朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
栗木沢地内の川原に、小山のような白っぽい砂岩が長く連なっていて、その先に青々とした最上川の清流が見える。こんな景観を面白岩と言ったのだろう。
大正3年(1914)頃、大隅の菅井長蔵という人が、面白岩を使って養蚕用の暖炉を考案し、「安全だんろ」の名で新案特許を取り、大量生産をはじめた。養蚕が盛んな時代だったので、注文が殺到し、年間3000個以上販売し、石工が18人もいたと言われていた。県内一のかまどの産地として有名になったそうだ。 以前は左岸側を水が流れておらず、昭和40年の羽越水害から現在の流れになった。 お話 : 堀敬太郎さん 平成20年 ※写真は志藤富男氏所有の安全だんろ(縦33cm、横60cm、高28cm) →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
五百川峡谷は、川岸が切り立った崖になっているために人の手が入らず、豊かな自然が残り、様々な生き物たちのサンクチュアリ(逃げ場)になっています。特に鳥類が多く、奥山に生息するヤマセミも度々見かけることができます。バードウォッチングに最適な場所と言えます。
姉崎一馬さんのお話 →五百川峡谷の自然の素晴らしさ →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
昭和39年(1964)最上川で初めての吊り橋として、今平〜大瀬の渡船場に、朝日・白鷹両町により架橋されました。大瀬の「大」と今平の「平」の字を使って「大平橋」と名づけられたそうです。500枚以上の渡り板が貼られた橋上からは、スリルと共に美しい五百川峡谷の風景を眺められ、人気のスポットとなっています。昭和の終わりにはNHKテレビの人気ドラマ「おしん」の撮影にも使われました。
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最上川で唯一の発電用ダムが、昭和37年(1962)に完成しました。23.5mのダムを築いて水をせき上げ、その落差で放水しタービンを回して発電しています。年間発生電力量は約8000万キロワット、一般家庭約2万戸分の発電を行い、朝日町や山形市に供給しています。
ダム湖には釣り人が多数訪れ、流し網による鮎漁も盛んに行われています。ダム湖畔には魚供養碑があります。 東北電力(株) 笠原信年さんのお話 →上郷ダム発電所について 柴田つやさんのお話 →上郷ダム建設の思い出 →アクセスマップはこちら →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
上郷地区は、詩人「海野秋芳」(うんの・しゅうほう)が生まれ育った村です。
大正16年(1917)上郷宇津野に生まれた秋芳は、16歳で上京し、薬局店員として働きながら詩作を始めます。二十歳の時、泉与史郎に師事し詩誌『モラル』の同人となり、それから数多くの詩を発表しました。詩人の高村光太郎、草野心平らとも親交を深め、昭和16年(1942)25歳の時、高村光太郎に序文を贈られて詩集『北の村落』を刊行します。しかし、二年後の昭和18年(1943)秋芳は腎臓結核を患い27歳の若さで亡くなってしまいます。 詩集『北の村落』には、戦争、農民、工場労働者など弱者の悲哀や叫びが綴られてあり、高村光太郎の「序」は、戦時下の世に刊行するこの詩集を、弁護するように表現されてあることがとても興味深いものとなっています。 →高村光太郎の序文 →詩集『北の村落』より詩7編 →詩人松永伍一氏の寄稿文(山形新聞) →海野秋芳略年譜 →遺品 →シンポジウム 報告(PC)2004.12 →上郷地区見学会 報告(PC)2004.12 →朗読CD 詩集『北の村落』(平成21年) |
江戸時代、大庄屋佐竹長右衛門家は、米沢藩の通船差配役を勤めた家柄です。船子(水主)雇い、綱手道の管理、梁仕掛けの管理、破船の救出における人足割り当て、払い米(濡米)の世話など、安全な通船を図る仕事をしていました。「佐竹家住宅」は、元文5年(1740)に建てられたもので、現在も佐竹さんご家族がお住まいです。見学申込みはエコルームへ。 →佐竹家住宅について/鈴木治郎氏(pdf) →佐竹家住宅見学会 →アクセスマップはこちら →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
