結城豊太郎記念館

  • 結城豊太郎記念館
  • 結城豊太郎記念館
  • 結城豊太郎記念館
  • 結城豊太郎記念館

ARTS SEED OKItamaのイベントで南陽市に行った折、その近くの結城豊太郎記念館を見学した、結城豊太郎は、赤湯の酒造業結城家の長男として生まれ、才知才能すぐれ、小学校では児童たちの日常行動の中心となり、卒業後待望の旧山形中学、旧制二校(仙台)、更に東京帝国大学に進む、いずれも成績抜群で無試験進学、在学中は特待生として級友を率い、学業も教科の学習だけでなく、広い視野から学んで豊かな教養を身につけたということです、日本銀行に入り各支店長を歴任、大正10年に安田財閥、昭和5年に日本興業銀行総裁に迎えられ、昭和初期の不況対策に腕をふるい、また後に経済界で活躍する多くの人材を育てた。日本銀行総裁は、昭和193月まで6年半にわたり戦時金融の最高責任者として活躍した。 郷里の青少年のため赤湯町に贈った図書館「臨雲文庫」、りんうん文庫、その表門は、元薩摩藩 島津公江戸屋敷の門を移築したもので有意な人材が出ることを願ったとのことである、明治維新、多くの志士が出入りしたであろう門はたいへん立派な建物です、現在、南陽市立結城記念館となっていて、見学は無料。

2016.07.22:li-no:[歴史探訪]

この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。