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『たった一つの恋』と出逢った道(はじめに)

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ドラマ『たった一つの恋』は舞台が横浜で主演が亀梨和也(神崎弘人)と、綾瀬はるか(月岡菜緒)さん、弘人の親友役に田中聖、平岡祐太、菜緒の親友で戸田恵梨香さんたちが出演している。2006年10月から12月日本テビで放送された。 主人公の弘人は一見不良少年だが、実は誰よりも家族思いで心優しく、母と障害のある弟を必死で支え、父の残した小さな造船所を守っている。 菜緒は全国展開するジュエリーショップ社長の娘で天真爛漫、天然ボケの女子大生役である。2人の運命的な出会いからドラマが始まり、反発しながらも惹かれ合う2人が、家族の反対など障害にぶつかりながらも愛を育んでいく様子を描く。弘人は高卒でつぶれかけている造船所、方やお嬢さん大学のお金持ちときて、決定的な出来事が2人を傷つける、父親役が財津和夫様、我が青春時代の神様で拓郎様と財津様と呼んでいる、すれ違いながらも、弘人と菜緒がたったひとつの恋を実らせるまでを描く青春恋愛ドラマ、これを見たとき、子供が2歳から4か5歳ころまでだったか毎週休みの日に朝散歩していたところが頻繁に出てきて驚いた、ドラマから数年たち孫が生まれて、今度は孫連れて行きたいと思い2013年に何回かスケッチ兼ねて下見で訪ね歩いた、昭和の風情が今でも残る子安運河は30数年前となんらかわらなかったこの散歩道をだらだらとドラマに出た箇所の紹介も含めつぶやきます。  最初の写真は当時住んでいた横浜市神奈川区浦島丘から子安運河と呼ばれる散歩道の順路、そしてドラマで菜緒が弘人に会いに行くとき渡った橋、とても横浜とは思えない昭和の風情が残るところです。

2016.03.29:li-no:コメント(0):[僕の細道]

ぼくの細道(はじめに)

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 1975年(昭和50年)初めての都会生活は、東京都日野市旭ヶ丘3丁目(東芝日野工場の第二平山寮)から始まった、転勤で神奈川県横浜市鶴見区の駒岡寮へ、そして初めてアパートを借りて住んだのが会社近くの川崎市幸区下平間の安アパートでした、23歳で結婚し会社の門から100mという社宅(川崎市幸区下平間東芝中塚荘)に引越した、朝通勤の社員の足音で目が覚め、5分前の始業ベルで出ても間に合う距離で何かと便利だった、しかし風呂なし、汲み取りトイレの昭和昭和した安アパートで、当時銭湯は近くに3軒あった、程なく長男が生まれ1歳まで生活、銭湯では、子供を見てくれるおばさんもいた、まだ昭和の雰囲気が強く残る商店街いい雰囲気だった、しかし、仕事で遅くなると銭湯もしまるので、風呂付がほして団地(横浜市神奈川区白幡東町)に引越し、2人目の娘が生まれた、このとき26歳、やがて念願のマイホームを相模原市に購入し住むことになる、仕事で関係していたJAXAの宇宙研がチャリで5~6分とうれしい距離、たまに打ち合わせなどでうれし、うれしの直行、直帰、都会では通勤に往復2,3時間は当たり前だから、ほんとにうれしかった、まだ、このころは田舎暮らししようなど考えてもいなかった頃である・・・それぞれに路地裏とか散歩で好きな場所があった、そんな自分の好きな細い道をだらだら、ぼそぼそとつぶやきます。(思い出の子安運河、置賜桜回廊、置賜紅花のみち他)

2016.03.17:li-no:コメント(0):[僕の細道]