獅子頭を頭にかぶって舞う伝統芸能 獅子舞は、日本各地の正月行事や晴れの日に舞われ、幸せを招くと共に厄病退治や悪魔払いされる、また獅子に頭をかまれると、その年は無病息災で元気で過ごせるという言い伝えがあります。獅子は氏神様となる神社毎にあり、例祭では各家々を廻りパコパコとやってもらってました、実家のある諏訪神社は『ほえど獅子』と言われ、ウォーと家の中になだれ込んで来る、それは、それは、こわーい獅子ということしか記憶にない、恐怖で青ざめていたと良く母が話してました、獅子舞は大自然の霊力を我々に授けてくれる不思議な芸能、スフィンクスに見られるようにライオンがモチーフ、日本列島には生息せず、アフリカ大陸やインド、紀元前にはヨーロッパにもいたようで、インドが獅子舞の起源といわれていますが、エジプトやペルシャ文明まで遡れるかもしれません。インドでは、古くより遊牧民がライオンを霊獣と崇め偶像化し、それが仮面舞踊となり中国~朝鮮半島へ渡り、7世紀のはじめに仏教の伎楽と一緒に獅子舞が日本に伝来されましたとあります。ミニミニ木工で獅子頭を作ってみた。手始めは白鷹町の鞍置八幡神社。
諏訪神社(その2)
諏訪神社の例祭 毎年8月26日は商宮律(しゃぎり)
屋台の押し車、全国でも形、形式はさまざま。川西町小松地区西、南、北区の三つの地区のしゃぎりが町中を練り歩く、町中は道幅が狭く旧道はクランクが多いので、屋台さばきも見もの、化粧をした小学男子が笛の音と共に太鼓を響かせていく、帰り太鼓はテンポよく奏でる『タンタカタンタンタン、おらどっこい』てな感じで帰っていく。小松地区と中小松は旧村がことなり中小松も虫送りや神送りと同じようにしゃぎりもあったが、今はない。車切とも書かれているが、検索してみると・・1 狂言の囃子(はやし)で、めでたく、にぎやかな気分を表す笛の節。2 民俗芸能で、風流(ふりゅう)の行列などが練っていく途中、笛・太鼓・鉦(かね)などで奏する囃子。3 (「砂切」とも書く)歌舞伎囃子の一。太鼓・大太鼓・能管で一幕(デジタル大辞泉参照)とある、
昔は子供の晴れ舞台で親も子も憧れであるが、兄弟が多くいるとその家だけやるのは出来ず兄弟のなかでひとりだけというのが普通でした、我が実家は男3兄弟で兄だけが上がりました。 しゃぎりの木工人形ためしに作成してみた、屋台はまだだが何れ挑戦してみるつもり・・。
諏訪神社(その3)
諏訪神社の例祭で毎年8月27日は豊年獅子踊りが奉納される、昭和の記録写真に小松青年学校前で戦後初の昭和21年の獅子踊り写真があったので掲載、今とは衣装がずいぶんと違うようです、まだ川西町となる前の小松町であり、星のようなマークは小松町の記号でしょうか、早乙女の顔も現在とはちがい見えるようになっている、そういえば子供の頃、女人禁止のお祭り、早乙女も男性でスネ毛が見えて気持悪いと思ってました、オマケに顔も出してるのだからなおさらですが、現在は顔隠してるからまだいいと思う、それと女性もOKになり良いですね。小松豊年獅子踊は、平安時代の初めに法輪のかどでこの地に流されてきた法相宗の高僧、徳一上人を慰めるために、この地の里人が踊ったのが始めと伝えられています。その後、江戸時代には豊作の年のみ踊ることが許されことから豊年獅子踊と呼ばれるようになり,8月27日は諏訪神社例祭で奉納されている、三匹獅子の躍動と牝獅子による火の輪くぐりが見どころ。
因みに青年学校とは、私の父母、昭和一桁生まれ世代のもの、昭和10年(1935)、実業補修学校・青年訓練所を統合し全国市町村に設置された学校。小学校卒業の勤労青年に職業教育・普通教育・軍事教育を行った。昭和14年、満12歳から19歳未満の男子は義務制となり、軍事教育が中心となったものでした、戦後昭和22年に廃止されてます。