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令和5年度 上杉文華館「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」⑦

  • 令和5年度 上杉文華館「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」⑦

令和5年度の上杉文華館は「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」をテーマに、国宝「上杉家文書」などを展示します。

 上杉文華館では、国宝「上杉家文書」を毎月入れ替えながら常時展示しています。上杉家文書は、江戸時代以降に行われた文書の管理や歴史編纂を通じて、中世以来の上杉家の由緒や権威、特定の当主の事績を示す文書が収集、選別され、移動や変化を続けながら、現在の構成(2018通、4帖、26冊、保存容器として両掛入文書箱、精撰古案両掛入文書箱、黒塗掛硯箱、赤箪笥 乾・坤2棹、附として歴代年譜325冊)になったことが明らかになっています。

 また、「上杉家文書」とは別に「上杉文書」と呼ばれる藩政文書を中心とした1万点弱の史料群があり、米沢市では令和3年度から文化庁の「地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業」の補助を受け、調査に取り組んでいます。その中核は文書管理や歴史編纂を担った、江戸時代の御記録方や、近代の上杉家記録編纂所総裁伊佐早謙の関連文書です。上杉文書には、国宝「上杉家文書」を深く理解するための手がかりが、豊富に含まれています。

 今年度は本調査事業の成果を活用して2つの史料群を紐解きながら、江戸時代から近代にかけて、文書の具体的な管理方法と歴史や記録の編纂事業、その背景にある藩政の状況や世情をご紹介します。永年にわたり文書を守り伝え、活用してきた人々の営為にご注目下さい。

「上杉文書」調査の詳細はこちら

 

《鷹山の改革と記録の活用》

展示目録はこちらよりご覧ください。

【展示期間】9月28日(木)~10月24日(火)

 上杉鷹山は宝暦元年(1751)、高鍋藩主(宮崎県)秋月家の次男として江戸に生まれました。宝暦10年に第8代米沢藩主上杉重定の養子となり、明和4年(1767)に17歳で9代藩主に就任し、破綻寸前であった米沢藩の改革に取り組みました。鷹山の改革は、天明5年(1785)に隠居するまでの藩主在任中(明和・安永の改革)と、寛政3年(1791)以降の藩政を後見した時期(寛政の改革)に大別されます。
 鷹山は藩主就任後まもなく、上杉家伝来文書の管理強化に着手しました。明和6年には江戸で黒塗掛硯箱文書を自ら点検し、翌年には米沢で「古状御箪笥」(現在の赤箪笥乾)の虫干しに立ち会っています。明和9年には謙信以来の「直書」の選定を命じ、謙信愛用とされる掛硯箱二棹に納められました(両掛入文書、精撰古案両掛入文書)。安永年間には、幕府からの領知承認を示す知行判物や、朝廷からの位階を示す官物文書類は江戸から米沢に移され、長持に収納して城内の宝物蔵に保管されました(資料3)。
 また、御記録方の機能強化を図り、安永7年(1778)には倹約政策下にも関わらず、米沢城本丸御殿内に御記録所を新設しました。御記録所では、歴代当主ごとの正史「御年譜」に加え、上杉家の年中行事や家臣の役職に関する先例集、幕府法と米沢藩法をまとめた法令集や判例集など様々な記録を編纂し、藩主や奉行(国元の家老)の参考に供しました。さらに、記録に基づいて先例を調査し意見書をまとめ、幕府や他家との折衝、家臣団や領民の統制など、様々な藩政上の課題に応えていったのです。

 

▼ コレクショントーク

 日時:10月1日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※参加には入館料が必要です。

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2023.09.28:denkoku:[博物館情報]

【国絵図をたのしむ③】

  • 【国絵図をたのしむ③】

現在展示している元禄国絵図の下書きには、

国絵図の周りにいくつもの貼紙が見られます。

これは、幕府の絵図役人・町野新兵衛による修正指示です。

幕府と藩の間でやり取りを交わしながら、

清書に仕上げられていった過程がここに表れています。

 

御国絵図下図(上杉文書1773、米沢市上杉博物館)

それまでの国絵図では「此境より○○領○○村江出」と記されていましたが、

町野の指示によって村から村までの距離などが明記され、

境界付近の記載が具体的になりました。

 

御国絵図控(上杉文書1772、米沢市上杉博物館)

町野の修正指示を踏まえて、境界付近が具体的に記されています。

 

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【お問い合わせ】

 米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2023.09.22:denkoku:[博物館情報]

【国絵図をたのしむ②】

  • 【国絵図をたのしむ②】

〈城の表現〉

国絵図の中では城を四角で表します。

米沢城では、「城下町」と書かれた細長い町割りが西に延びています。

米沢城下の絵図と見比べてみると、

米沢藩の城下町の構造をある程度正確に反映していることが分かります。

国絵図の表現の細やかさも必見です!

