朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

 宗古録によると、寛文年間(1661〜72)に宝日上人が現在地に開山したとされますが、天文年間(1532〜54)には根合田山麓の寺屋敷という所にあったとも伝えられています。火災により記録は失われましたが今も古井戸などの屋敷跡が残っています。ご本尊は弘法大師の自作といわれる安産子育て地蔵です。最上48所地蔵尊の第23番。五百川三十三観音第22番札所。朝日町和合1029
※参考文献/『ふるさと朝日町散歩』町広報委員会 
五百川三十三観音縁起
五百川三十三観音霊場一覧
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※本堂の拝観希望の方は宗覚院に直接お伺い下さい。
 大谷には睡蓮が咲き誇る美しいため池があります。“谷地山三連ため池”の一つで、毎年6月中頃に最盛期を迎えます。所有する渡邉勝美さんが10年以上前に、沼に棲む在来メダカを守るために一株だけ植えたものが増えたそうで、現在は多くの人が訪れるスポットになりました。また、ため池までのアプローチも様々な花で彩られ、美しい田園風景の中を歩く事ができます。

渡邉勝美さんのお話
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※看板はありませんが、ため池下の棚田に彩られた菖蒲やアザミが目印です。県道9号線に駐車して徒歩で数分。
※午後になると花は閉じてしまいますので、午前中にご覧下さい。
※睡蓮やメダカの採取は絶対になさらないで下さい。
秋葉山エリア(大谷)
 水上神社は、元禄10年に悲願だった和合堰の開削を記念して建立されたと伝わります。和合堰の開削は送橋川より水を引く大工事だったそうです。その後、文久3年(1863)に「水上神社」の社号が許可され、和合堰の守護神、地区の鎮守神として現在に至っています。毎年4月に村を挙げて盛大なお祭りが行われています。
※参考文献 / 『ふるさと 朝日町散歩』(朝日町広報委員会)『郷土学習辞典』(阿部美喜男編著)
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 湖畔に鎮座する水神神社の神池。釣りや散策など地区民の憩いの場となっています。

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五百川峡谷ビューポイント。リンゴ畑に囲まれた校庭を進んだ眼下に、大きく曲がりうねった最上川を挑める。翠碧の川面は四季折々に美しい表情を見せる。
  撰/川勝節子さん(大江町)

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※無断でりんご園に入らないようお願い致します。
 豊龍公園のある経ヶ崎は、豊龍館(ほうりゅうたて)のあった場所です。戦国期の鳥屋ヶ森城主(館山)岸美作守の館と考えられています。

鳥屋ヶ森城跡
豊龍神社
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撮影場所
能中経壇からの風景
 福昌寺は、永禄元年頃(1558年)、館山鳥屋ヶ森城主岸美作守義満の菩提寺として鳥屋ヶ森根小屋に創建されました。しかし、戦国期の五百川合戦により最上義光に滅ばされ焼失します。後に三本木に寺を再建し、熊野権現社地が開拓された天正17年(1589)に現在地に移りました。境内には岸美作守義満の墓碑があります。
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 甲斐の武将武田家を先祖とする雲沢寺は、慶長5年(1600)送橋に一寺を建立したのが草創とされます。
 寺伝によると、宝徳元年(1449)武田信玄の祖父の弟にあたる武田信安が出羽に下向し、最上氏により山辺町高楯城主となります。信安17歳の時、水利の便が悪いことを知り玉虫沼を築堤しますが、水源地となる周辺一帯は鳥屋ヶ森城主岸氏(朝日町新宿)の所領であったため自領だった末吉良村(朝日町宮宿元町一帯)と交換しました。
 文明3年(1471)最上義春の命により葦名戦争に参加しますが大敗します。信安は人生の無常を感じ仏門に帰依し、鬼の目山谷に草庵を建立し戦没武士の菩提を弔いました。これが山辺町の了広寺です。
 そして慶長5年(1600)、了広寺四世西心法師が住職を長男宋賢にゆずり、三男宋察を連れて送橋村に来て雲沢寺の草創の一寺を建立したのです。その後、宮宿に再建しましたが宝暦7年(1757)と明治10年(1877)に大火に見舞われ全焼しました。送橋の経塚に仮堂を建てて8年ののち、宮宿森林(旧宮宿中学校跡 緑ヶ丘)に移り、その後現在地に再々建となりました。
 浄土真宗大谷派。ご本尊は阿弥陀如来。総高60センチ肩幅22センチの立像は寛永16年(1639)の作と伝わります。
※抜粋 / ふるさと朝日町散歩(長岡幸助・朝日町広報委員会)
※本堂見学は直接お問い合わせ下さい。
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 別当柴田七郎兵衛氏の記録によると、宝永年間(1704〜1710)に再建されたと伝わる太子堂は、元は朝日岳信仰の参道で六反の渡しがあった清水に建立されていたそうです。明治20年(1887)頃に、稲荷様が祭られていた現在地に再建されました。また、後に阿部文作氏寄進による弘法大師像も祭られました。江戸初期の製作とされる聖徳太子像を中心に稲荷様、弘法大師の三体が合祀されています。
※抜粋/『ふるさと朝日町散歩』(長岡幸助・朝日町広報委員会)
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 鈴木酒造は、朝日銀山の歴史とともに創業した300年の歴史を誇る県内一小さな酒蔵です。松嶺藩の令官小笠原左衛門佐源経政を先祖とし、四代鈴木和泉経元は四の沢堰開削に尽力しました。屋号は「以津美屋」通称「マルシメ」。機械化も最低限で、もろみの温度管理や仕込み時期は、もろみの音を聞いて判断する昔ながらの製造法を続けていらっしゃいます。
 昭和47年に共同ビン詰めによる合理化と品質向上のため(株)設楽酒造店(西川町)(株)八幡屋酒造店とともに、月山酒造株式会社(寒河江市)を設立しました。代表銘柄に「銀嶺月山」や「豊龍」があります。

