朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

 文化3年(1806)の浮島絵図面には、「七夕の夜、牽牛星と織女星が年に一度の逢瀬をかささぎが翼をならべて天の川を渡したという故事によって名づけられた。神秘的で霊験あらたかな浮島にふさわしいところからこの名がある。また、相愛の男女がこの橋を渡ると縁が結ばれると伝えられている」とあるそうです。昭和55年(1980)に閼伽沼と共に復元されました。
※鵲橋説明板より

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 別当大行院は役の証覚の弟子覚道の直系であり、現当主の最上氏は54代目を数えます。浮島稲荷神社は、源家、徳川家、大江家、最上家など時の権力者の尊崇厚く祈願所として加護を受けてきたことから、多くの貴重な文書が所蔵されています。
※『大谷郷』より抜粋
※無断見学不可
最上敬一郎さんのお話
緋網代の駕篭
弁慶の笈
ウワバミのミイラ
大沼絵図

浮嶋稲荷神社及び別当大行院略年表

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「雨願い地蔵」と呼ばれ、地区の皆さんに親しまれてきたお地蔵様は、白田隆さんの自宅でお祀りしています。雨を願う時は、このお地蔵様を大沼に浮かべて祈願したのだそうです。
 ※見学はできません。

白田隆さんのお話
雨願い地蔵様
 大暮山地区を一望できる小高い丘に八幡神社が建っています。本殿屋根葺き替えのおり、発見された棟札には「文政□□年、棟梁□□」と書かれており、少なくとも文政年間には建立されていたことが分かります。
 ご神体は桧の一本造りで、素朴にして雄大な作品です。高さ40センチメートル。臥獣に乗った応神天皇の立像で江戸中期の作と推定されています。
 4月15日の例祭は村を挙げて盛大に行われます。
※『大谷郷』より抜粋

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 元禄4〜5年(1691〜2)頃の大火により、十数戸の村とともにことごとく焼失しました。この時萬福寺のご本尊地蔵菩薩だけはぜひ助けなければならないと、村人は猛火をくぐりぬけなんとか運び出しました。しかし、ご本尊はひどい火傷にあい、それ以来お厨子の奥深く安置され秘仏となっています。境内には、経文を納めた宝篋印塔やあきごぜの墓があります。
五百川三十三観音第14番札所(聖観世音)朝日町大暮山46-1
※『大谷郷』より抜粋
五百川三十三観音縁起
五百川三十三観音霊場一覧
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 大暮山萬福寺の境内には「あきごぜ」の墓が建てられています。 
 萬福寺の中興第二世和田宥啓住職の資料によると、天保12年(1841)は天候不順で水稲不作、蚕腐れの年でした。
 越後からやってきた瞽女(三味線をひいて歌いながら門付けする盲目の女性)たちは、四、五人で組をつくり、目が見えないので、前の人の腰からのばした手ぬぐいを後ろの者が握り、大きな荷物を背負いながら、暗くなった大暮山の山道を歩いていました。ところが連日の大雨で土砂崩れにあい、最後尾を歩いていた「あきごぜ」だけが生き埋めになってしまったのです。村人たちは、あまりにもかわいそうに思い、みんなで和尚に頼み葬式をあげたと伝えられています。
※『大谷郷』より抜粋
 昭和57年(1982)、大暮山地区で途絶えていた大黒舞が一人の若者により復活しました。同地区の長岡清一郎さんが、宴会の演し物のために同僚から清助新田大黒舞(寒河江市)を教わったのが始まりです。それ以来、結婚式や歳祝い、開店祝いなど、様々なお祝い事でお願いされるようになりました。

長岡清一郎さんのお話
大黒舞との出会い
演出と衣装
大暮山の大黒舞のこと
※大黒舞をご用命の際はエコルームへお問い合わせ下さい。

 
(お願い)
 このサイトは、朝日町エコミュージアムがこれまで培ってきたデータを紹介することにより、郷土学習や観光により深く活用されることを目的に運営いたしております。
 よって、サイト内で紹介しているほとんどの見学地は、観光地として整備している場所ではありません。夏は草が茂り道がなくなる場所もあるかも知れません。もちろん冬は雪に閉ざされます。また、個人所有の神社や建物等も一部含まれております。アクセスマップも細道までは表示されません。
 予め御了承の上、見学の際は下記についてご留意下さるようお願い申し上げます。

・安全に留意し危険な場所には近づかないで下さい。
・マナーを守り、無断で個人敷地内に入らないで下さい。
・不明な場所につきましては、エコミュージアムルームへお問い合わせ下さい。または、エコミュージアムガイドをご利用下さい。
Tel0237-67-2128(月曜休)
朝日町までの公共交通機関によるアクセスは大変不便です。自動車の利用をお勧めいたします。

