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イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その6落合

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落合の地蔵堂から程なく現国道113号線に合流し、その後すぐに左に『花の越後街道』と看板が出てくる、ここから手ノ子駅まで旧道となる、米坂線をくぐり進むと大きな屋敷が見えてくるが、ここは馬も泊まれる宿だったところ、そして杉並木へと進みます、右手に米坂線が通り、都会ナンバーの車が止まりここで写真撮りしてるかたがいました、この辺は当時の面影が残りいい感じです、更に進むと大松が見えてきます、松の右下は米坂線、その右手奥は現国道113号線が見えます。

イザベラ・バードの泊まった宿(金谷侍屋敷:日光)

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2016年11月24日(木)この日、明治11年(1878年)イギリス人旅行家(イザベラ・バード)が宿泊した日光『金谷ホテル』の前身『金谷カテッジ・イン』に行くイベントがあり参加した、朝から冷え込み雪、置賜はこれ普通、しかし関東地方も雪、11月として観測史上初の積雪になった日となりました、街の施設フレンドリープラザ朝7時半発バスで日光には昼前に到着、日本最古の西洋式リゾートホテル発祥の地であり、江戸時代の武家屋敷がそのまま残る貴重な遺産であります、資料展示室を併設した歴史館として2015年3月から一般公開されてます、残念ながら資料館内部、サムライ屋敷内部は撮影禁止、外からはOKというので撮影、併設のレストラン内にバードがスケッチした屋敷デッサン、創業者金谷善一郎の写真があり、これ撮影OK、バードの旅行記もいくつかの本となり、バードの痕跡を求め、その足跡を訪ね歩く人がいる、同じように良寛さんや芭蕉さんなどこれらの人はこの現在の状態をどう思うのだろうか?バードが残した数々のデッサン、文章も凄すぎる、思えば多くの人に感動を伝えたいという想いが絵や文章になりまた、それに感動するのだと思うのです・・・宿泊した部屋はそのままの状態で残っているのもこれすごいよね、ちんけなじじは感動するもいい言葉は見つかりませんぬ。それにしても雪すご!みるみる積もっていく勢いで雪景色のサムライ屋敷いい写真撮れて満足、そのあと昼食を金谷ホテルでプチ贅沢のランチで満足したのでした。

イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その5宇津峠

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落合の地蔵堂から旧越後街道宇津峠に入れる、またこの先は旧宇津トンネルへの道が残る、バードが通った道とは違うが11月20日(日)天気が良かったので原チャリで行ってみた、旧宇津トンネル開通前の昭和42年マツダプロシードと弟との写真が残っている、あれから49年旧宇津トンネルは廃道、ここから今泉まで10kmの案内看板は今でも残る、落合の地蔵堂前まで戻ると現113号が見え地蔵さまから数百メートル先で合流する。

イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その4宇津峠

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バード遠望地との看板から落合側に下ると、九十九折り道の写真付き看板が見える、明治27年の宇津峠新道である、昭和42年の宇津トンネル開通前私が小学4年まではこの道を車が行き来していた、父の車の助手席に乗り、車とすれ違うときは崖ぎりぎりに寄って”左オーライ、バックオーライ”とか言ってはらはらどきどきだった、道は砂利、雨で道はえぐれ重い荷を積んだ車は右に左に大きくうねるのでした、この頃、父は秋になると胃が痛い、胃が痛いと言って、母は毎日、胃に好いという事で大皿にてんこ盛りの千切りキャベツを出していたのでした、しかし羽越水害の昭和42年以降に道は舗装、峠はトンネルとなり父の胃病みは納まったのでした、胃はこの悪路のせいだったのがはっきりしたが、キャベツ効果が分からずじまいだった・・そんなことがふと思い出された、この下側には峠道の石積みが残り、発掘調査もしているようでした、峠ももうすぐ終わる頃「切腹松」という看板が出てきます、名刀村正を盗み追っ手に追われ、もはやこれまでとここの松ノ木の下で切腹したという箇所・・ほんとかどうかは分からない、そして落合の地蔵尊に出ます。ここから旧宇津トンネルへと行く道と現113号線に交わる道につながります。

イザベラ・バードの通った道(山形県飯豊町編)その3宇津峠

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宇津峠頂上から落会側に下り始める、この日11月5日は快晴で紅葉もきれい、ほどなく大きな一本杉「はだか杉」が見える、絵図にも描かれていておもわず手を合わせたくなるような霊気漂う大木である、さらにすすむとバード遠望地との看板があるが、手ノ子地区保存会の方たちはここから見た置賜盆地がアルカディアと言ったとこだと・・まぁ・あちこちで、ここだここだといってますが険しい峠を越えてきたとこから開けた景色は良かったのでしょう、この日真っ青な空に飛行機が飛んでいていいタイミングで写真撮れた。