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ローカル線の魅力を考える1(伊藤桃さん語録から)

  • ローカル線の魅力を考える1(伊藤桃さん語録から)

 昨年の12月に伊藤桃さんという鉄道アイドルとして沢山のファンを持っている方が、成田駅に降臨された。いわゆる「乗り鉄」の方で、インスタグラムにも毎日投稿されている方であり、つい先日まで山形鉄道の記事を掲載されていました。これを機会に、彼女のインスタグラムに上げられた言葉を拾いながら、ローカル線・山形鉄道の魅力と味わい方を考察してみたい。

 

 まずは、#(ハッシュタグ)が付けられた単語を拾ってグルーピングすると次のようになります。

(1)景色系(#車窓 #車窓から) (2)構造物系(#駅舎 #駅めぐり #木造駅舎 #登録有形文化財) (3)イメージ系(#国鉄 #国鉄時代 #昭和レトロ #気動車) (4)旅の名称(#ローカル線の旅 #ぶらり途中下車の旅 #乗り鉄旅)

 

 勝手に推論すると、「景色」という空間に身を置きながら、各人の「イメージ」を現出させる「構造物」に出会うのが「ローカル線の旅」「ぶらり途中下車の旅」の醍醐味である、と言えそうである。まずは、「景色系」について投稿された記事を列挙してみる。

・朝靄の中、赤湯駅をめざします。少しずつ変わりゆく空を眺めながら…

・YR880形気動車でごとごと…。のどかな朝の田園風景をながめつつ

・山々がのどかな車窓を眺めつつ…

 

 いかにもローカルな空間が広がる中、朝の空は刻々と色合いを変えていく。どこまでも続く田園と山々はのどかにのどかに広がっている。気動車の振動に合わせてゆっくりと景色が移っていくように、時間がゆったりと流れていく。旅人が味わうこんな豊かなひと時を、私達も大切にして暮らすことができればいいのだが。

 

 

【おらだの会】 記事の転載については本人の承諾を得ております。伊藤桃さんのブログはこちらからどうぞ

 ⇒ 【#奥羽本線 #山形鉄道フラワー長井線 】#週末パス の旅、2日目。*2枚目:朝靄... | 伊藤桃のオフィシャルブログ『B dreamygirl』Powered by Ameba (ameblo.jp)

 

2022.03.12:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

(21)長井駅でも貨物取扱いが廃止

  • (21)長井駅でも貨物取扱いが廃止

 昭和29年の旅客列車が気動車に代わってからも、SLは貨物列車を牽引していた。けれども昭和36年6月10日に梨郷、西大塚、時庭、羽前成田、蚕桑、鮎貝駅で貨物の取扱いが廃止となり、59634号は昭和47年に引退することとなる。

 

 昭和54年11月1日に宮内駅、今泉駅で貨物取扱いが廃止。翌年の9月10日には赤湯駅、そして最後の牙城長井駅も昭和57年11月15日に貨物取扱いが廃止となった。駅が物流の中心であった時代は終わり、主要な駅前にあった日本通運(愛称マルツウ)などの運送会社の建物も次第に姿を消すことになった。駅前の風景も変わり、長井線存続に向けた運動の時代へと入っていった。

 

さよならSLはこちらから

⇒ 「さよならSL」との再会:おらだの会 (samidare.jp)

 

 

 

【写真提供:佐久間信人氏】昭和47年「さよならSL」の際に撮影。写真右側に運送会社の建物が見える。

2022.03.10:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]

先生のお弁当

  • 先生のお弁当

 3月になると卒業式のニュースが流れて来る。時々、駅を利用するおばさんがいた。駅茶でお茶を飲みながらの世間話の後、その方の思い出話を聞かせてもらう機会があった。

 

