私の母校となる新山中学のあった川西町中小松の通り昭和10年代のもの、ここ中小松は直木賞作家”井上ひさし”さんが生まれそだったところになる、日本が高度成長を迎え車社会になる昭和30年代まではまだ冬の運搬はそりか馬車だった・・・道路も車なんか通らないからそんなに除雪も必要なしひとや馬が通れる分だけ雪かきという時代、昭和30年代生まれのわたくし物心ついたときテレビもない洗濯機もない冷蔵庫もないとこから急激に車社会と変化する様をみてこれたのです、わずか4年違いの弟は物心がついたころにはテレビも冷蔵庫も洗濯機もあったので食べるものや嗜好が違うのです・・日本の高度成長わずか10年で車社会となり主要道路は消雪道路(地下水をくみ上げ道路中央から水を流して消雪する)となる現在の中小松通りあと50年もするとどうなるのでしょうか??
「置賜おやこ クリスマスフェスタ 2017」で
昨日川西町のフレンドリープラザで「置賜おやこ クリスマスフェスタ 2017」が開催されておりました、合わせて古本市にこどもふくこうかん会も・・古本市はひとり5冊まで無料で持っていくことができます・・不要になった本も再び必要な人の手に届く、この町出身の直木賞作家”井上ひさし”さんは作品つくりに膨大な資料(本)をあつめておりました、このプラザにはその蔵書も”遅筆堂文庫”としておいてあります、井上ひさしさん本人のメモ書きやら付箋もそのままついていてるものです、本も時代を映すもの必要な人にわたりリサイクルされるのはいいことです、料理の本があったのでもらいました、こども服交換は・・親子ではなく爺さんですが孫のちびさん3人に一枚ずつそして覆面帽子・・スキーに冬の外作業にちょうどほしかったなと思っていたもので超ラッキーいくら持って行っても寄付百円なんだそうです・・主催のメンバー友人なのですほんとありがとうです・。
ニャン
昨日実家によって職場の人からもらってきた猫の様子見てきました・・今年8月生まれの女の子です、実家で猫飼うのは小学生のころ弟がもらってきた黒猫依頼50年ぶり・・・昨年庭に迷い込んで住み着いた黒ちゃん(小さい子猫)でした、人懐こく、すばしこくカエルに昆虫なんでも採ってきました・・雀なんかもとってきては台所に運んで半殺し状態でもてあそぶのでとてもみていられませんでした・・その黒ちゃんも住み着いて数ヶ月で交通事故にあいあっけなく亡くなりました、その数か月後には叔母が飼っていた老猫。。叔母が施設にはいるため引き受けた老猫介護・・その猫も今年夏ころに帰ってこなくなり、そのあとネズミも騒ぎ出しネズミ対策にと今年秋に4代目の猫としてもらってきました・・実家は表に裏に公道があり事故にあわないようにと、完全に外に出ないように家の中だけで飼うようにしたようです・・猫は人類が農耕を始めてたころ、穀物の番として飼うようになったと言われ。伝染病を媒介する鼠を駆除することが、結果的に疫病の予防にもなったとされてます。日本には奈良時代に倉庫の穀物や経典類の番人として輸入されたことにより渡来してきたものと考えられているとありました・・穀物には手を出さず、それを食害する害獣、害虫のみを捕食することから、人類と猫の利益が一致。穀物を守るネコは益獣として大切にされるようになったのです、今日のイエネコの直接的・系統的起源は明らかではないようですイヌ派と猫派で飼う人の性格が違う・・周りみてるとたいがい当たっていると思う・・
川西町小松地区そば打ち講座
昨年移住先決まるまで実家で居候、実家のある川西町小松地区で開催している料理教室やみそつくり体験、そば打ち講座と参加してました・・・ほとんどがほぼ材料費代程度の費用ですからお得・・今年は米沢市にIターン移住したので行かないと思ってましたが、参加しないの?と問い合わせがあり昨日はそば打ち講座に参加してきました、4人前分500円の講座です、地元川西町の純そばの会のメンバーが講師、ほとんどの方が定年後に趣味で始めた方々です、町の温泉施設”浴浴まセンターまどか”で祝日や日曜の昼限定ですが販売してます・・地元川西の畑で山形うまれの『でわかおり』を育て、製粉まで行いつゆも地元で天然醸造された醤油をベースに、独自の味付けで作るそうです・・打った後はゆでてくれるので食べるもよし、持ち帰りも良しです・・
今はないバスの車掌
天元台スキー場開業から55年、米沢駅から直通のバスが運行、白布温泉から最終の天元台ロープウエイの湯本駅間を運行、当時の直通バスの中を撮った写真があります、中にスカーフを被ったバスガイドさんが写っています・・いまはワンマンカーになっていますが昭和40年代の初め頃まで、路線バスには「車掌さん」が必ず乗務していました。高度経済成長期のモータリゼーション(車社会化)の進展によってバス事業の経営が苦しくなった際、その合理化策として車掌さんの乗務は廃止され機械化されてしまいます、切符の販売に回収、行先のアナウンスも車掌さんが肉声で「次は○○~。お降りの方はありませんか~」てな感じで、踏切とか駐車場などでは車掌さんがバスから降りて、笛を吹きながら誘導したのです。懐かしい昭和の風景です・・