朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

 朝日町のりんご栽培は100年をこえる長い歴史があります。
 そのりんごの名前を冠した「りんご温泉」は、平成3年(1991)朝日連峰や月山・葉山をのぞむ高台に作られました。肌がつるつるになるナトリウム温泉は美肌の湯として人気があります。また、山並みを一望できる露天風呂や、四季折々の旬の味、地元産品のお土産コーナーなど、りんご温泉ならではの時間を楽しむことができます。

営業時間 
【入浴】8:00-21:00(12月-3月は9:00から)
【レストラン】11:00〜16:00
定休日 毎週水曜日(祝日の場合翌日)
料 金 300円(小人200円)
住 所 〒990-1442 山形県西村山郡朝日町宮宿1353-1
電 話 0237-67-7888
公式サイト

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 常陸宮殿下は、妃殿下と共に平成10年10月に「世界のりんご園」をご視察になられました。常陸宮殿下はこの思い出を新春恒例の宮中行事「歌会始の儀(平成11年1月)で詠み下さいました。「山形の青一色の空の下 赤きりんごをわれは手折りぬ」

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※世界のりんご園内東屋付近にあります。
 大難所八天(四ノ沢)でも、度々船が転覆し舟人が溺れ多くの積荷が沈みました。享保8年(1723)米沢藩ではこれを深く憂え「これは魔神の祟りならん」と、家臣を川底に潜らせたところ、燦然と輝く神玉石が見つかりました。さっそく川辺に稲荷大明神としてこれを祭り、宮宿村大庄屋鈴木惣三郎を別当としたのだそうです。 安政5年(1858)に現在地に移転されました。
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※清野建設さんの奥です。
およそ30種類の朝日町ワインを試飲し購入することができます。運転なさる方はワインに使うぶどうのジュースでワインの質を確かめることができます。営業時間/4月〜10月9:00〜17:00 11月〜3月9:00〜16:00 年末年始以外は無休営業。
 毎年、秋分の日に朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」の芝生広場でバーベキューを楽しみながら朝日町ワインを味わえます。
 日時 / 9月23日(秋分の日)※前売り券が必要です。
(問)ワイン祭り実行委員会 TEL 0237- 67-2111
 宗古録によると、寛文年間(1661〜72)に宝日上人が現在地に開山したとされますが、天文年間(1532〜54)には根合田山麓の寺屋敷という所にあったとも伝えられています。火災により記録は失われましたが今も古井戸などの屋敷跡が残っています。ご本尊は弘法大師の自作といわれる安産子育て地蔵です。最上48所地蔵尊の第23番。五百川三十三観音第22番札所。朝日町和合1029
※参考文献/『ふるさと朝日町散歩』町広報委員会 
五百川三十三観音縁起
五百川三十三観音霊場一覧
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※本堂の拝観希望の方は宗覚院に直接お伺い下さい。
 大谷には睡蓮が咲き誇る美しいため池があります。“谷地山三連ため池”の一つで、毎年6月中頃に最盛期を迎えます。所有する渡邉勝美さんが10年以上前に、沼に棲む在来メダカを守るために一株だけ植えたものが増えたそうで、現在は多くの人が訪れるスポットになりました。また、ため池までのアプローチも様々な花で彩られ、美しい田園風景の中を歩く事ができます。

渡邉勝美さんのお話
フォトギャラリー(PC)
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※看板はありませんが、ため池下の棚田に彩られた菖蒲やアザミが目印です。県道9号線に駐車して徒歩で数分。
※午後になると花は閉じてしまいますので、午前中にご覧下さい。
※睡蓮やメダカの採取は絶対になさらないで下さい。
秋葉山エリア(大谷)
 水上神社は、元禄10年に悲願だった和合堰の開削を記念して建立されたと伝わります。和合堰の開削は送橋川より水を引く大工事だったそうです。その後、文久3年(1863)に「水上神社」の社号が許可され、和合堰の守護神、地区の鎮守神として現在に至っています。毎年4月に村を挙げて盛大なお祭りが行われています。
※参考文献 / 『ふるさと 朝日町散歩』(朝日町広報委員会)『郷土学習辞典』(阿部美喜男編著)
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 湖畔に鎮座する水神神社の神池。釣りや散策など地区民の憩いの場となっています。

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五百川峡谷ビューポイント。リンゴ畑に囲まれた校庭を進んだ眼下に、大きく曲がりうねった最上川を挑める。翠碧の川面は四季折々に美しい表情を見せる。
  撰/川勝節子さん(大江町)

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※無断でりんご園に入らないようお願い致します。
 豊龍公園のある経ヶ崎は、豊龍館(ほうりゅうたて)のあった場所です。戦国期の鳥屋ヶ森城主(館山)岸美作守の館と考えられています。

鳥屋ヶ森城跡
豊龍神社
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撮影場所
能中経壇からの風景
 福昌寺は、永禄元年頃(1558年)、館山鳥屋ヶ森城主岸美作守義満の菩提寺として鳥屋ヶ森根小屋に創建されました。しかし、戦国期の五百川合戦により最上義光に滅ばされ焼失します。後に三本木に寺を再建し、熊野権現社地が開拓された天正17年(1589)に現在地に移りました。境内には岸美作守義満の墓碑があります。
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 甲斐の武将武田家を先祖とする雲沢寺は、慶長5年(1600)送橋に一寺を建立したのが草創とされます。
 寺伝によると、宝徳元年(1449)武田信玄の祖父の弟にあたる武田信安が出羽に下向し、最上氏により山辺町高楯城主となります。信安17歳の時、水利の便が悪いことを知り玉虫沼を築堤しますが、水源地となる周辺一帯は鳥屋ヶ森城主岸氏(朝日町新宿)の所領であったため自領だった末吉良村(朝日町宮宿元町一帯)と交換しました。
 文明3年(1471)最上義春の命により葦名戦争に参加しますが大敗します。信安は人生の無常を感じ仏門に帰依し、鬼の目山谷に草庵を建立し戦没武士の菩提を弔いました。これが山辺町の了広寺です。
 そして慶長5年(1600)、了広寺四世西心法師が住職を長男宋賢にゆずり、三男宋察を連れて送橋村に来て雲沢寺の草創の一寺を建立したのです。その後、宮宿に再建しましたが宝暦7年(1757)と明治10年(1877)に大火に見舞われ全焼しました。送橋の経塚に仮堂を建てて8年ののち、宮宿森林(旧宮宿中学校跡 緑ヶ丘)に移り、その後現在地に再々建となりました。
 浄土真宗大谷派。ご本尊は阿弥陀如来。総高60センチ肩幅22センチの立像は寛永16年(1639)の作と伝わります。
※抜粋 / ふるさと朝日町散歩(長岡幸助・朝日町広報委員会)
※本堂見学は直接お問い合わせ下さい。
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 別当柴田七郎兵衛氏の記録によると、宝永年間(1704〜1710)に再建されたと伝わる太子堂は、元は朝日岳信仰の参道で六反の渡しがあった清水に建立されていたそうです。明治20年(1887)頃に、稲荷様が祭られていた現在地に再建されました。また、後に阿部文作氏寄進による弘法大師像も祭られました。江戸初期の製作とされる聖徳太子像を中心に稲荷様、弘法大師の三体が合祀されています。
※抜粋/『ふるさと朝日町散歩』(長岡幸助・朝日町広報委員会)
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