上郷ダム湖畔を見下ろす高台に昭和56年(1981)開業。
作品には、植物の絵が女性的なやさしいタッチで描かれ、工房で開かれる年に一度の作品展には多くのファンが訪れている。 代表 柴田とみ子氏 住所 朝日町大滝542 電話 0237- 67-3710 柴田とみ子さんのお話 → ほおずき窯について |
舟運時代、最上川最大難所といわれた五百川峡谷には大難所5ヵ所(朝日町内4ヵ所)、難所15ヵ所(朝日町内11ヵ所)があり、多くの船が転覆しました。流域にはニ渡(荷渡・仁和足)神社など、安全舟運を祈願したとされる神社がいくつもあります。
大難所“三階の滝”に続く難所“天神巻き”のある助ノ巻には、上杉家が改修したとされる天神宮があります。社殿棟札には「上杉喜平治」の名前が書かれてあります。天神巻きで助けることがたびたびあったので「助ノ巻(すけのまき)」になったと云われています。神社裏の崖下が天神巻きです。 →上杉喜平治の棟札写真(撮影/若月啓二氏) →アクセスマップはこちら →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
大難所八天(四ノ沢)でも、度々船が転覆し舟人が溺れ多くの積荷が沈みました。享保8年(1723)米沢藩ではこれを深く憂え「これは魔神の祟りならん」と、家臣を川底に潜らせたところ、燦然と輝く神玉石が見つかりました。さっそく川辺に稲荷大明神としてこれを祭り、宮宿村大庄屋鈴木惣三郎を別当としたのだそうです。 安政5年(1858)に現在地に移転されました。
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ここで取水された水は,9.1kmのトンネルを通り山形市、山辺町、上山市、天童市など山形盆地の農地で使用されています。全体で使用する水のおよそ半分の量を五百川峡谷に頼っているそうです。工事にあたり18人の尊い命が犠牲になりましたが、昭和58年江戸時代からの悲願が成し遂げられました。(国営最上川中流農業水利事業 )
仁藤輝夫さんのお話 →山形盆地を潤す五百川峡谷の水 →アクセスマップはこちら →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
カヌーランドのあるかつての難所“面白の瀬”左岸(通称タンの瀬)は、フリースタイルカヌーにとって国内ベスト3に入る流れと絶賛されており、週末には全国から愛好家が訪れています。全国レベルの大きな大会も開かれています。上級者は、飛んだり跳ねたり、前回りをしたりと曲芸のような演技を見せてくれます。また、上流の雪谷地点から、断崖に残る原生自然の中を、連続する瀬をクリヤしながら川下りするのも人気となっています。
毎年9月の第3日曜日には、カヌー愛好家ら有志がつどい、川下りしながらゴミを拾う五百川峡谷クリーンアップ大作戦が開催されます。 ※トイレ、脱衣所、駐車場あり。 大井寛治さんのお話 →カヌーの魅力 〜瀬〜 →カヌーの魅力 〜風景〜 庄司克史さんのお話 →カヌーランドのこと →アクセスマップはこちら ※明鏡橋より県道9号を上流へまもなく道下にカヌーランドの建物が見えます。 →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
カヌーランド(通称「タンの瀬」)は、全国屈指の激流ポイントです。休日に限らず、カヌー愛好者たちが全国各地から集結し、年間を通してにぎわいを見せる知る人ぞ知るメッカの地です。雪解けの頃には、世界選手権の第一次予選会を兼ねた選抜大会も開かれます。
カヌーをしに最上川に通いはじめて15年。最初の頃は、川に入るたびに目がチカチカしたり、口や鼻に臭みが残ったり、そんなことが多々ありました。しかし、ここ最近では、水がきれいになっているのをすごく感じています。 お話 : 庄司克史さん(SOIL-W-PLAY代表) 平成18年11月 五百川峡谷シンポジウムにて →ガイドブック『五百川峡谷』 →五百川峡谷の魅力 →五百川峡谷エリア |
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佐藤五郎さんのお話
→五百川峡谷の水質浄化力
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