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手伝いをいただいて

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3月22日(火)  晴れ

 

午前中、親友のIくんが来てもらって、車庫の中の片付けを行った。

昨年の大般若会で物を押し込んでから、必要なものを取り出すだけで、そのままにしていて、車庫として機能していないだけでなく、さらに物であふれていくという状態になっていた。

あわせて、境内の

中にある明神様のお堂の雪囲い外しもできた。

とりあえず14時過ぎまでで終了。

いやぁ、ありがたいこと、助かった。

 

15時より交通安全祈願をお寺で一件。

今年専門学校を卒業した青年は、小学校の頃からよくコミセンに来ていて、手伝いもしてもらっていた。

久しぶりに会ったら、とてもたくましい若者になっている。

なんだか嬉しいなぁ。

 

18時30分より、社会福祉法人の会議に出席。

 

 

 

 

 

3月23日(水)  晴れ

 

お彼岸最終日。

娘を園に送ってから、天気がよいので、入田沢の水沢と大荒沢方面へ。

雪融けがどんどん進んでいる。

そして、いつもより早く春が来ている。

 

ぼちぼちと家の片付けをする。

大般若会まで少し、一日それで終えたが、その成果があまり目に見えないのが残念。

 

 

 

 

 

3月24日(木)   曇り  のち晴れ  風冷たし

 

娘を園に送り、戻ってから午前中は今日も片付けなど。

 

14時30分から、洞松院さまの檀家さんのご葬儀があり、伴僧のお勤めをさせていただいた。

亡くなられた奥さまの旦那さんと、私の父は、趣味を通して親しくお付き合いをさせていただいていた。

忌中法要・檀払いまでで、17時30分に帰宅。

 

 

 

 

 

3月25日(金)  朝方うっすらと雪が積もっていた。

日中は晴れ間があるものの、変わりやすい天気で時おり雪がぱらついた。 風が冷たい。

 

10時30分より、お寺にて交通安全祈願のご祈祷。

 

午後から、親友 I くんに来て貰い、車庫の片付けを手伝ってもらい、不用品を千代田クリーンセンターへ搬入した。

16時までに入らなければならないので、15時20分まで車に積み込み出発。

年度末の金曜日なので、混んでいるだろうとは予想していたのだが、思っていた以上に混んでいた。

15時45分には到着したようなものなのだが、車の行列が、センターの構内からあふれて続いていた。

しかし、なんとか5分前には入れて、あとはスムーズ。

むしろ、これより早かったらかなり待ち時間が長くなったのではないかと思う。

 

帰りに、保育園にまわって娘をお迎え。

 

ゴミをいっぱい出したことで、気分だいぶすっきりである。

          

 

2016.04.24:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

早い春

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3月19日(土)  曇り 時々晴れ   時おり小雨がぱらつき 風が寒い 不安定な天気

 

9時から、厄年の厄祓いのご祈祷をさせていただいた。

一緒にやって来た3歳の娘さん。

とても懐こい、初対面なのだけれども、近づいてきてチューされました(^^;

わが家の娘はとても無理であろう、聴いたら三女ということで、活発なのかな。。。

 

10時から運営委員を務めさせていただいているグループホームで、恒例の運営会議に出席。

皆さんお元気で過ごされているようで何より。

 

午前中に帰宅。

 

今日は、娘はお休み、午前中は家で、じいちゃん・ばあちゃんと一緒に過ごしている。

 

午後から、町内の家々に、大般若恵のご案内配りに、子守がてら娘を連れて周る。

約50軒、町内の端から端まで1.5Kmぐらいあるので、遠いところは車で、近くは歩いて。

約2時間半ほど、最後は「疲れた~」と言いだした頃に終了。

そのまま車に乗せて買い物に行くと、5分ぐらいで爆睡した(^^)

 

1時間ちょっとお昼寝をさせてから帰宅。

 

18時30分~、元コミセンで同僚だったN君が今年度で退職し転職するということで、コミセン主催の送別会が、小野川の温泉で催される。

バスのお迎え時間には間にあわないので、車で旅館へ行く。

小野川温泉はどこも混んでいるようで、車を停めるところがない。

うろうろしている間に5分遅刻。

 

N君とは3年間一緒に仕事をした。

社会人になって初めての職場が田沢コミセン。

最初は頼りなげであったが、人柄がよく真面目であり、子どもからお年寄りまで、皆に好かれ、慣れるまでにはあまり時間がかからなかったように思う。

それに、男子ゆえ、力仕事やちょっと無理なお願などもしてもらい、大変助けられた。

ご苦労さま、新たな職場での健闘を祈る。

 

20時半でお開きになり、車を置かせてもらい旅館のバスで、21時過ぎに帰宅。

今日は相方が遅いため、この間、じいちゃん・ばあちゃんと過ごしていた。

一日、みんなご苦労さんでした。

 

 

 

 

 

3月20日(日)  小雨 のち曇り  時々晴れ  風寒し

 

春分の日で、お彼岸の中日。

さて、早起き早起き!

