笹野一刀彫り:歴史は1,200年以上も前に遡り、上杉鷹山が米沢の財政建て直しのために工芸品の製作を奨励してからその名が有名になったと言われています。 “鷹山”というお店、7代目にあたる息子さんがいていろいろと話を聞かせてもらいました、6代目の父が彫り専門で行うようになったそうですが、いろいろといわれたそうです、昔はまずしい農家が冬の内職として行っており、我が家はこの辺で一、ニを争う貧しい農家だったといっておられました、このお店“鷹山”には政治家や芸能人と撮った写真がたくさん飾られていて、海外での公演の際の写真もあり、実演等は地元イベントでも数多くやっておられます、岡本太郎さんの写真もあり、気になり聞いてみたが、太郎さんはスキーが好きで山形にもスキーにこられて、ここにも寄っていたそうです、太郎の作品とか、サインは無いのと聞きましたが、ないそうです残念!!、岡本太郎作オタカぽっぽあったら良かったのにネ。作業場はいたってシンプル、道具もシンプル、囲炉裏の前に座って作業、なんだかなーあこがれます、記念に購入したオタカは十数センチものでサインと印がはいり600円と安い。尚技法はアイヌのイノウといわれ、笹野の里にはアイヌの遺跡があるということです。次回遺跡観にいかねば!
米沢市芳泉町(上杉武家屋敷)
上杉家が会津120万石から米沢30万石に移封になった際、城下に家臣全員を収容しきれなかったため、防衛の役割を与え下級武士を郊外に配置、荒地の開墾なども行わせた、この武士達は原方衆(はらがたしゅう)と呼ばれ、主は野を耕し、女達は機を織って生計をたてながらも馬を飼い武芸に励んだという、屋敷裏手は広い畑と果樹、前庭にはウコギの生垣がある典型的な原方衆の屋敷が今も残る、米沢市南部の地区芳泉町、寛文4年(1664)に15万石に減らされるものの明治維新まで上杉家は続きます、米沢市内は火災や都市開発で古い建物は残らなかったが、郊外であるが故、当時のままの通りと屋敷が残っています、残念ながら近代の民家にかわったり、空き家となったところも目立ってきてましたが、ウコギの生垣など歴史遺産として保存会ががんばっておられます。 庭の松も枯れてしまっているがなんかオブジェに見える。
赤湯温泉暴れ獅子
9月11日でしたが、勇壮な太鼓の響きとともに、通称「暴れ獅子」と呼ばれる獅子が街へ降り、市内を駆けめぐる、南陽市赤湯温泉の烏帽子山八幡宮例大祭及び赤湯温泉ふるさとまつりで暴れ獅子があるというので観てきました、暴れ獅子太鼓は、祭りを盛り上げるため昭和56年に創作されものだそうでわりと新しいようです、青い目の外人さんもいました、神社に向かって一礼して始まります、女性が多く、髪を上げ粋ですな・・・。暴れ獅子、幕の中央付近に獅子頭があり、幕の前後左右に数十人の若者がつき、互いに前と後ろで引き合い、引き勝った方向へ進むとのことです、石段の上にのぼり駆け下りるが中の獅子頭持ってる人こけたら大変だ、カメラもって道の端にいたがかなりのスピードで駆けて行きます。
まちなかアート市場In米沢
9月22日昨日、米沢市内の西条公園で『まちなかアート市場』があり初参加、あいにく午後から雨(^_^;)、アートステーションに所属している作家さんの”のぼり”が会場にありますが、その一つ『アトリエー・リーノ』も作ってもらいました。 米沢と越後を結ぶ越後米沢街道の最初の峠である諏訪峠はイザベラバードも通った道、実家から近く、小学生5年頃までは道は砂利道で九十九折、遠足、芋煮会、きのことりなど思い出深いところ、従妹たちともTV搭まで探検などで歩きで良く行ったものです、アート市場は食べ物、音楽、手作りショップがあります、小さな子供がアートに挑戦、服汚れるかな・・と心配しつつ、夢中で描いてました、かわいい・・・。