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 西永十(坂の上)に宿泊したバードは小松で2泊している。

 この頃(明治11年1878年)小松は戸数513の宿場町『美しい場所にある小松につきました、人口3000、綿製品、絹酒の取引が盛んな町です・・・』とある。その半分の1500人が宿泊した家の前に押しかけたという。当時珍しい外人さんを見るのに集まった人人人でいっぱいであったのでしょう。

 この宿から先に100mほど進むと当時T字路になっていて右は米沢街道となり左が南陽市とか高畠町側に進む。現在はT字路ではなく十字路になっていて、直進すると川西町役場になる。このT字路のところの写真が丸太さんの寄贈写真にあったが、他の雑誌から撮ったもののようです。どの雑誌か私は分からないが、明治後期とあり商人宿『かがや』の看板が読み取れます。この隣は現在道路でその次の洋風建物は現在山形中央信用組合になります。奥側に真っ直ぐ進むと、原田家菩提寺、東陽寺があります。バードは、この写真からみて右側からきて、ここ手前側に向かって進みます。この時代、道路はアスファルトではないのに、道路はきれいだし、屋敷前の木もよく手入れされている。日本人の美的感覚がここにありという感じです。バードはこの地域をきれいな町、そしてアジアの桃源郷と絶賛しているのが古い写真をみてわかります。

 因みに、この場所は五日町と言って市の立った日が地名となっていて、市神様がここに祀られています。


2016.03.01:li-no:count(5):[メモ/イザベラバードの通った道]
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