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イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その17 中小松三日町

  • イザベラ・バードの通った道(山形県川西町編)その17 中小松三日町
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 横町を抜け左に折れると、中小松三日町通りとなります。この通りは三日に市があったところ・昭和を感じさせる写真、現在とはちがい萱屋根が続いてます。電柱だけ昔の位置のまま、古い建物はもう見えません。

 写真の一番奥、突き当たりのように見えますが、道がかくっとなっています。

 この角は新山神社入口=小松城の入り口になるところです。昔はもっとこの角の家は出っ張っていたそうですが道路拡張に伴いへこんだんだそうです。城の守りのためにある曲がり道であったことが伺えます。この角の家は亥子屋さんで現在(陽Cafe)ひなたかふぇと酒、肥料、農業資材等の販売をやっているお店。上杉時代は旅籠屋さんで古い版木に亥子屋六右衛門の名が商屋の名で残っているようです。田舎にUターンしてから、バードの通った道を写真撮りながら諏訪峠をスタートして散歩がてら歩いて小松を抜けるところまで行ってその帰り、歩きで2時間のコース、おなかが空く頃にちょうどこの店があり、話聞きながらスパゲティを食べました。店の雰囲気もよく、アイスもおいしいです。お勧めです。米粉のピザを販売しており、子供たち、孫連れてきたらきっと行くと思う。(現代人はピザが好き)
 そういえば、この店の横から入った小松城は新山神社があり新山中学がありました。私の母校になりますが今はありません。町の中学は現在1校のみしかありません。しかもピーク時の1学年にも満たないそうです。非常にかなしい。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その16

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 寛政二年二月(西暦1790年)創業の老舗菓子屋さん『錦屋』を直進(100m程度)し突き当りで左におれ(30m程度)すぐ右に折れます。そしてすぐ左に狭い道があり小さな堀の橋(この道、新山神社のある小松城に通じる道です)があり、渡って右に『小松座』という娯楽演芸場がありました。小学1,2年くらいまであったと思います。自分も映画を見た記憶があります。本町出身の直木賞作家の井上ひさしさんが少年期そこへ毎日通ったとされる演芸場です。井上作品のみを専門に上演する『こまつ座』がありますが、原点はここにあります。小松座の写真は『ここが地球の中心 井上ひさしと遅筆堂文庫』に載っていたで紹介、掲載されているこの本は町のフレンドリープラザで販売してますが、お勧めです。

 2枚目の写真手前右手にウコギの垣根があります。とげがあり垣根としてそして春の新芽はご飯に混ぜて食しり、おひたしでたべたりと、昔はどこにでも垣根としてあったものです。上杉鷹山時代奨励されたもの、いまも多く残っていればすばらしい景色になるのだが・・・

 手前左のブロック塀を左に行くと小松座があったところ、バードはこの道を信号機のところで左に折れて中小松の通りに進みます。お城の道、カク、カクとなっていていかにも旧道という感じがします。お堀も現在残っています。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その15

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 十印さんのある五日町から「両羽銀行」(現山形銀行)に入ると、通りは十日町になる、それぞれ市がたつ日が違っていた。当時どんな風景だったのでしょう?

 今はやりのまるしぇや朝市この通りで、同じように5日、10日とやるのも面白そうだけど。はじめの写真は突き当りがカギ十字となる山形銀行交差点で次の曲がり角になるところから撮影。突き当りは長崎屋さんで向こうから手前にバードは進みます。

 中間くらいのところに小松小学校の正門に通じる道があり、角にパン屋さんがあります。中学時代のクラブ帰り道、須藤というやつと、くずパン(コーヒーロールのはじ、ないときは食パンのみみ)かって食べました。コーヒーロールはクリームが残っていておいしいのです。当時おばあちゃんが店番してました、紙の袋か、新聞紙?にごそごそといっぱいつめて10円か20円だったと思います、今思うと、結構サービスしてくれたんでしょうね、コーヒーロールパン、今もパリドールサノ(山銀のある交差点にある)やヤマザワで販売してました。ダリアパンもむかしからあったが、おいしいです。

 写真手前のお茶屋さん、主人は父と同級生で娘さんが自分と同級生、主人は油絵が趣味で画風がすきでしたが、数年前に亡くなりました。川西で油彩を描くひとはほとんどいなくなったようで、寂しいです。お茶屋さんを過ぎて右側にまがりますと、寛政二年二月(西暦1790年)創業、お菓子一筋という錦屋さんがあります。

 『・店の損得より、お客様を第一に行動する・お店はお客様のために、工場はお店のためにある』とHPにあります。門前(等順寺)の菓子屋として創業し今に続いている理由がここにあります。赤いポスト、萱屋根もいい感じに手入れされてます。ここにもこだわりを感じます。バードも食べたかも?比較の古写真がまだ探せてないのですが、錦屋さんと寺は今も昔も同じだったでしょう。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その14

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 商人宿『かがや』を前に見て、左に『むずる』(ここら辺の方言”むずる”は曲がるの意味、都会に出て”むずれ”とか”むずって”と言って通じなかったのを思い出します。初めてこの言葉が全国区でないことに気がついたのでした。
 かがやの隣は老舗中の老舗『十印』さんがあります。十印は「塩羊羹=十印」と言われるほど、県内では有名な老舗菓子店、川西町の小松地区が置賜地域の経済の中心だった頃、塩問屋として栄え、その名残から「塩羊羹」が誕生してます、何時も錦屋さんとあわせ、帰省のたびにお土産にもらってました。この通りの写真が同じ丸太写真館さん寄贈、米坂線開通時の写真があります。大正15年です。突き当たりはちょうどバードが通った明治11年創立(第八十一国立銀行)となります。写真は大正なので「両羽銀行」になります、この銀行は、明治294月に山形市七日町466番地に創立されたました。
 創立当時の資本金は30万円、初代頭取は米沢士族の池田成章となってます。
 昭和404月に行名を「山形銀行」に改称し、今日に至っています。

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その13

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 西永十(坂の上)に宿泊したバードは小松で2泊している。

 この頃(明治11年1878年)小松は戸数513の宿場町『美しい場所にある小松につきました、人口3000、綿製品、絹酒の取引が盛んな町です・・・』とある。その半分の1500人が宿泊した家の前に押しかけたという。当時珍しい外人さんを見るのに集まった人人人でいっぱいであったのでしょう。

 この宿から先に100mほど進むと当時T字路になっていて右は米沢街道となり左が南陽市とか高畠町側に進む。現在はT字路ではなく十字路になっていて、直進すると川西町役場になる。このT字路のところの写真が丸太さんの寄贈写真にあったが、他の雑誌から撮ったもののようです。どの雑誌か私は分からないが、明治後期とあり商人宿『かがや』の看板が読み取れます。この隣は現在道路でその次の洋風建物は現在山形中央信用組合になります。奥側に真っ直ぐ進むと、原田家菩提寺、東陽寺があります。バードは、この写真からみて右側からきて、ここ手前側に向かって進みます。この時代、道路はアスファルトではないのに、道路はきれいだし、屋敷前の木もよく手入れされている。日本人の美的感覚がここにありという感じです。バードはこの地域をきれいな町、そしてアジアの桃源郷と絶賛しているのが古い写真をみてわかります。

 因みに、この場所は五日町と言って市の立った日が地名となっていて、市神様がここに祀られています。