※見学は年に一度開催される見学会へどうぞ。詳しくはエコルームまで。
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おらほの地酒!朝日町の酒蔵を訪ねる (見学会H16)
フォトギャラリー(PC)

 
 火伏、盗難よけ、安産の神様として親しまれている宮宿栄町の伊豆大権現神社には、樹齢およそ700年とされるご神木のエドヒガン桜があります。4月22日のお祭りは、のぼり旗を上げだんごやゆべしの店も出され賑やかです。毎年花の季節には地元有志によりライトアップも行われています。

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伊豆大権現神社
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 伊豆国の伊豆大権現(静岡県熱海市の伊豆山神社※明治に改称)の分霊を勧請したとされる。創建年代は不詳だがご神木のエドヒガン桜の樹齢はおよそ700年とされる。ご神体には「伊豆大権現一宇為□□、万年豊穣、安全火盗消除、宮宿村、鈴木長吉」他の御神札には「奉勧進伊豆大権現、諸大眷属開眼、降魔□□、慶応三年丁卯年」と墨書されている。
 例祭は4月23日(旧暦3月15日)。火伏、盗難よけ、安産の神として厚く信仰されている。
※『ふるさと朝日町散歩/長岡幸助氏』より抜粋

伊豆大権現の種まき桜
静岡・伊豆山神社
※伊豆山神社ご神徳
一切の生物の親神として、生命の充実、発展の御守護を土台として、国の護り、産業、事業、経営の護り、良縁の護り、 殊に禊道、錬成の御導きの御神威は著しく、火防鎮火、温泉守護の御神徳弥高くまします。
 平成10年、町の新しい産業創出を願い南アフリカから9羽のダチョウが輸入されました。寒暖の差に強く、飼育による環境負荷もなく、遊休農地の有効利用にもなっています。ダチョウの肉は、低脂肪・低カロリーなのに良質なたんぱく質や鉄分が豊富に含まれており、健康志向の現代にマッチしたヘルシー食品です。また、生食のほか加工食品や脂肪を使った石けんやクリーム、皮革製品も販売しています。展示團では常時50羽から100羽が放牧されています。
(有)山形朝日オーストリッチ産業センター TEL 0237-67-3101
→参考サイト ペロリンが行く(おいしい山形)
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 大谷集落の南西方向に標高247.5mの真木山があります。大江、伊達、最上の三勢力が争う戦国時代、ここは真木山城とよばれた城であり、東方にある秋葉山楯、北東の位置にある猿田楯とともに敵からの攻撃に備えました。
 天正12年(1584)血縁関係にあった大江高基が最上義光により滅ぼされた時、城主大谷彦次郎元秀は平塩池之坊に婿養子として亡命します。家臣達は農民となり大谷党を組織し時勢の訪れを待ち続けました。
『大谷郷』より抜粋
※登山不可。秋葉山交遊館から見て西の山です。
真木山と大谷の周辺風景
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秋葉山エリア(大谷)