「おしょうしな」展の作品から  有るものが無かったら

  • 「おしょうしな」展の作品から  有るものが無かったら

 林さんの作品展のサブテーマは「車輌がない山形鉄道風景」である。そこで二つの作品から、「有るものが無いこと」の意味を考えてみたい。

 

 まず左の作品を見て欲しい。朝靄の中にレールが伸びている。ここに列車の姿があったらどうだろう。「刈り取りが終わった静かな田舎の朝だ」、「靄の中から列車が現れた」などの感想が浮かんでくるように思える。しかしながらこの作品の前に立つと、「この風景にどう感じるか」、「列車は来るのだろうか」などと思い巡らしている自分に気づくのである。有るもの(列車)が無い風景においては、自分が主役となってその場に立つことになる、そんな風に思うのだ。

 

 次に右の作品である。この作品を見られた方が、「懐かしい風景ですね。」と感想を語ってくれました。踏切をモチーフにした作品では、いすみ鉄道の「ここには何もないがある」のポスターが有名である。両者の違いは、いすみ鉄道のポスターには車輌はあるが、山並みや暮らしの風景がない点である。林さんの作品では、踏切の前に立つ現在の自分と故郷の想い出をつなぐ穏やかな時空間が生まれ、列車の音やレールの振動も懐かしい記憶の一部として聞こえて来そうなのである。さて、林さんの作品に車輌が登場(乱入)して来たら、果たしてどうなるのでしょうか。

 

 この作品に無いものが有ったら、逆に有るものが無かったら、などと思いながら鑑賞するのも面白いのではないでしょうか。もしかすると、作者の意図に近づく事ができるのかもしれない。

2026.06.15:orada3:[イベント情報]

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