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ミルク。

日本でミルク文化が鎌倉時代に消滅した後におきたのが大豆文化であり、豆腐・豆乳文化とそして納豆文化といえよう。

24~5年前の仙台で、あるインド料理屋さんがパーラクパニールといって、パニールの代わりに豆腐を入れてたことがあり、現代でもミルク文化から大豆文化に移行したことが判断とできた。
いや、ただ手間をかけたくなかったのかも知れないが。

そこの支配人に「これはパニールなの?」と聞いたら、その支配人はあわてず、インドのパニールはミルクで作ってあるけど、日本のパニールは大豆でつくってるのよ、と自分のせいではないような顔をして言ったことが思い出される。

パニールは、ミルクをレモン汁でたんぱく質凝固させたものです。
2020.03.21:jay:[インド料理のあれこれ]

ミルク文化。

ここんとこコロナ騒ぎで、給食の牛乳の使いみちがなく、「蘇」をつくるのが流行してるらしい。

TVもなくスマホも持たない私としては、世の中のはやりすたりと関わらずインド料理を作ってるので、牛乳でつくるならパニールやコーヤをつくればいいのにと思ってしまう。

”そ”には”蘓”、”蘇”、”酥”の文字があり、蘓が一番古く、蘓が蘇になったのはいつ頃かというと、平安時代の820年の『弘仁格式』では明確ではなく、892年成立の『類聚国史』が「貢蘇」と記してあり、平安時代の早い時期に「蘇」の字が用いられているらしい。

貢蘇とは全国から宮廷へ献立されたもので、この伝統が終るのは鎌倉時代と言われている。

ミルク文化が断絶した理由としては律令制度の弛緩や荘園の拡大があり、宮牧の消滅にあるとされているか、中国でもミルク文化から大豆文化に移行していったのとつながっていると思われる。

参考文献 「古代日本のミルクロード」
       廣野 卓 著 (中公新書) 1995年
       「古代日本のチーズ」
       廣野 卓 著 (角川選書) 平成8年
2020.03.20:jay:[今月のジャイ]

インドのミルク及び加工屋さん。

オールドデリーのレッドホート(赤い城=デリー城)からまっすぐ、日本風に言えば大手門通り、チャンドニーチョークという通りがある。

城を背にして左側には、店が密集している所がある。

シーフのテンプルや結婚式用のレイのお札をつないだものを売ってる店などがあり、一番最後の所にミルクの加工屋さんがあり、パニール屋さんやコーヤを売ってる店があります。

昔(いつも私の話は昔話だが)ここのパニール屋さんの写真を『THE BOOH OF CHEESE』旭屋出版にのせてもらったことがあります。

台秤りで、量って売ってる店です。
2020.03.19:jay:[インド料理のあれこれ]

インドのミルク事情。

インドでは、40年以上前行った時も、住宅地の所にミルクスタンドがあり、そこで牛乳を買っていったり、友人の家では牛乳の配達のおじさんが牛乳缶でもってきて、それを必要な分だけ購入するというシステムでした。

今はコンノートにはコンビニ風スーパーもあり、そこではパックで売ってました。

知人宅では、求めたミルクを煮沸消毒し、冷ますという工程が必ず必要だったので、まだ消毒してなかったものなのだろう。

インドではミルクをよく使うので、ビーガン(ミルクを使わず豆乳を使う)というのは今頃の流行らしいが、まだまだ一般庶民までは広がってはいないようだ。
2020.03.18:jay:[インド料理のあれこれ]

お休み。

今日は休みだったけど、病院・すし屋・そして店へ来てスパイス屋へ注文しようとしたら在庫表がなくなってたので在庫を点検してたら時間がかかり。

今日はもう5時半なので帰ろう。

明日からは「蘇」について書きます。
2020.03.17:jay:[今月のジャイ]