昭和42年まではトンネルがなく九十九折の砂利道であった宇津峠は実家の川西町小松から小国まで車で1時間半かかり、そのうち宇津峠だけで30分かかる難所だった、小学生の頃3兄弟であった我が家、休みには順番で父について小国に行ったものでした、そのころ開通前の宇津トンネルの写真が実家のアルバムに残っている現在は新宇津トンネルになり当時の宇津トンネルは廃道になっている、昨年手ノ子側落合の地蔵堂から旧越後街道宇津峠に入りその先旧宇津トンネルの写真を撮ったが小国側は撮り損ねていたので撮ってきた・・昭和42年日本は高度成長の頃、小国の不便さゆえにいろんな商売が成り立っていてたが道路の開通によりより多くの業者が簡単に入るようになり競争がはがしくなっていく・・この時を境に小さな個人の商店経営は苦しくなっていくのでした・・
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なにわの親子(その3)
天元台高原ロープウエイのガイド勤務で見かけた浪速の親子、その三はロープウエイ内で驚きと感激の親子ここでもボケと突っ込みを行うお母さんと娘・・・どこからですかと尋ねると関西やねん!って。やっぱりネ、なにかとぼけないと気の済まない浪速っ子、突っ込んであげないといけないから東北人にとっては苦手なのです、浪速っ子はボケ・ツッコミって一種のコミュニケーション、返ってくると嬉しいのでしょうがこちらは苦手、新喜劇みて勉強しないと・・・帰りのロープウエイで会うかなと思ってましたが反対側のロープウエイでした。浪速親子はこれで終了帰りは何を話すか楽しみでしたが”ザンネン”