で、昨夜、旅館に置いてきた車をとりに行く、徒歩で!!

 

曇天の中、響く鳥の声。

ハクチョウが飛んでいる。

今年は、田沢も雪解けが早いせいだろうか、白鳥が飛来して、休憩してまた飛んで行く。

「出かけるから、集まれ~」というような感じだろうか。

ハクチョウの編隊はだんだん数を増やして、飛んでいるようだ。

中山峠を越えて簗沢側にもたくさん飛んでいた。

 

50分かかって小野川温泉に到着。

汗かいたぁ。

そんな感じがしないように、なにげに旅館に入り挨拶をして若旦那から鍵を受け取る。

「歩いて、出でになったんですか?」と尋ねられる。

疲労感を隠せなかったようです。。。

 

家に戻って、午前中はお掃除と、買い物などの準備をする。

 

お彼岸の中日は、午後から町内のバアちゃん母ちゃん方の有志が集まって、お念仏を唱えて数珠回しを行う。

13時までに、三々五々集まった所で始まる。

大きな数珠の輪の中に、私が入り、鉦を叩きリードをとる。

今回が私、デビューです。

昨年までは、住職が行っていたのですが、さすがに寄る歳波には勝てないようで。

会い方や娘もさんかし、なんとか無事に勤めさせていただいた。

それから、お茶を飲んで歓談。

後片付けをして、夕刻前に終える。

 

夕食後、小野川の温泉に入りに、相方と娘と行く。

昨夜は、温泉に行きながら入れなかった、今日はゆっくり温泉で汗を流して、気持ちがいいこと。

 

 

 

 

 

3月21日(月)  朝方に小さな雪の粒が降る  日中は曇ったり晴れたり

 

世の中は、昨日の振替休日。

相方の職場も、私のお寺も、休みではなく、世の中の動きと逆な生活をしてる感じです。

 

10時30分から、市街地に近い檀家さんのお宅に伺ってご供養のお勤め。

お昼に戻ったら、陽が射して、裏の福寿草がだいぶ咲いていた。  

福寿草は曇りの時は花弁を閉じ、陽が射すとパラボラアンテナのように開いて、輝くような黄色で華やぐ。

お彼岸にこんなに咲くことはめったにない。

今年の雪解けがいかに早かったかということ。

 

午後からは、依頼されていた過去帳を書いた。

幾つかの用事を終えて終了。

実家で一日過ごさせてもらった娘は、夜、爆睡状態で帰宅。

従姉ちゃん達に、いっぱい遊んでもらって来たことだろう。

 

 

2016.04.23:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

巣立ち

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3月16日(水)  晴れ  気温上昇。

 

早起きして、まだ残っている葉書を書いて、出しに行く。

娘は「今日は休みたい~」というが、仕事もあるので、なだめたりすかしたりしながら園へ送る。

 

10時から、市街地のお宅に伺って仏壇の撥遣のご供養。

よく、魂抜きとか精抜きなどという。

お住まいになっていた方が、お亡くなりになって数年間放置されていた住居を、ご親戚の方が処分なさるとのことで、檀家さんではないのだが業者さんから依頼がありお引き受けした。

 

今、街中でも、空家が増えており、問題になっている。

空家は、ただでさえ壊れやすいのに、米沢の場合は、冬季間、相当量の雪が降るので、無残に壊れてしまうことが多い。

周囲に住んでいる人にも不快感を与えるし、危険なこともあり得るので、よくない。

それは判っていても、周囲は手を出すといろいろ問題があるので、見ているよりない。

今回は、放置できないと、親族の方が取り組まれたて、ありがたいことだと思う。

 

車を置かせていただいた、近くの檀家さんのお宅でお茶をいただいて帰宅。

 

午後からは、お寺で事務をする。

暖かくなって来て、庭の坪山の雪がどんどん融けてゆく。

ほんとに一ヶ月ぐらい早い感じである。

 

 

 

 

 

3月17日(木)  晴れ   今日も暖かい

 

