川西町小松にある皇太神社の獅子、練習をやってるというので観に行ってきた、昨年までは都会暮らし、田舎の行事はYou tubeとかHPとか探してみていた、ふるさとの投稿はありがたかったな。今は田舎にUターンだから簡単に観にいける、30名以上集まってきて練習してました、意外と若い人が残っているのに驚きます、練習用獅子頭は古そうでした、次回また詳しく観たいと思う、練習は、幕の内側がみれるからまた本番と違い面白い、話も聞かせてもらい写真投稿もOK、本番は17,18日。本来の例祭は9月15日だけど現在は3日連休にあわせ行っています、残念だがこの週は孫3歳の誕生祝い、世話になった元上司の定年祝いあるので東京へ、この連休もふるさと置賜各地で獅子舞が行われるが情報が少なく教えてくれるとありがたいよね。 獅子頭、太鼓作っていたけどチョット違うから、太鼓も作り直ししよう・・
木工ミニ獅子頭(鞍置八幡神社・白鷹町)
獅子頭を頭にかぶって舞う伝統芸能 獅子舞は、日本各地の正月行事や晴れの日に舞われ、幸せを招くと共に厄病退治や悪魔払いされる、また獅子に頭をかまれると、その年は無病息災で元気で過ごせるという言い伝えがあります。獅子は氏神様となる神社毎にあり、例祭では各家々を廻りパコパコとやってもらってました、実家のある諏訪神社は『ほえど獅子』と言われ、ウォーと家の中になだれ込んで来る、それは、それは、こわーい獅子ということしか記憶にない、恐怖で青ざめていたと良く母が話してました、獅子舞は大自然の霊力を我々に授けてくれる不思議な芸能、スフィンクスに見られるようにライオンがモチーフ、日本列島には生息せず、アフリカ大陸やインド、紀元前にはヨーロッパにもいたようで、インドが獅子舞の起源といわれていますが、エジプトやペルシャ文明まで遡れるかもしれません。インドでは、古くより遊牧民がライオンを霊獣と崇め偶像化し、それが仮面舞踊となり中国~朝鮮半島へ渡り、7世紀のはじめに仏教の伎楽と一緒に獅子舞が日本に伝来されましたとあります。ミニミニ木工で獅子頭を作ってみた。手始めは白鷹町の鞍置八幡神社。
49年前の8月28日29日の羽越水害
今から49年前のこと、諏訪神社のお祭りの8月26日から降り続いた雨、しゃぎりは出来たが翌27日の獅子踊り、次の28日の神送りは中止となり,その夜、川西町や、小国町をはじめ、新潟・山形両県の4市8町に大きな被害を与えた羽越水害があった、そのとき小学5年、夜、噴水のように床から水が上がってきた、すぐに畳が浮いて歩けなくなり、父は大声で2階に行けと指示がきた、家には1年上の兄とまだ1年生の弟、そして新潟から小学前の従妹2名に伯母とおばあちゃんが遊びに来ていて総勢9人、ガラスの割れる音、家にものがぶつかるどーんという音、電気は消え恐怖を覚えた、家は1階の天井に水がつくと流されると言う、家電で2階に上げたのは当時高級品であった家具調カラーテレビのみ、火事場のばか力で父がひとりで上げたがあとでどうやってひとりで上げれたか覚えが無いという、このときのとうちゃんは頼もしかったのを覚えている、うろたえるおばあちゃんや幼稚園の従妹にたいして父はみんな助けるからと・・ロープを準備しいざとなったらみなロープで繋がって離れないようにするといっていたのを思い出す、夜が明け簡易ボートで自衛隊の人が大丈夫ですかと家々を廻り、人数分の菓子パンをくばってくれて、すごくほっとしたのもよく覚えている、翌日はもちろん学校休み、家は親戚が集まってくれて掃除だった、子供は邪魔になるからと、僕たちは近所を見学していたが家や車が流れていたり、牛や豚の死骸もあった、泥にまみれた街中はぬかみそが腐ったようなにおいがしていた、この水害の後、河川はひろくブロックの護岸となり、水路はみなコンクリートになって行った、治水対策は進んだが近所で見られた蛍も糸トンボもこの年以降高度成長ともあわせ農薬の普及でまったく見られなくなったのである。
小屋模型
依頼された、民家模型、小ぶりの山小屋でまとめてみた、仮称『里山一郎』が描く山のアトリとして作成、基礎のブロックから土台と柱立て梁に桁、束(つか)母屋(もや)棟木(むなぎ)と家の構造の勉強になった模型作り、屋根の垂木(たるき)は寸法比が異なりもっと多くなる、あまりの数に少し幅広で作成ゴメンナサイ。。模型作りは完全リタイヤ後のかやふき民家模型作りの勉強でもあるのだ、そこまで残ってくれるか萱屋根民家、絶滅寸前でかやふきさんも絶滅寸前。。昨年かやふき講習とかやってみたが難しい、簡単にはできません・・かや家も簡単には手をつけれません・・せめても模型でがまんしたい。