朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

 「日当りの良い日の午前10時半過ぎになると、はげ(明神断崖)の岩壁に、舟形光背の観音様の影が現れる」(真中・堀庄一さん談)ことで話題となっています。よく見ると、徳昌寺(用)のご本尊でもある右手を頬によせ首をかしげる如意輪観音の立ち姿に見えます。真中の稲荷神社や昌城院からよく見ることができます。

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 明神断崖頂上に鎮座している厳島神社は、大永2年(1522)に、徳昌寺の領山和尚が弁財天を祀り再建した旧弁財堂です。天保14年(1843)稲荷明神を合祀しました。明治の神仏分離令時に市杵嶋姫命を祀る厳島神社となりました。対岸の舟渡山ノ神社のものと同じ年享和3年(1803)に奉納された大江町で一番古い前句付けの俳額や、朝日町中沢の掘次郎右ェ門(周玉)作の騎馬武者絵馬と俳額があります。

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 厳島神社には三枚の竜の絵馬が奉納されています。社伝には「当社右に竜神ありと言い伝う。懸崖に穴あり故に穴山と云う。里人祈願の時穴の辺りに新餞を供えて祭る。按ずるに龍神はおかみ神を云う。」とあります。
 用地区の斉藤高治さんによると「戦後頃までは竜の穴に生卵を供えて祀っていた」と。似ている竜の絵馬は対岸の舟渡山ノ神社にも1枚あります。
※参考文献『海牛の里』(用公民館・編著/斉藤高治)

 明神断崖のあたりには、朝方に最上川から上がる細長い雲(霞)がよく見られますが、この写真は絵馬と同じ口を開けた竜の顔に見えたもので、竜神信仰の里に現れたとして話題となりました。(2008.10月)
参考写真(PC)
 明神断崖(用のはげ)頂上の厳島神社裏から朝日連峰大朝日岳を正面に、美しい朝日町の風景を眺望することができます。足許に注意。

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明神断崖と周辺風景(PC)
 この追分石は、大沼浮島経由で出羽三山にお参りする人達のための道標でした。上部には大日如来(湯殿山権現)を表す梵字が記され、右側に文政5年壬午年(1822)大や村、中央に「右大ぬま山、左よねさハ」と刻んである。
 もとは山の上の旧道に建っていたものが何回かの道路改修で現在地に移動したといわれています。
※『大谷郷』より抜粋

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 粧坂の墓地に高さ50センチメートルの五輪塔二基が建てられています。この塔はその形式から室町時代(1393〜1573)のものと推定され、小野清七・惣兵衛両家で建てたという記録が残っています。
 当時このような五輪塔を建てるには相当な格式と財力が必要だったとされますが、両家ともかなりの繁栄を誇っていたと伝えられています。
『大谷郷』より抜粋

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※国道287号線より粧坂地区へ向かい集落にはいる手前の墓地内にあります。
 月山権現領として天正12年(1584)一石六斗の土地を大江氏からいただいたものです。別当の小野家は代々「おつきやま」という屋号で呼ばれています。
※『大谷郷』より抜粋

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※個人所有地にに立ち入らないようお願いします。
 祭神は建雷命で区民からは「雷神様」と呼ばれ親しまれています。電力会社の人が雷が落ちないようにとお参りに来ることもあるそうです。毎年4月20日の祭りの日には多くの参拝者で賑わいます。
※『大谷郷』より抜粋

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 朝日町で唯一のめずらしい神社です。祭神は腰族の神といわれる腰王で、特に耳と腰の病の人が信心するとご利益があるといわれ、奉納するならわしの河原で拾った「穴あけ石」が、お堂の前に数十個供えられています。大江町所部の腰王神社から分霊されたといわれており、村人は「おこしゅうさま」と親しみをこめて呼んでいます。

