朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

 朝日町にも義経伝説は残っています。
 義経は弁慶らを連れて平泉に逃れる途中、朝日町を通りました。八ッ沼のあたりで北の方が産気づき、弁慶は大いに困りましたが、ふと見ると、道のかたわらの松の大木の下からきれいな水が流れているのを見つけました。北の方はここで子を成した(産んだ)のです〜
 ちなみに大沼地区の大沼浮島稲荷神社には、弁慶がおいて行ったと伝わる笈が残されています。

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ぶどう栽培農家とワイン工場職員の熱意により人気のワインを造る朝日町ワイン。畑や工場を訪ね、総務部長の白田重明氏よりお話をうかがいます。

日 時 / 2010年9月26日(日)午前10時〜12時
集 合 / (有)朝日町ワイン ワイン城(朝日町高野)
案内人 / 安藤竜二
定 員 / 20人
参加費 / 500円(保険料込み)
申込み / 朝日町エコミュージアムルーム TEL0237-67-2128(月曜休)
    もしくは左下のお申込みフォームから。

座学で最上川の最大難所だった五百川峡谷の開削と舟運について学んだあと、実際に難所跡の黒滝・佐の原・大滝・三階滝等を訪ねます。

 日 時 / 7月11日(日)午前9時〜12時
 集 合 / 西船渡公民館
 案内人 / 若月啓二
 参加費 / 500円
 申込み / エコミュージアムルーム Tel 0237-67-2128
     
  
 

棚田百選に選ばれた「椹平の棚田」を、早苗の緑に覆われる風景を散策し、ヒメサユリ咲く一本松公園でお弁当を広げます。
日時 / 平成22年6月12日(土)午前10時〜12時半位
参加費/500円
定員/15人
案内人/宮本建一
申込み /4日前まで
エコルーム Tel 0237-67-2128 まで(月・木休み)
もしくはお申込みフォームより。
 ため池百選(農水省)に大谷のため池群が選ばれましたが、その中の一つ睡蓮が咲き誇る谷地山のため池を訪ねます。10年以上前に、沼に棲む在来メダカを守るために一株だけ植えたものが増えたそうで、現在は多くの人が訪れるスポットになりました。所有者の渡邉勝美さんにお話をうかがいます。大谷郷や朝日連峰を一望できるビューポイントも訪ねます。

日 時 / 6月20日(日)午前10時〜
集合場所/秋葉山交遊館(朝日町北部公民館・大谷小学校の隣り)
参加費 / 500円(保険料含む)
主 催 / 朝日町エコミュージアム案内人の会
申込み /定員に空きがありますので当日参加歓迎いたします。ただし、保険は加入できません。
詳細は / エコルーム Tel 0237-67-2128 まで(月・木休み)
もしくは左下お申込みフォームより。

 
 高田山には、朝日町で最も身近なブナ林があります。毎年少しずつ地区を挙げて散策道を整備中です。今年も、そのルートを高田地区の皆さんが案内して下さいます。途中にはヤマナシの大木や、地区で育ててきた杉林、伝説の残る地獄沼、かつての朝日修験者の古道もあります。晴れていれば朝日連峰も一望できます。 
日時 / 6月20日(日)午前9時半集合 10時出発
集合 / 高田公民館
その他 /・山歩きの服装で ・飲み物、おにぎり等ご持参下さい。

問合せ・申し込み先 /
・エコルーム TEL・FAX 0237-67-2128 
 ※左下のお申し込みフォームもご利用下さい。
・佐竹啓次さん(高田区長)TEL0237-67-7641
 〆切は18日

主催 / 高田区
協力 / NPO法人朝日町エコミュージアム協会

  
 五百川峡谷ビューポイントにも推薦された川通地区の最上川河岸に整備されたフットパスを歩きます。五百川峡谷ならではの切り立った川岸を対岸に眺めながら、船着き場跡や集落内の八坂神社も訪ねます。
日時/6月27日(日)午前9時〜11時位
定員15人
案内人/堀敬太郎
参加費/500円
申し込み/3日前まで エコルーム Tel0237-67-2128へ
※定員になり次第〆切らせていただきます。お早めにお申し込み下さい。
→参考
 一本松農村公園のヒメサユリが咲き始める頃、棚田百選に選ばれた「椹平(くぬぎだいら)の棚田」は早苗の緑に覆われます。一緒に訪ねてみませんか!朝日町ふるさとミニ紀行Vol.1(朝日町エコミュージアム案内人の会)

日時 / 5月23日(日)午前10時〜12時半
参加費 / 500円(資料・保険代)
集合 / 能中公民館
定員 / 15人
案内 / 宮本建一
※弁当、飲み物ご持参下さい
申込み / 
エコルーム Tel 0237-67-2128 まで(月・木休み)
もしくは左下お申込みフォームより。〆切5/20

大正6年(1917)
7月26日、父弥太郎、母たけの次男として朝日町大字上郷字宇津野に生まれる。本名巳芳(みよし)。上郷小在学時代の成績は優秀で、三年より卒業まで級長を務める毎年学術優等を受け、卒業の際は町長賞も受けている。
           
昭和7年(1932)
10月上京。東京湯島の前田薬局に、兵隊検査までの約束で住込の店員として勤務この頃より詩作をはじめる。万葉調の和歌も試みる。16才
  
昭和11年(1936)
11月詩誌『モラル』(泉与史朗主宰)の同人となり、「土曜会」に出席するようになる。20才

昭和12年(1937)
7月 壮丁検査を受け第二補充兵となる。前田薬局退職。郷里上郷に居て3ヶ月郷土史の調査。
9月 泉芳朗の世話で東京都板橋区志村連沼金門金属工業所に入所。
12月 山形詩和会の会員となる。21才。

昭和13年(1938)
続々と作品を発表する。山形の詩人たちとも多くの交わりを持つ。
4月 『簇』佐藤総右氏編の同人となり、「職工生活」を発表。
7月 西五百川青年団機関紙『旭華』に郷土史小説「新五百川軍記」を連載。
11月 『詩現実』蒲生直英編の同人となり、一遍発表。22才。      
  
昭和14年(1939)
『詩生活(モラル)』廃刊。最後の4月号に「飢えてみろ」発表。
7月 『新日本詩年鑑』に「錆」を発表。
7月〜8月 教育召集のため青森県弘前連隊に入隊。
同人詩誌の発行を計画するも成らず。23才 

昭和15年(1940)
『旭華』に「奉祝二千六百年」を発表。
双関の関節炎リウマチの疼痛に苦しむ。24才。

昭和16年(1941)
『北の村落』発刊。
2月より編集。5月に日本学芸新聞より発表。高村光太郎に序文を願い、鮫島慶江が編集から発刊まで手助けする。
助膜炎を併発四ケ月休職の後、6月いったん退職。
6月 足不自由なため、記録補として再び同工業所に入所。
亡くなる一週間前までこの仕事を続ける。25才。

昭和18年(1943)
腎臓結核に尿毒症を併発し。5月12日飯田橋日本医科大第一病院で死去。27才。