HOME > 駅茶こぼれ話

10年前の僕、10年後の私

  • 10年前の僕、10年後の私

 「軌跡、」という写真展の「作品の中にY君をさがす」なんてことをやってもよいのだろうか、と思いながら、またやってしまった。左は2016年10月撮影の「来た!」。自分と同じく鉄道が大好きな子供への共鳴が、シャッターを押させたのかもしれないが、今そこに映っているのは10年前のY君自身ではないだろうかと思える。

 

 2019年、高校生となったY君は車掌さんを写す。タイトルは「ご安全に」。展示されている25枚の中で、唯一鉄道社員が映っている写真である。乗客に優しい眼差しを向けながら、鉄道の運行を支えている大人の背中。それはY君自身が目指す10年後の姿であるのかもしれない。などと思うのだが、皆さんはどんな感想をお持ちになるでしょうか。

 

 

【おらだの会】 Y君の写真展は今月22日までですが、9月16日(月:祝日)、23日(月:祝日)は開場しませんのでご注意ください。

2024.09.09:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

10年前の成田駅、10年後の成田駅

  • 10年前の成田駅、10年後の成田駅

 Y君の写真展「軌跡、」に在廊しながら、ふと心に浮かんできた思いがあった。今まで数多くの写真展を開催してきたが、作品を通して自分の歩みを表現しようとした人はいなかったのではないか、ということです。

 

 小学生で初めてカメラを持った時から、大学4年までの約10年間には楽しかったことや辛かったことがたくさんあったことでしょう。その10年の歩みを語る25枚の作品を選ぶことはとても大変なことだったろうと。だとすれば作品の美しさや技術的な素晴らしさに感動するだけの今までの鑑賞スタイルでは不十分なのではないか、という思いが湧きあがったのでした。

 

 そんな思いを抱きながら見ていると、成田駅で撮られた2枚の写真が目に入った。左は2012年11月に撮影とある。西根に住んでいたお婆ちゃんの家に遊びに来た時に撮ったのであろうか。右は今年の4月のお花見会の際に撮られたもので、「暖かい日に」との題が添えられている。

 

 婆ちゃんとの想い出のある駅で高校写真部の仲間と活動し、名のある写真家や(変な)大人たちと知り合った。10年後に桜を眺めた駅舎は昔の想い出と重なって暖かった。ここからまた歩き出そう・・・と。(おらだの会の変なオジサンは、単純に2枚の成田駅があるのが嬉しかったのかもしれませんが。)

2024.09.07:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

宮内駅の黒板アート

  • 宮内駅の黒板アート

 8月24日に紹介したカマ鉄オモシー組合さんのブログに、宮内駅の記事が投稿されていたので宮内駅に行ってみた。宮内駅に足を運ぶのは昨年のもっちぃ駅長のお別れ会以来になる。カマ鉄さんの情報どおり、待合室は全く違う雰囲気になっていた。はやぶさ色に塗装された新幹線の遊具があり、もっちぃ駅長がデザインされた缶バッチが入ったガチャガチャ、そしてラーメン大好き小泉さんの立ちパネルがある。

 

 そして圧倒されたのが写真の黒板アートである。その出来栄えには驚かされた。作者を教えて欲しいと思うほどだ。この出来栄えは、ぜひとも宮内駅に行って見て欲しいと思う。と同時に、宮内駅のこうした情報を見落としていたのだろうか、と反省してしまった。先に紹介した「蚕桑・田んぼアート」のように、各駅の動きが沿線の中で交流し、共に応援しようという気持ちが醸成されることを期待したいものだ。

 

 

 

 カマ鉄さんのブログはこちらから

 → 宮内駅の待合室にて - カマ鉄オモシー組合 (goo.ne.jp)

 宮内駅には今も変わっていないものの沢山あります。こちらからどうぞ。

 → 長井線リポート(28) 火の用心と指差確認:おらだの会 (samidare.jp)

