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仕事を成し遂げたときの気持ち

実際に生みだす立場になったときに得られる喜びは格別です。
コンサルタントの場合、いい提案をしてクライエントから認められるのが嬉しい瞬間ですが、それとは次元が違います。

自分たちがつくったサイトを世に送り出せたというだけで十分に嬉しいんです。
先を走っている競合他社と比べると、レベルも規模も格段の差がありましたが、私たちはその喜びを瞬間ごとに噛み締めていました。

結局、誰一人として音を上げずに最後まで踏ん張りましたからね。

By南場智子

(プロフェッショナル仕事の流儀15 File No.43より)
2009.03.13:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

どんなプレッシャーを背負っていたのか

あの事件の最中にとうとう倒れて入院しました。
投資家の方に対する責任もあり、プレッシャーが大きかったのも事実です。

会社経営があんなにも厳しいものだとは思いませんでした。
やるべきことが多く、とにかく時間が足りなかった。
結局、寝る時間を削るしかありませんでした。

それでもやりたいと思ったのは、自分自身のプライドもありますし、
目の前の山に登りたいという性分もあったのでしょう。
それに仲間たちに対しての責任を果たさなければいけないという気持ちもありました。

By南場智子

(プロフェッショナル仕事の流儀15 File No.43より)
2009.03.12:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

~南場智子のターニングポイント~ 起業直後の計算違い

「前のめりであれ」という信念は、起業直後の苦しい日々のなかで生まれた。

南場は、大学を卒業後、外資系のコンサルティング会社に入社。
ITビジネスのコンサルティングで目覚ましい業績を上げ日本法人の役員に上り詰めた。
しかし、あるコンプレックスがくすぶっていた。

「血ヘドを吐いたことがない」

コンサルタントの腕の見せ所は、事業計画の立案。
だが、仕事の醍醐味は、それを実現させる現場にあるのではないか。

36歳のとき、一つのアイデアを胸に起業に踏み切った。
日本ではなじみの薄かったインターネットオークション。

しかし、現実は甘くなかった。
まず計画が不十分と、出資者から待ったがかかった。
新たに計画を練り直したが、今度はサイトの設計に手間取り、また延期。

その間に、大手企業が華々しくインターネットオークションを始めた。
必死で準備をすすめた矢先にまた事件は起きた。

外部に発注していたプログラムが、手違いでまったくの白紙状態だったのだ。
「嘘でしょ、嘘でしょ、絶対に嘘でしょ?」

これ以上開設が遅れれば投資家の信用を失う。
そうなれば会社は終わりだ。

そのとき一人の技術者がいった。「ユーザーからの出品機能を諦めれば、間に合うかもしれない」
しかし、出品ができないオークションなどあり得ない。

一人の投資家からメールが届いた。
「この事態をどう乗り越えるのか、すべての投資家が見ています」

南場は攻めるしかないと思った。一つだけ方法があった。
ユーザーからの出品は間に合わないが、運営者の自分たちは直接データを書き込んで出品できる。

全員で、サイトに並べる商品を探しに飛び出した。
ただ前のめりに走り続け、一ケ月で400余りの商品をかき集めた。

ようやくビジネスが動き始めた。
南場に一つの確信が生まれていた。
苦しい時こそ、前のめりであれ。

(プロフェッショナル仕事の流儀15 File No.43より)
2009.03.11:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

なぜ前のめりでなければならないのか

前のめりは、とにかく前向きだということ。
特に社長は、会社の中で一番前のめりの方がいいでしょう。

組織のトップは必ずしも一番賢かったり体力があるわけではないけれど、
前向き度は全体に大きな影響を及ぼします。

会社の設立当初は赤字続きで、トンネルの出口が見えない状況が続きました。
そんな時でも、必ず出口はあるはずだし、絶対に明かりが見つけられると信じて疑いませんでした。

By南場智子

(プロフェッショナル仕事の流儀15 File No.43より)
2009.03.10:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]

会社が成長しても変わらないもの

とことん仕事をするというのが私の姿勢で、これは変わりません。
あとは、ロジカルに考えて意思決定をすること。
これは会社のカルチャーにもなっています。

By南場智子

(プロフェッショナル仕事の流儀15 File No.43より)
2009.03.09:反田快舟:コメント(0):[仕事の流儀]