米屋さんが地域おこし協力隊に!
///50歳代も半ばを過ぎ、生きてもあと20年ほど。人生でやり残したことがないだろうか、そう振り返ったとき、以下のように思いました。「今までは取材して伝えるという部外者としての立場だったが、自分のアイデンティティの基となる鉄道に直接関わり、人々の役に立つような仕事を生涯の中で一度は経験してみたい」と。///
業界における位置や評価を投げうっての転身に対して、多くの方からコメントが寄せられましたが、その中で次の言葉が心に響きました。
///素晴らしくまた嬉しいニュースです。ご決断と想いに感謝と共に勇気をもらう人が大勢いると思います。私もその一人。生きて今に流れ着いているのには、何か役目があるのでないか、あればいいなと考えています。何かご一緒させていただける機会があれば嬉しいです。///
山形鉄道を取り巻く環境は極めて厳しいものがあります。こうした時に、この地に飛び込むことを決断した人がいます。山形鉄道の全ての社員はもちろん、2市2町の役場職員、そして私たち住民自身もその在り方を考える時でないか。この地に漫然として生きて来た私たちにも、きっと何か果たすべき役目があるのでないかと思うのだが。
憧れの君へエールを!
1億円超の詐欺被害に続いて3月25日、地元紙にショッキングな記事が掲載された。「フラワー長井線 乗務員不足で減便へ」という記事である。昨年の12月から3月末日までに運転手4名、車掌1名が退職する予定であり、4月から3分の2に減便せざるを得ないというのである。退職者の中に、駅茶でお話しを伺う機会があった若い車掌さんも含まれていた。
夕方、孫にせがまれて列車を見に行くことがある。「あおポッポ(あやめ号)きたね」。車掌さんが手を振り返してくれるのを見ては、「ポッポバイバーイ」を叫ぶ。マスクをしていても車掌さんの笑顔は、大人の私でさえうれしく感じるものだった。夕暮れに走り去る列車と車掌さん、それを見送る2歳の子の姿は、私自身の遠い日の記憶につながるように思えたものだ。
ホームで列車の写真を撮っている女性がいた。彼女は、「山鉄ブルーの制服がカッコよくて、車掌さんや運転手さんの一つ一つの所作に美しさを感じます。」、「60秒間だけのワクワク、憧れの君です。」と笑いながら話してくれた。ホームには、それこそローカル線の機微といえるものがあるように思うのだが、彼は子供にも大人にもそれを伝えてくれていたように思うのだ。
3月は別れと旅立ちの季節でもある。夢を持って入社し、頑張ってきた職場を退社することを決意するには煩悶の時間があっただろうと思う。寂しいけれども心からのエールを送りたい。新しい場所でも「憧れの君」であって欲しい。そしてあなたが創ってくれたホームでの出会いと感動が、これからも受け継がれていくことを願っている。
【おらだの会】写真はNAさん提供。
新人運転手の紹介記事はこちらから
毎朝列車を見送りに来ていた女の子の記事はこちらから
山鉄運転手をイメージしたエッセーはこちらからどうぞ
100万回のPⅤに思うこと
当会のブログ「おらだの会3」が、3月21日、100万回のPⅤ(ページビュー:閲覧された記事数)を達成しました。「おらだの会3」は2019年12月11日のスタートですから、5年と3か月で到達したことになります。
「今の若者はツィッターやインスタだよ。」と教えられたことがあります。この後に続けて「今の時代にブログやるのって年寄りだけだよ。」と言われそうです。表現されるものは全く違うかもしれませんが、友達からの「いいね!」を励みにするのと、「今日は○人の人が見てくれた」と一喜一憂するのは、同じようなものだなとも思います。
ふと待合室に展示している切り絵の作品を思い出しました。自分たちが創り上げた都市が、巨大な鯨の上に乗っかっているというもの。見ようによっては、自分たちの意志で作り上げてきたと思っていたものが、実は大きな時代というものに誘導され、翻弄されていることを暗示しているようにも見えます。
自分たちの考えで投稿してきたと思っていたブログも、もしかすると時代の波に書かされていた部分もあったかと思います。そんなことを頭の片隅に置きながら、ほどほどの「いいね」を励みにして、鯨の背中で揺られるのを楽しみながら続けて行きたいと思います。これからも皆様のご支援とご指導をよろしくお願いいたします。
第1回の記事はこちらから