 

元禄国絵図の提出控(1700年3月4日作成)

 

天保国絵図(1838年5月作成)

 

正保国絵図の写(1701年2月)

 

参考:御城下絵図(1725年作成)

 

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【お問い合わせ】

 米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2023.09.13:denkoku:[博物館情報]

【国絵図をたのしむ①】

  • 【国絵図をたのしむ①】

 

国絵図の特徴の一つに、様式の統一化が挙げられます。

城を四角で、街道を赤線で、村を小判形で…といったように、国絵図の中には記号化された表現がいくつも見られます。

本展を通じて、当時の絵図の表現を楽しんでみてください!

 

展覧会詳細はこちら

 

【お問い合わせ】

 米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2023.09.08:denkoku:[博物館情報]

令和5年度 上杉文華館「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」⑥

  • 令和5年度 上杉文華館「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」⑥

令和5年度の上杉文華館は「上杉家歴代の文書管理と歴史編纂」をテーマに、国宝「上杉家文書」などを展示します。

 上杉文華館では、国宝「上杉家文書」を毎月入れ替えながら常時展示しています。上杉家文書は、江戸時代以降に行われた文書の管理や歴史編纂を通じて、中世以来の上杉家の由緒や権威、特定の当主の事績を示す文書が収集、選別され、移動や変化を続けながら、現在の構成(2018通、4帖、26冊、保存容器として両掛入文書箱、精撰古案両掛入文書箱、黒塗掛硯箱、赤箪笥 乾・坤2棹、附として歴代年譜325冊)になったことが明らかになっています。

 また、「上杉家文書」とは別に「上杉文書」と呼ばれる藩政文書を中心とした1万点弱の史料群があり、米沢市では令和3年度から文化庁の「地域活性化のための特色ある文化財調査・活用事業」の補助を受け、調査に取り組んでいます。その中核は文書管理や歴史編纂を担った、江戸時代の御記録方や、近代の上杉家記録編纂所総裁伊佐早謙の関連文書です。上杉文書には、国宝「上杉家文書」を深く理解するための手がかりが、豊富に含まれています。

 今年度は本調査事業の成果を活用して2つの史料群を紐解きながら、江戸時代から近代にかけて、文書の具体的な管理方法と歴史や記録の編纂事業、その背景にある藩政の状況や世情をご紹介します。永年にわたり文書を守り伝え、活用してきた人々の営為にご注目下さい。

「上杉文書」調査の詳細はこちら

 

《重定と先例》

展示目録はこちらよりご覧ください。

【展示期間】8月24日(木)~9月26日(火)

上杉重定は5代藩主吉憲の第四子です。6代藩主宗憲(享保19年・1734 死去)と、7代藩主宗房(延享3年・1746 死去)の2人の兄が相次いで死去したため、延享3年8月、重定は思いがけず8代藩主となりました。
 重定の治世下では、天候不順や飢饉により領内は疲弊し、藩の財政も悪化の一途をたどります。しかし重定自身は政治にあまり関心を示さず、寵臣の森利真が実権を握りました。森は藩政の改革に取り組みますが、専断的な政治姿勢のため重臣層に疎まれ、宝暦13年(1763)に殺害されます。重定のもとで森が推し進めた改革の一部は、明和4年(1767)に9代藩主となった上杉鷹山の治世下に継承されていきます。
 その一つが先例集の編纂です。財政が悪化し、上杉家の伝統や権威がゆらぐ状況下でこそ、先例を記録し受け継ぐことが重視されたと考えられます。「定例明鑑」は重定の指示で編纂に着手し、森利真が総監して宝暦10年(1760)に完成しました。上杉家の年中行事や儀式の先例に加え、領内の地誌や上杉家の系譜、基本法令も収録した、全25冊にのぼる先例集です。
 今回はこの先例集を紐解きながら、国宝「上杉家文書」のうち重定の元服関係の文書の位置づけなどをご紹介します。

 
 

▼ コレクショントーク

 日時:8月27日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※参加には入館料が必要です。

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2023.08.24:denkoku:[博物館情報]