大正15年(1926年)に山形県側の米沢 - 今泉間が米坂線として開業、1931年に新潟県側の坂町 - 越後下関間が開業し、同時に山形側も手ノ子まで延伸、以降、両側から延伸を繰り返し、1936年の県境区間を最後に全通し、ことし大正15年の米坂線から開業90周年となり、記念の入場券が発売されたので買ってきた、28日は小松駅でイベントあったらしいが、気付いてなく残念、10年後100周年は盛大にやるのかな・・丸田写真館さん寄贈の大正15年9月28日の開通記念写真は町あげて盛大にお祝いしていたことが伺える、開通50周年記念(1976年)写真は小松駅にあったもの、1977年成人した年、何気に撮った写真があった、そして2016年2月の90年目の冬、特別雪の少ない年の小松駅写真である。 そういえば中学卒業(1972年)春、SLが最後となるので同級生と小松駅から今泉駅、手ノ子駅まで自転車でSL写真を撮りに行ったことが蘇る、当時の写真探してまた同じ場所で写真撮らなくては・・ネガも残してあるはずだ。
お鷹ぽっぽ
笹野一刀彫り:歴史は1,200年以上も前に遡り、上杉鷹山が米沢の財政建て直しのために工芸品の製作を奨励してからその名が有名になったと言われています。 “鷹山”というお店、7代目にあたる息子さんがいていろいろと話を聞かせてもらいました、6代目の父が彫り専門で行うようになったそうですが、いろいろといわれたそうです、昔はまずしい農家が冬の内職として行っており、我が家はこの辺で一、ニを争う貧しい農家だったといっておられました、このお店“鷹山”には政治家や芸能人と撮った写真がたくさん飾られていて、海外での公演の際の写真もあり、実演等は地元イベントでも数多くやっておられます、岡本太郎さんの写真もあり、気になり聞いてみたが、太郎さんはスキーが好きで山形にもスキーにこられて、ここにも寄っていたそうです、太郎の作品とか、サインは無いのと聞きましたが、ないそうです残念!!、岡本太郎作オタカぽっぽあったら良かったのにネ。作業場はいたってシンプル、道具もシンプル、囲炉裏の前に座って作業、なんだかなーあこがれます、記念に購入したオタカは十数センチものでサインと印がはいり600円と安い。尚技法はアイヌのイノウといわれ、笹野の里にはアイヌの遺跡があるということです。次回遺跡観にいかねば!
まちなかアート市場In米沢
9月22日昨日、米沢市内の西条公園で『まちなかアート市場』があり初参加、あいにく午後から雨(^_^;)、アートステーションに所属している作家さんの”のぼり”が会場にありますが、その一つ『アトリエー・リーノ』も作ってもらいました。 米沢と越後を結ぶ越後米沢街道の最初の峠である諏訪峠はイザベラバードも通った道、実家から近く、小学生5年頃までは道は砂利道で九十九折、遠足、芋煮会、きのことりなど思い出深いところ、従妹たちともTV搭まで探検などで歩きで良く行ったものです、アート市場は食べ物、音楽、手作りショップがあります、小さな子供がアートに挑戦、服汚れるかな・・と心配しつつ、夢中で描いてました、かわいい・・・。
かたばみ
都会を離れて早1年、自由な田舎生活は満喫できているが、毎週のように逢っていた、可愛い盛りの孫に逢えないのが寂しい、9月の連休に東京に行った際、長男夫婦で作成した4歳と2歳の誕生記念DVDを渡された、改めて観ていて泣きそうになる、DVDの表紙が地元米沢のちぎり絵作家『ウメチギリ』さんの作品、長男結婚披露宴で兄がプレゼントしてくれたもの、2010年11月もう6年前になる、ウメチギリさんの作品はほっこりしていて癒される、これを表紙に使ってくれたこともうれしい、長男の嫁さんが描いたイラストも可愛い、表紙モチーフの”かたばみ”は繁殖力が強く、一度根付くと絶やすことが困難であることから”家”が絶えないに通じ、武家の間では、家運隆盛・子孫繁栄の縁起担ぎとして家紋の図案として用いられ、5大紋の一つに数えられる。 実家大沼家は片喰紋(かたばみもん)の中のカタバミに剣である。かたばみはの葉は、ハートの3枚がとがった先端を寄せあわせた形。 クローバと間違われるが、クローバーは葉の形状が丸く白い線があり、全く異なる植物であるのだ。カタバミにも四葉、六葉といった多葉変異体が発生する。クローバーに比べて環境耐性が高いため、発生率はクローバーのそれに比べて低いとされている見つけたら取っとかないとね。黄色の花もかわいい・・