 → 長井線リポート(29) 駅舎に残された思い:おらだの会 (samidare.jp)

 → 長井線リポート(30) 駅から街へ・街から駅へ:おらだの会 (samidare.jp)

2024.09.01:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

ブログの輪を広げて

  • ブログの輪を広げて

 おらだの会でブログを始めたのは2011年。駅舎の改修事業をきっかけに、駅とおらだの会の情報発信を図ろうとスタートしたのである。この当時、ブログは先進的なツールであり、立ち上げは若い知人にお願いした。しかしその後時代は進み、FBやツイッター、最近ではインスタグラムや動画などが主流のようである。そんな折、最近ブログを始めたAさんとBさん、以前からブログをやっていたCさんとが、駅茶で偶然一緒になった。3人にブログをやる理由について訊いてみた。

 

 若いAさんは、ブログは文章の合間に写真を載せたり、見た目を変えられたり、自分のペースで伝えることができるSNSです。自分が好きな観光や旅系のブログで、写真や動画を交えて地元の魅力を発信したいと考えていると教えてくれました。


 Bさんは、脳トレを兼ねてやっていると冗談を交えながら、今やれるうちに大好きな長井線の日常を写真と文章を交えて表現していきたいと思った、という。そしてインスタよりもブログの方が、自分のためになっている。自分が生きていること、生きていたことの証になってくれるかもと語ってくれました。

 

 CさんはBさんの「生きている証」という言葉にうなずきながら語ってくれました。写真だけでは撮影した瞬間の感情や、その時の思いなどが伝わりにくいし、いずれ自分の記憶からも消えてしまうように思う。だから、できるだけその時にどんなことを考えてシャッターを切ったのか、写真に写っていないところでどんなエピソードがあったのかなどを、記録に残そうと思いながら続けている。ブログは自分にとって日記代わりのもので、自分がこの世を去った後、家族や友人が読み返したとき、その写真や文章から、自分の姿などを想像してもらえたら最高だと思っている。

 

 3人のブログを覗くと、ステキな写真と共に丁寧なコメント(長井高校写真部では「ポエム」と言う)が添えられている。それを読むと長井線の沿線の草花や人々の暮らしへの優しい眼差しが見えてくるように思う。ブログでつながる輪が少しづつ、深く広がっていけばいいと思う。

 


 3人のブログをご覧になってみて下さい。

 → ながいせん日和 (fc2.com)

 → カマ鉄オモシー組合 (goo.ne.jp)

 → くうの旅ログ (travelwriter-kuu.com)

2024.08.24:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「軌跡、」に思う

  • 「軌跡、」に思う

 Y君の写真展が地元紙で紹介されたこともあって、駅茶にはたくさんのお客様が来られた。ちゃぶ台の上に置かれたパネルにはY君が写真家の仲井精也さん、故広田泉さんと並んでいる写真が飾られてあった。Y君のこれまでの軌跡の中で、こうした有名な写真家との出会いが大きな財産あるいは転機になったことを示すものだろう。

 そう思うと展示されている作品の中に、Y君の姿が見えて来るように思えた。小学校で初めてカメラを手にした時のこと。部長として頑張った高校時代。大学生になって実施した大学連携展示会のこと。そこには一緒に活動した友達がいて、恩師と呼べる先生との出会いがあったのだろう。自分の来し方を表現できるモノ(作品)があることを羨ましいとも思えてくる。

 「Yがお世話になっています。これからもよろしくお願いします。」と挨拶された。Y君のおばあさんだった。Y君の軌跡の中で、これまでず~っと温かく見守っていてくれた存在だっただろう。そしてこれからもずっと、ず~っと心配してくれる人なのであろう。この写真展はY君の多くの人への感謝の気持ちと、未来に向けた決意を示すものであろう。「軌跡」の後に続く句点「、」にY君の決意が伺える。さて、私にとっての「軌跡、」は・・・・・。

2024.08.20:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]