娘を保育園に送る。

今日は手作り弁当の日、とかで、ママの手作りお弁当、サンドウィッチというリクエストに応えてもらい、喜んで登園。

 

11時から、米沢市の南の方にお住まいの檀家さん宅で、四十九日のご供養。

一度行ったことはあるものの、うろ覚えになっているので、住所をナビに入力して出発。

近辺まで行き、「到着」という案内が出たのだが、その家が判らない。

住宅地で、訪ねた時からまた家が建っていたので、記憶にある様子の特長がわからなくなってしまった。

そこでしばらくグルグルと回っていてようやく到着。

10分遅刻してしまった。

法要後、自宅にて会食。

墓地には、まだ雪が少々あるということで、納骨は百ヶ日に予定されている。

ゆっくりさせていただき、14時30分に帰宅。

 

久しぶりに夕食をつくる。

ホイコーローもどきを作った。

味はともかく、作っただけでも喜ばれる、というわけで。

 

夜は、町内の皆様への大般若会のご案内を作成。

明日配って歩く予定。

 

 

 

 

 

3月18日(金)  晴れ  今日も気温が上がる

 

お彼岸の入りである。

娘を保育園に送って、そのまま地元小学校の卒業式に出席。

学校評議員と民生児童委員という立場である。

なんとか時間に間にあった。

今年卒業の児童9人は、とてもしっかりと児童会活動にも取り組み、表現力も豊かなこどもたちだったと感じていた。

制服姿が新鮮ではあるものの、とてもよく似合っていると感じた。

卒業おめでとう!

11時20分から、隣のコミセンホールにて祝賀会があり、これにも出席。

先生方と児童と保護者の方々が、それぞれ演し物を披露して和やかにお祝。

こども達が、卒業式で披露した「田沢太鼓」に対抗して、保護者の皆さんが「田沢スリッパ」を披露。

田沢太鼓と全く同じものをスリッパで演じて見せた。

ものすごくバカバカしいのに真剣に練習したんだろうなぁと感じさせられる完成度の高さに、大笑いしながら大感動!素晴らしい!! ぜひ、別の機会でも披露してほしい!!!

祝賀会第2部があり、そちらはお酒も出るのだが、私は一部にて帰らせていただいた。

ほんとに皆さんおめでとう。

 

今日は、お寺の建具を一部更新する作業に、建具屋さんが来て作業して下さっている。

15時過ぎに完了した。

襖や障子戸が新しくなって気分も良く、きれいな状態で行事を迎えることができる。

 

卒業は一つの区切り。

地元から、少し離れた中学校や高校に通うことになったり、親元を離れていく高校生や大学生も、今までよりも広い世界へ羽ばたく。

巣立ちの季節かなぁ。

今年は周囲の雪が少なく、お天気もよくて、からっとしている。

元気で、また成長したこども達と会えることを楽しみにしたい。

 

 

 

2016.04.22:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

西へ東へ

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3月13日(日)  曇りから晴れ  晴れたり曇ったり

 

早目に起きて今日の準備!

書いてもらった大般若のご案内はがきを出す前にチェックをしていたら、間違いが多いことに気がついて慌てて書きなおし。

歳をとると衰えることがいっぱいある、仕方のないことなのだが、その頻度が年々多くなるのだなぁと感じる。

 

さて、今日は時間ぎりぎりにスケジュールを組んでいるので、頑張らなければ。

 

まずは、10時から簗沢のお寺にてご法事のお勤め。

続いて、11時から同じ簗沢地内の檀家さんのお宅にてご供養のお勤め。

昼食をご馳走いただいて、一旦自宅に立ち寄って高畠町の時沢に向かう。

13時から旧時沢小学校で、熱中小学校の一期生の終了式と二期生の入学式が行われるのだ。

家を出るきすでに12時50分。

時間的に最短で行けると思っている東沢から吉島に抜けて向かい、13時20分に時沢に到着した。

すでに、校内では式が始まっていたので、外側に座って見学させていただいた。

教室はガラス張りで全体が見られるのだ。

式の終りに、今年度から始まる、富山県高岡市の熱中寺小屋のプレゼンが面白かった。

お話しされた事務局の女性担当者の話が面白いのと、その活動場所である国宝になっている瑞龍寺は、一度行ったことがあり、とても興味深かったのだ。

さて、いつの間にか14時45分になっていた。

 

まだ全ての催しは終わっていないのだが、失礼して米沢に向かう。

 