▼山形自動車道ご利用の場合
・寒河江ICより35分
・寒河江SAスマートICより25分(ETC搭載車のみ6:00〜22:00)
・西川ICより30分

▼JR山形駅から
・自動車で約50分
レンタカー
レンタカー(PC)
・JR左沢線左沢駅からバス・タクシーで約20分
JR東日本/駅・時刻・運賃案内(PCサイト)
山形交通バス(PCサイト)

▼町内タクシー(宮宿)
・吉田タクシー 0237-67-3131  
朝日タクシー(PC) 0237-67-2424
 
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■宿泊施設
Asahi自然観
Asahi自然観(PCサイト)
朝日鉱泉ナチュラリストの家
朝日鉱泉ナチュラリストの家 (PCサイト)
大丸屋旅館
大丸屋旅館(PCサイト)
みずほ山荘
 樹齢約1,100年、根周14.7m、胸高直径3.38m、約3mの上部で多くの枝を分かち、枝は四方に張り出して垂れ下がり、西側の一枝は地に接して着根し、すでに親木と離れて独立している。
 主幹は約10mの上部で四幹に別れ直上し、高さおよそ26mにおよび、樹冠は円錐形をなして一樹で森を形づくっている。
 日本海側に自生する杉の一種で、山形県下の杉では第1位の巨樹とされている。
 昭和28年8月31日山形県指定天然記念物となる。
※大江町教育委員会

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※旧大暮山分校跡より細道を10分。道が狭く軽トラックが望ましい。
お話 山田栄二氏(西川町)

◆軍道の全体像と踏破の記録

 軍道の全体像としては、用途は情報連絡・物資輸送・藩士往来で、全長は約60キロメートルとされているのですが、我々が歩いた実測値によると約六五キロメートルありましたが、高低差によるものと思われます。旧朝日村の史料によると道幅は九尺で、途中に偉い方が泊まる御殿小屋が二ヶ所あったようです。一つは旧朝日村地名図にある高安山南方の小屋屋敷のところで、もう一つが御影森山か中沢峰の下あたりかと思われます。工期は慶長三年の一夏でつくったということで、工事を担当したのは、庄内口から鱒淵村の農民、米沢口からは草岡村の農民が動員されており、他に奥三面衆が山案内に当たっていたようです。
 朝日軍道が通る連峰の全容は、米沢領から葉山 ―八形峰 ―中沢峰―前御影森山 ―御影森山 ―大沢峰 ―平岩山 ―大朝日岳と来まして、中岳 ―西朝日 ―寒江山―以東岳―オツボ峰―三角峰(三角峰手前までは登山道があります)。その先、戸立山 ―茶畑山 ―芝倉山 ―葛城山 ―高安山―猿倉山―鱒淵、それから飛地庄内領に入ります。
 我々が踏破した記録ですが、平成16年の第一次から21年まで6回の登山を実施しました。(単なる登山ではなく軍道痕跡を探る視点で歩きました。縦走路では悪いとは思いながら、登山道から外れたりしながら結構丁寧に歩いたつもりです。) 途中、平成20年の第5次登山には、NHKが朝日軍道のレポート番組を作るということで同行取材をして、7分位の番組が東北六県で放映されました。

◆朝日軍道の痕跡を探して

 草岡の登山口、初夏は草茫々なんですが、ここから葉山にかけてのあたりが一番軍道の痕跡らしさが残っているように思います。
 藪の中に古い石積みがあるのですが、普通に歩いていると気が付きません。また途中にわざわざ石を鏨(たがね)で砕いたような痕も見られます。おけさ堀付近までは、道幅二メートル位の電光型の軍道と見られる道が顕著に残ってます。葉山から八形峰を通って焼野原を降った先に中沢峰鞍部の水場がありますが、ここだけ樹齢何百年かのブナ残っており、傍に水場があり周りは広く、誰が考えても休み場として最適な所だなという感じです。
 中沢峰を降って途中にも電光型の道があるのですが、これがなぜ軍道じゃないかと思うというと、登山道であればこの短い区間をこんなに曲がる必要がないんですね、例えば、山にキノコ採りや山菜採りに行くにしても、峰まで真っ直ぐ登って行くのが普通で、登山でもかなりの急斜面なら別ですけれども、真っ直ぐですね。
 御影森山の手前に、怪しげな棚状の樹林がありますし、大朝日岳から西朝日岳にかけても、軍道の痕跡と思われる所があります。それから、三方境から狐穴小屋の先中先峰の所にも電光型の軍道跡が見られます。
 以東岳から先、三角峰に行く途中にオツボ峰という所があるのですが、史料によると、ここには御壷石(この下に人骨を埋めたと推測。)という二間四方の石があるとありますが、この辺りでいくら探しても、手前で見つけた約二間四方の石以外にはありませんでしたので、これが御壺石に違いないと確信しています。石の下には何かあるはずです。地元人たちは更に調査してほしいと思っています。
 次の登山で戸立山を目指したのですが、この先は登山道も無く藪が密集しており、泊まり荷物を担いでの登山は体力的に無理だと判断して、軍道の痕跡がある程度判り、さらに歩きやすい残雪期に調査することとしました。
 そして、戸立山の先茶畑山山頂付近に不自然な切り通しを見つけました。幅が六尺を超えるものですが、50m位の区間ですが明らかに人の手が入ったような痕跡があります。やったと思いました。
 先の高安山、兜岩には当時明神様が祭られていたようですが兜岩はいかにも明神様にふさわしく堂々とした岩山です。探したのですが社跡などは確認できませんでした。
 猿蔵山から鱒淵に下りて庄内に出るのですが、途中に岩魚沢という所があり、ここが軍道だったと史料にあります。また、鱒淵集落の中に山神社がありますが、ここは当時、軍道の完遂を祈願したとされていますが、集落の人に確認はしていません。

