのはNECが主契約で開発していた海洋観測衛星「もも1号」(MOS-1)のSADE(ソーラアレイドライブエレクトロニクス)という搭載機器の電源でしたSADEは東芝の担当機器で今でも親交のある大先輩Sさん担当機器で毎年所属している相模原市の油絵サークルの絵画展にも来てくれていて今年移住した古民家にも泊りに来てくれました。Sさんとはこの後2トンクラスの純国産衛星開発(ETS-Ⅵ)でも関わる大先輩となるのです・このころの衛星はまだ米国の購入機器が多く、衛星バスは28Vで機器電源は自励式のシンプル電源でした電源設計時期は長男が生まれた1981年頃・・MOS-1は、海洋現象の観測を主目的としたわが国初の地球観測衛星で可視近赤外放射計(MESSR)、可視熱赤外放射計(VTIR)、マイクロ波放射計(MSR)の3種類のセンサを搭載し、1987年(昭和62)2月の打ち上げでした(JAXA、HP参照)