15時から伝国の杜文化ホールにて 故 高森 務先生のお別れ会があるのだ。

15分遅れて到着。

主催者のあいさつから追悼の言葉の何人かがすでに終わるところだった。

多くの方が参列されている。

一般の献花を終えて会場を出たのは16時15分。

ロビーに出たら、いきなり娘が現れて、ニコッと笑って走って逃げていった(^^;

ママと一緒に、いつも催されている工作の体験に来ていたのだった。

 

さて、ここまでは、私の僧侶にとってのスーツみたいなものである改良服と輪袈裟姿なのだが、い一旦、自宅に戻って着替えて来なければならないのだ。

 

17時から民生児童委員の同じ地区の方の叙勲の祝賀会である。

着替えをして、会場の東京第一ホテル米沢の会場についたのが17時20分。

結局、時沢に遅れた分、そのまま遅れてしまった。

それでも、まだ開会して間もないようで、最初の挨拶が始まったところだった。

 

元々消防署に勤務されていた方で、その定年の3月がちょうど東日本大震災があった時。

震災を境に、大変な激務に追われ、責任のある立場でもあったわけで、最後の日も深夜まで勤務して、同僚に花束をもらって帰ったというエピソードを披露された。

5年前の事をまたいろいろ思い出された。

 

20時15分に会はお開きとなり、代行車で21時前に帰宅した。

 

いやはや、いろいろと、盛りだくさんの一日であった。

後半は遅刻をして、ご迷惑をおかけしてしまった。

とにかく、慌ただしく一日終了です。

 

 

 

 

 

3月14日(月)  朝方にうっすらと雪   曇り時々小雨(ちょっとだけミゾレ)  肌寒い

 

朝寝坊した。

昨日は気がつかなかった疲れが身体にたまってる感じ。

血圧もあがっているかも。

 

午前中、家で休息。

お昼前に、今日は休みの相方と娘を連れてちょこっとお出かけ。

ランチを食べて、買い物をして、移動しているうちに娘はお昼寝というか爆睡。

もう少し足を伸ばして宮内の熊野大社へ。

お参りをしてから いちょうカフェ。

夕刻前に帰宅。

 

のんびり休日を楽しむことができました。

 

 

 

 

 

3月15日(火)  曇ったり晴れたり  強風が吹き寒く感じる

 

早目の起床。

もうギリギリの大般若会ご案内のはがき、またまた書きなおして郵便局へ。

 

娘を園に送り、また葉書書き。

お昼前に、父親を市立病院へ送り。

昼食をとって一息ついてから、今度は医院へ通院の母親の付き添い。

診察を終えて、そのまま電話連絡があった父親を迎えに市立病院へ。

16時に帰宅して、両親の送迎任務完了。。。

 

今度は自分のかかりつけの医院へ受診に行く。

なんとなく不調感があることも話したら、運動不足ではないかと・・・。

たしかに。

処方された薬を受けとってから、松ヶ岬公園のお祭り広場に駐車して、歩いてみることにした。

もう、夕暮れが始まっていたのだが、街中を40分ほどウォーキング、っていうか散歩。

それでも、うっすらと汗をかく。

なんとなく気分がよい。

意識して運動することも必要なのかと感じた。

 

 

2016.04.18:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

5年経って

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3月10日(木)  曇り のち時々晴れ   寒い風が吹く

 

娘を園へ送った足を伸ばして、用件を少々済ますことに。

古志田から林泉寺に抜ける道を通ると、田んの中の畔でカメラを構えている人がいる。

なんだろう?と思ってその先を見たら、白鳥の群れが田んぼにいて、餌をつつくようなしぐさや、少し飛びまた戻るという風景だった。

私も、邪魔しないように静かに車を停めて見ていた。

 

どこかから飛んできて、これからさらに北に向かって飛んでいくところなのだろう。

今年は雪解けが早いから、白鳥たちも早いのだろうか。

私もカメラを取り出して、コンパクトカメラの限界というところまで望遠を使って撮ってみた。

なんとか写ったようだ。

 

帰宅して、午前中はコピーの業者さんが来て機械のメンテナンスをしていってくれた。

 

午後から川西町の吉島へ。

先日お話をお聞きした活版屋の社長さんに、昔そこで働いていた職人さんが元気でいらっしゃると教えていただいた。

そこで、いつかそちらでもお話しを聴きたいので、顔を出してお願をした。

そうしたところ、たいへん快く承知していただいた。

ただ、今は学校などの卒業シーズンでひじょうに忙しいような様子だったので、後日ということで名刺をいただいてきた。

4月後半になるだろうか、とっても楽しみである。

 

