ETS-ⅢからETS-Ⅵ(IES)へ(その1)

  • ETS-ⅢからETS-Ⅵ(IES)へ(その1)

1980年昭和55年3月結婚式の前日はつくば電総研でETS-Ⅲイオンエンジンのサブシステム試験最終日だったような記憶があります、システムサブ取りまとめの”ねこ”さん、電源装置側サブ担当のKさん電源担当のOさん、制御器担当のKさん式に出てもらう上司先輩などみないた記憶があります、式がおわり結婚休暇を普通は1週間くらい取るのでしょうが、その翌日から次の試験をする仕事してたと記憶してます・・電総研から東芝小向の宇宙棟へサブ試験が終了し衛星システムへ引き渡しすると間もなく、システム試験は待ったなしではじまりましたイオンエンジン装置は衛星試験でビーム噴射というわけにはいかないため熱真空ではダミー用エンジンを制作していて外部からダミーエンジンを発熱させる治具設計しながら衛星試験を進める日々、衛星EMCではエンジンだけ特別の樹脂でできた真空チャンバーに入れて試験、ステンの容器に手で液体窒素をすくいチャンバーにまたがりエンジン部のシュラウドにシステムネコさんと窒素を供給するなど今では考えられない危険なことしてましたね、なつかしいです・衛星試験は長男が生まれた1981年24歳の時です、翌1982年には種子島衛星試験棟に運ばれイオンエンジンサブの輸送後初期機能確認のため初めて種子島に出張となりました、ETS-Ⅲは1982年秋に打ち上げられイオンエンジン動作試験など終了して1985年燃料枯渇で寿命をまっとうして運用終了してます、ETS-Ⅲのあと1986年か1987年?ころから国産で2トンクラスの衛星の南北軌道制御として20mNイオンエンジンの開発が始まり電源の基礎研究に部分試作の仕事が始まり、ETS-Ⅲで電源装置開発の担当Oさんは主任となりその指導下でETS-Ⅲは地上支援装置側の担当でしたがETS-Ⅲ以降電源装置の担当になりました当時2トン衛星の南北制御はイオンエンジンかヒドラジン(現状ヒドラジンスラスタから機能アップした電熱式ヒドラジンスラスタ)かの競合で試作研究が進められ三菱、IHI,東芝で競合試作研究が始まりそのどちらにもかかわることができました・・つづく

 

2018.06.28:li-no:[過去の仕事]

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