朝日町エコミュージアム20周年記念事業
パネルディスカッション「直江兼続が開いた朝日軍道」(2009)より一部抜粋


山田栄二(やまだ えいじ)氏
昭和26年(1951)生まれ 西川町間沢在住。登山暦約40年。
岩根沢清川仙人会所属(月山 清川行人小屋及び岩根沢、本道寺からの登山道管理団体)。月山清川行人小屋管理(年数回)。朝日軍道については、現地軍道痕跡を目的とした一貫した報告・資料等がみあたらず、朝日連峰山麓に住む者として一度朝日軍道を歩いて見ようということになり、平成16年、清川仙人会員及び他の山仲間と痕跡調査登山開始し6年目で区切りとなる。
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ひとつひとつ描かれた木々
力強い山の稜線
"シン"という音がみえる空気と空

長岡さんの絵を初めてみせていただいた時、
「あ、山だ。これは朝日町の山だ。」
という言葉が私の口から流れ出ました。

長岡昴司さんは、長沼で生まれ
現在は太郎に居を構えています。
鳥原山の山小屋で働き、朝日連峰を
日々みつめて暮らされています。

絵には人がそれぞれ生活で培ってきた
視点がでます。

ある春の日、栃の木を観察されている
長岡さんにお会いしました。
陽の傾きと共に在りようを変えていく
葉の様子を、刻々と観察し、その変化に
感嘆の声をあげながら紙に描きとめて
いらっしゃいました。

長岡さんの描かれる絵に、描いているモチー
フにプラスされた、静謐とした
静かな時間の流れを感じるのは、
こういった視点をお持ちの方が描いたから
ではないでしょうか。

「山にいるといろんな人との関わりがあって
楽しい。町にいる時は声を かけない。
山では会話がある。それが楽しい。」
「山は川より体に”くる”ものがある。」
という、それそのままの視点が、描いているも
のひとつひとつをなぞる
活き活きとした視点となって観ている人に
伝わってくるのです。

報告/田中敦子 あとりえマサト代表
東北芸術工科大学日本画コース副手
平成20年(2008)


長岡昂司(ながおか・こうじ)氏
プロフィール
1959年朝日町長沼版画家阿部功雲の分家に生まれる。
大工歴33年。
年間、鳥原山に約30回、大朝日岳に5〜6回登る。
朝日山岳会理事。朝日町山岳遭難救助隊員。
朝日町太郎在住。

※写真の絵は建築業の端材に描いた木川ダムの風景です。
※上記ダウンロードボタンで印刷用のpdfファイルを開けます。
 朝日町エコミュージアムのインフォメーション「エコミュージアムルーム」は、朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」内にあります。
 ここでは、サテライト(見学場所)を訪ねたい方の相談にのっています。詳しい情報や資料を求められるほか、エコミュージアムに関する出版物の販売、案内人の手配、宿泊場所のご案内、またエコミュージアムに関するいろいろなもよおしも実施しています。
 また、併設するエコミュージアムコーナーでは、朝日町についての展示や、パソコン「ミューズ・デポ」や「あさひまちの宝箱」で、楽しく朝日町の概要や宝を知ることができます。
 サテライト(見学場所)を訪ねる前の下調べにぜひお立ち寄り下さい。

所在地 : 朝日町宮宿2265 朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」1階
電 話 : 0237-67-2128
 エコルームで手に入れた資料や地図を片手に現地を訪ねましょう。(無料)
また、ガイドブック「朝日町エコミュージアムの小径」シリーズやエコミュージアムノート、関係する書籍・VTR等の販売もしております。隣接する図書館には朝日町コーナーがあり、参考になる本を借りることもできます。 

エコミュージアムノート一覧(PCサイト)
※ダウンロードできます

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