「30年の歩み」展から  駅舎がつなぐ『縁』

  • 「30年の歩み」展から  駅舎がつなぐ『縁』

 ここで広田泉さんと米屋こうじさん、山形鉄道の関係を改めて整理してみたい。東北大震災に見舞われた平成23年(2011年)のゴールデンウィークに、米屋さん主催の「東北の鉄道応援写真展」が西大塚駅で行われ、広田さんも参加されました。その後山形鉄道社長の提案で、改修になった羽前成田駅で山鉄主催の写真展を企画したところ、真っ先に手を上げてくれたのが広田さんだったそうです。

 

 「元気が出る鉄道写真展2011」は、10月15日から11月13日までに開催されました。年明けの2月4、5日には山形鉄道主催の「やまがた鉄道大学(米屋こうじ写真教室&モニターツアー)」が行われます。さらに同年4月23日から5月6日までは米屋さんが中心になって西大塚駅、成田駅、蚕桑駅で連携事業が行われます。西大塚駅では米屋さん、成田駅では永山さん(仙台市在住)が写真展を行い、蚕桑駅ではイルミネーションが設置されました。

 

 そして平成28年(2016年)10月22、23日には広田さんの企画提案による長井線祭り協賛の「3駅合同写真展」へと続いていきます。米屋さんが西大塚駅、広田さんが羽前成田駅、123(泉)の会の皆さんが時庭駅で展示会をしたのです。前夜は各駅の地元の方も招待して交流会も行いました。上がその時の写真ですが、お二人が映っている唯一の写真です。

 

 この時から10年の時が経ちました。広田さん亡き後を米屋さんが牽引してくれています。泉の会と米屋さんのグループが一つになって「泉米会」が誕生。今春、第1回写真展「心に灯る鉄道風景」が開催されました。「駅舎がつなぐ『縁』」と思えて仕方ありません。

2026.07.24:orada4:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「30年の歩み」展から 思い出にふさわしい場所を

  • 「30年の歩み」展から 思い出にふさわしい場所を

 おらだの会の歴史には、とても大事なことを教えられることがたくさんありました。ホーム側の庭園づくりもその一つです。

 平成25年の5月、NHKの趣味の園芸の講師をされていた玉崎弘志先生によるロックガーデンづくりが行われました。その際の資料が上の写真です。狭い空間ですが、玉崎先生が精緻に設計されていたことに驚きます。先生はその後体調を崩され令和2年7月に逝去されたそうです。

 

 平成30年9月からは、玉崎先生の後を継がれた勝山ミツ子先生から北側花壇の整備を指導していただきました。その際、こんなお話をされていました。「駅は出会いと別れ、旅立ちと立ち戻る場所。ここを訪れる人に安らぎを与え、思い出にふさわしい映える空間が必要だ。」と。

 

 ロックガーデンとベンチのある花壇。この場所に熱意を持って指導してくれた二人がいたことに思いを馳せながら、これからも大切に守っていきたいものです。

2026.07.22:orada4:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「30年の歩み」展から 米屋さん写真講座ツアー

  • 「30年の歩み」展から 米屋さん写真講座ツアー

 第1期の改修を行った平成23年(2011年)は様々な事業が行われて、羽前成田駅もおらだの会も大忙しの一年となった。10月の広田泉さんの「元気が出る鉄道写真展2011」に続いて、12月には会員の還暦列車も行われた。そして年明けの2月4、5日には、山形鉄道主催の「やまがた鉄道大学(米屋こうじ写真教室&モニターツアー)」が行われた。これが米屋さんとおらだの会との最初の出会いであった。平成23年は広田さんと米屋さんの二人の写真家と出会った記念すべき年となったのである。

 

 この出会いがなければ、今日のおらだの会の活動やフラワー長井線の姿もなかっただろうと思います。それらは山形鉄道の野村社長(当時)の後押しがあって実現したものでした。令和7年(2025年)2月に亡くなられた野村さんを追悼する冊子の中に、「『ありがとう』の反対語は、『あたりまえ』ってご存知でしたか」と題するエッセイがある。「あたりまえ」のことを「ありがたい」ものと考え、「ありがとう」と思うことが大事だとの論旨である。また、出会いが「縁もゆかりもない人」で終わるか、「ご縁で長いおつきあいになる人」かは、感謝の気持ち次第であろうと野村さんは続けている。

 追悼誌のサブタイトルは「人生で大切なことを『只見線』が気づかせてくれた」である。おらだの会の30年の歩みは、「駅舎の縁」そのものである。人生で大切なことを『駅舎』が気づかせてくれた。

2026.07.20:orada4:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「30年の歩み」展から おらだの会のお仕事風景

  • 「30年の歩み」展から おらだの会のお仕事風景

 活動の歩みを辿る時、どうしても残しておきたい一瞬があるように思う。平成23年(2011年)6月18日に地元の小笠原さんが撮影してくれたこの光景もその一つである。6月29日の第1期改修事業の竣工式を前にした「お仕事風景」である。写真にはサッシ戸を洗浄する宮崎会長と会員の姿があり、ホーム側ではセメント工事をしている様子が見える。

 

 ともすれば御披露目会当日の華やかさに目が行くのだが、その日のために様々な人の協力があり、窓を拭こうとした人がいたことを忘れてはいけないだろう。そして、その姿に気づいてシャッターを押す人がいることも。まさに世界はみんなの仕事でできている。そして、おらだの会の活動も.....。

2026.07.18:orada4:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

「30年の歩み」展から 20年前の成田駅

  • 「30年の歩み」展から 20年前の成田駅

 上の写真が編集されていた資料には、「平成19 年(2007年)10月6日調査」とある。登録有形文化財の認定申請に係る基礎調査的な位置付けであったかもしれない。

 駅正面の腰板部分は、白いトタン張りのように見えるが、山形鉄道開業当初(1988年)は、山鉄カラーの三色ペンキが塗られていたはずである。待合室にはビニール張りのソファーが二つあり、金網制のゴミ箱も見える。ビニール製の波トタンで囲われていたホーム側は昼でも暗く感じられ、波トタンの劣化もすすんでいた。

 おらだの会はこの4年後に、長井市のまちづくり基金の助成を受けて、再整備を行うことになるのである。荒んだ駅舎を目の前にして、再整備に立ち上がった会員の熱意を改めて思う。

2026.07.16:orada4:コメント(0):[駅茶こぼれ話]