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※国道287号線から中沢に向かい、粧坂へ入る道の次の細い農道を登ります。
 ご本尊は弘法大師が作ったといわれる延命地蔵尊で、真濟上人がここに一寺を建立し延命山地福寺遮那院としたと伝わります。真濟上人は弘法大師空海の高弟で、空海が真言宗を開いた京都高雄の神護寺の二世であり、真言宗ではじめて僧正という高い位についた人です。
 正徳元年(1711)春、井戸を掘った時に、土中から古仏の地蔵菩薩が現れたので本堂に安置し本尊物として祭りました。その際に遮那院を福寿院に改めたといわれています。
五百川三十三観音31番札所(聖観音) 朝日町中沢585-1
五百川三十三観音縁起
五百川三十三観音霊場一覧
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 よだれ地蔵様は、よだれや疳を治してくれる子育て地蔵です。今でも遠くから参拝に来る人が大勢います。祈願の時は小豆餅を供え、地蔵様の口元にあんこを塗り、小豆餅断ちを約束し、治った時は地蔵様に帽子やよだれかけ、鐘の緒とともにお菓子を供えてお礼参りをします。
 江戸時代の中頃、楯岡から運ばれていた地蔵様の荷車が突然動かなくなり、地蔵様が「私はこの美しい地にとどまり、民衆を救いたい」と言いました。村人達は大喜びし、お堂を建てて祭ったのだそうです。
※『大谷郷』より抜粋

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「八ッ沼の七不思議」の一つ。 湖底に雌雄の竜神が住むと伝わるこの池の水は常に澄んでいますが、村に何か禍いが起こる時や、世の中に異変が起きる時に水の色が赤くなると云われています。湖面に木の葉一枚浮いていないのは、沼のお姫様が毎朝掃除するからとも伝わり、渇水すると見える夫婦岩は「八ッ沼七名勝」の一つとなっています。周囲は遊歩道が整備され、自然と歴史を楽しめる散歩コースとなっています。週末にはヘラブナやコイ釣りで賑わっています。

小松寿一さんのお話
八ッ沼の伝説・名勝
八ッ沼部落の名称

-伝説 - 八ツ沼七不思議紀行(PC)

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 永正元年(1504)八ッ沼城主三代原美濃守慶秀が、信仰していた春日明神を勧請しました。明治期には西五百川村の総鎮守として村社に列挌。祭神天児屋根命、武みか槌命、外四柱。例祭日は8月15日。旧暦のうるう年には神輿渡御、八ッ沼獅子踊り、奴振りなどの大名行列が盛大に行われます。「八ッ沼七名勝」の一つ。

八ッ沼の大名行列
八ッ沼の獅子踊り
八ッ沼の奴振り
八ッ沼エリア
関連書籍『八ッ沼物語』
2009年春日神社大祭の様子(PC)
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※椹平の棚田へ向かう道路の最後の民家より左へ入ります。参道は狭いのでお気をつけ下さい。神社裏の農面道路からも入れます。

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 春日神社例大祭(8月15日)の旧暦うるう年に伝統の大名行列が行われています。
 この大名行列の起こりは、寛政年間(1789〜1800年)と云われています。その当時、左沢百目鬼川原の領地をめぐって争いがおこり、なかなか解決しませんでした。そんな時、旧夏草村の佐竹文右ェ門という人が証人として発言をし、無事に解決をすることができました。左沢領主であった酒井候が褒美をとらせると言ったところ、佐竹文右ェ門は「このたびの問題解決は春日神社のご加護のおかげです。大名行列の許可を賜わりたい」と願い出て、許されたものと伝えられています。
 大名行列では、伝統芸能の「八ッ沼獅子踊り」や「奴振り」も披露されます。
(『八ッ沼物語』より抜粋)
※上記ダウンロードボタンより大名行列のお通り絵図(コース)を取り出せます。

大名行列の様子(2009年)
八ッ沼 春日神社
八ッ沼の獅子踊り/田川順一さんのお話
八ッ沼の奴振り
八ッ沼エリア
関連書籍『八ッ沼物語』