しかし、村人の強いねがいにもかかわらず、工事は、こぶしが原というところから、なかなか先へすすむことができませんでした。
「せきが、くずれたぞー。」
「あぶない、にげろ。」
「それにしても、こぶしが原は、どうしてもだめだ。昔からあそこは、まのふちとよばれていた所じゃ。水が多すぎて、土手が次々にくずれてしまう。」
「しょせんはむりなことだったんだ。」
「この土地に田んぼを作るなんて、ばかげたゆめだったんだ。」
「みんなの気もちは、ようくわかる。でもな、今おれたちがやらなければ、だれがやるんじゃ。」
しかし、村人の強いねがいにもかかわらず、工事は、こぶしが原というところから、なかなか先へすすむことができませんでした。
「せきが、くずれたぞー。」
「あぶない、にげろ。」
「それにしても、こぶしが原は、どうしてもだめだ。昔からあそこは、まのふちとよばれていた所じゃ。水が多すぎて、土手が次々にくずれてしまう。」
「しょせんはむりなことだったんだ。」
「この土地に田んぼを作るなんて、ばかげたゆめだったんだ。」
「みんなの気もちは、ようくわかる。でもな、今おれたちがやらなければ、だれがやるんじゃ。」
その時、物かげからこの様子を見ていたおせきがかけよってきて、言いました。
「だんな様、わたしを人柱にしてください。おねがいです。人柱にしてください。」
「おせき、きゅうに何を言うのだ。そのようなことはゆるさん。」
「だんな様がみとめなくても、こぶしが原に身をなげて、神様におねがいするようにちかいを立てました。どうせ、死にゆくわたしでございます。どうか、一言おゆるしのお言葉をいただきとうございます。」
「おせき、お前は、それほどまでにわしらのことを・・・。おせき、お前の心、うれしく思うぞ。お前の命、決してむだにはしないぞ。」
「だんな様、おかみさん、長い間わたしをそだててくださってありがとうございました。このごおんは、一生わすれません。おふたりのしあわあせをあの世からおまもり申し上げます。それでは、さようなら。」
「おせきー。」
おかみさんは、柱にすがってなきくずれました。源右エ門は、その場に立ったままなきました。
それからしばらくして、おせきの思いが通じたのか工事はうまくすすみ、ぶじに「とちの木ぜき」がかんせいしました。
しかしその後、工事がせいこうしたことで身分が高くなった源右エ門をねたむ人が、おせきを人柱にしたことをやくしょにうったえ、そのつみで源右エ門は、しざいとなってしまいました。
その後、工事のせいこうのためにちからをつくしたおせきと源右エ門のたましいをくようするために、りっぱなくようとうがたてられました。
致芳地区に広い田んぼができたのには、こんな悲しいお話があったのです。
おしまい。
【おらだの会】この紙芝居は、致芳小学校3年生がふるさと学習の時間に制作したものです。おせきの供養塔に関連する記事はこちらからもご覧になれます。
→ おせき供養塔・栃の木堰跡 | 西五十川(にしいかがわ) | 致芳ふるさとめぐり | 長井市致芳コミュニティセンター (chihou-cc.org)
→ 成田村伝説№1 おせきの物語:山形鉄道 おらだの会 (samidare.jp)
日大山形高校放送部の生徒さんから、うれしい連絡をいただいた。同部の作品が、第46回山形県高校文化祭ビデオメッセージの部門において総合文化祭賞を受賞し、来年の8月には全国大会に出場することになったとの報告である。おらだの会の役員がインタビューを受けたのであるが、それが原因で入賞できなかったらどうしようと心配していたが、まずはホッとした。
見知らぬ街で、初めて会う“変な”大人達とのやりとりは大変だったろう。色々な情報と映像を5分という短い時間にまとめる作業も大変なものがあったろう。彼らはその中でどんなことを考えたのだろうか。タイトルが「おらだの成田」とのことであるが、その意味するところも聞いてみたいところだ。
今年は日本における鉄道開業150周年、羽前成田駅開業100周年の年、さらに地方鉄道の経営状況が公表された年でもある。生徒たちの作品を鑑賞させてもらいながら、改めて自分たちの活動の在り方を考えてみたいものだ。彼らの苦労話を聞くことができる日を楽しみにしたい。
取材の様子はこちらから