 「私の家は子供が多くて貧しかったので、弁当を持って行けなかったことがあったんです。そんな時先生が、私の弁当を食べなさい、と言って食べさせてくれたんです。私は中学校を卒業すると同時に東京に出て就職しました。何年か前に退職して、今は誰もいなくなった実家に帰って来ました。その先生は成田の出身でしたが、若くして亡くなったと聞きました。この駅に降りると、優しかったあの先生のことを思い出すんです。」

 

 故郷に戻って来し方を振り返り、優しかった恩師のことを語る駅舎でのひと時。胸に記章をつけてもらい木造の体育館で歌った「仰げば尊し」が思い出される。コロナ禍の中であっても、思い出深い学校生活であって欲しいものだ。

2022.03.08:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

ここから始まる

  • ここから始まる

 3月11日を前に、駅の待合室に鉄道写真家広田泉さんの写真集「ここから始まる」を展示している。背表紙には「2011.11.11羽前成田駅大好き!」のサインが書かれている。震災のあった2011年は、広田泉さんとその仲間の人達との出会いの年である。広田さんは各地の被災地支援を行いながら、羽前成田駅にも足を運んでくれた。

 

 「ローカル線は地元の人たちのもの」「試されるのは地元の人たちの覚悟」「本当の応援とは私達外部の人間が来なくてもやっていけるようにすること」と語りながら、写真展などを開催しては私達と山形鉄道を応援してくれた。

 

 あれから11年になる。コロナ禍で活動もままならず途方に暮れた時、私達は広田さんの言葉を思い出し「ここから始めよう」と語り合った。それぞれが歳をとり、体調を気遣って生きる年齢になったけれども、広田さんはじめ多くの方々から届けてくれた心温まる声援を忘れない。

 

 南相馬市立小高中学校の生徒たちが震災後に皆で作詞した「群青」という合唱歌をテレビで知った。「またね」と手を振るけど/明日も会えるのかな/遠ざかる君の笑顔今でも忘れない/きっとまた会おう/あの街で会おう/僕らの約束は消えはしない/群青の約束/また会おう群青の街で

 

 被災された皆さんに改めてお見舞い申し上げると共に、羽前成田駅開業100周年の今年、ここで縁を結ぶことができた皆さんと元気な顔で再会できることを願っている。

 

一昨年の特別展のようす ⇒ ここから始まる!:おらだの会 (samidare.jp)

2022.03.06:orada3:コメント(0):[駅茶こぼれ話]

(20)昭和39年の光と影

  • (20)昭和39年の光と影

 長井線にディーゼルカーが導入されてから10年経った昭和39年(1964年)10月1日、東京~新大阪間に新幹線が登場した。夢の超特急である。その10日後の10月10日、アジアで初のオリンピックが開催された。日本中が熱狂の渦に沸き上がる中で、地方からは集団就職列車で若者が故郷を離れて行った。そしてこの時すでに長井線には暗い影が差していた。

 

 昭和36年6月10日に梨郷、西大塚、時庭、羽前成田、蚕桑、鮎貝駅で貨物の取扱いが廃止。昭和39年4月1日には羽前成田、蚕桑の各駅が業務委託駅となり、翌40年4月1日には梨郷、西大塚、時庭、鮎貝駅でも業務委託駅化された。

 

 以前、「成田駅の宝物Ⅰ」で使用済み用紙を利用した手作り封筒を紹介したが、そんな国鉄職員の努力をあざ笑うかのような大きな物流の変革が生まれていたのだ。昭和39年に国鉄は300億円の単年度赤字を出し、昭和41年度には繰越欠損を生じるに至った。昭和43年9月4日には国鉄諮問委員会から「廃止を検討すべき83線」が報告された。こうした動きをにらみ、昭和43年6月27日には、長井線存続既成同盟会が発足している。まさに昭和39年は光と影の分岐点であったのだと思う。

 

手作り封筒の記事はこちらから

 ⇒ 成田駅の宝物Ⅰ:山形鉄道おらだの会 (samidare.jp)

2022.03.04:orada3:コメント(0):[羽前成田駅100年物語]