 

 

 

 

3月11日(金)  朝は少々雪  気温は低いものの 日中は晴れ

 

3月11日である。

東日本大震災発生からまる5年経った。

いろいろと思い出されることがあって、なんとも言えないのだが。

私たちの住む地域は、大きな地震に遭ったとはいうものの、直截的な被害は、少なくて済んだ。

電気も停まらなかったため、映像で伝わる津波の様子や原子力発電所事故による影響などを、見ることによって恐ろしさ感じた。

もちろん、その後のガソリンや物資の不足などによる不安などもあったのだが、太平洋側に住んでいる人達とはその受け止め方には差があると思う。

 

さて、今日はどのようにして過ごそうか。

 

午前中、昨日来てメンテ作業していったコピー業者さんが一部部品を交換したいということで来宅。

おかげで、紙を差し込んで印刷する際の異音がしなくなり、快適である。

 

それから、本堂真上の天井を猫に壊され、飼い猫だけでなく野良猫の出入り口にされていた箇所があり、困っていた。

意を決して自分で補修することにした。

1時間半ほどかかって、天井板をビスで停めて、さらに補強の板を貼った。

不格好だが仕方がない。

冬の間食べ物が少ない野良猫は、本堂に侵入し、落雁までも食って行くのだ。

しかも、時々「かえし」までしていくので、全く困っていたのだ。

とりあえず完了。

 

さて、14時46分をどうして迎えようか。

5年前のあの日、私はプレハブでできた事務所に、その事務所の方々4~5人とお茶を飲んでいた。

点けていたラジオから警報を知らせる音がなり、携帯電話の警報も時間差で皆のものが鳴った。

それと同時にガタンと揺れが始まり、しだいに大きな揺れとなり、しばらく続いた。

外に停めていた車が前後に大きく動いている。

プレハブの建物から出て、しばし外を見ていたら電柱が大きく揺れ、国道のクルマは停車し、近所の人達が家から出て来て不安な顔をしている。

わが家には両親がいるのだが大丈夫か、相方の勤務先の図書館はたいへんなことになっていないか・・・などなどいろんなことが心配になった。。。

 

そんなことを思いながらクルマに乗って、大峠方面、というか喜多方へ走った。

大峠トンネルの手前の坂道で14時46分を迎えるラジオの音。

そのままトンネルを抜けて喜多方へ行き、道の駅「喜多の郷」へ。

しばらくそこで休憩。

特になにがあるというわけでもなく、喜多方にいるから だからなんだというわけでもなく・・・、しばらく福島県の会津にいるというだけのことなのだが。

一服して帰宅。

 

19時から、フレンドリープラザで、震災に関連した催しがあり参加。

写真家の永幡さんの、震災に関わる写真展が開催されており、この日は永幡さんのお話しを聴く。

いわゆる震災被害そのものの写真ではなく、震災による自然の影響とその後、そして復興に関わって自然はさらにどうなってきているか・・・ということ。

彼は現地にまめに足を運び、写真をとり記録している。

この地が本来どういった植生があり、それが震災で自然に帰った部分、またいわゆる復興工事によって逆に失われてしまうもの、そういったことを話してくれた。

 

本来、私たちが便利で都合よく暮らすために、どんなふうに自然を壊したり、また守ったりしてきたのか。

これから、またそこに住むために、元に戻りかけた自然をどのように考えて復興工事をするべきなのか、複雑な思いを抱き考えさせられることである。

 

後片付けを少々手伝って、23時頃に帰宅。

また、5年前の震災の起きた夜の不安な気持ちを少し思い出しながら就寝。

 

 

 

 

 

3月12日(土)  朝方は雪がちらつく  日中は晴れ

 

少々寝坊、6時過ぎに起きて今日の準備。

 

10時に南原にお住まいの方の家に伺って、家の神様のお祭りのお勤めをさせていただいた。

そうそう、5年前は地震の日から5日後に伺ったんだった。

ガソリンの供給が滞っていたため、できるだけ省エネ運転に努めていましたっけ。

それでも、私は地震後約2時間後にガソリンスタンドに行って詰めていたので、比較的余裕があった。それでさえも、震災前のように供給されるのがいつになるのか判らなかったので不安だった。

そのような会話をしながらお茶をいただいて、お昼に帰宅。

 

午後から明日の段取りと準備をする。

明日の日曜日は、公私にわたる、めったにないような繁忙日。

果たして計画通りいくかどうか不安である。

 

 

2016.04.13:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]