朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

美しいブナ林を歩くことのできる白滝登山口から登り、鳥原展望台より美しい大朝日岳の姿を間近に眺めます。※片道3時間程の登山です。
日時/2010年7月24日(日)午前7時〜午後4時位
参加費/500円
定員/8人
案内人/小林秀子、松田勝美
申し込み/一週間前まで エコルーム Tel0237-67-2128へ
朝日町エコミュージアムの小径 第2集。編集・発行/朝日町エコミュージアム研究会
朝日町有形文化財に指定されている藤原時代の作といわれる薬師如来立像と新宿地区の関わりを知ることができます。A5版 編集・発行/朝日町エコミュージアム研究会
※エコミュージアムルームで販売しております。500円
エコミュージアムの小径(こみち) 第1集
 編集・発行/朝日町エコミュージアム研究会
朝日町で養蜂を営む方々に、きっかけやエピソードを聞き取りしました。朝日岳山麓で営まれる養蜂の魅力を知ることができます。A5版 500円
 編集・発行/日本ナチュラリスト協会・日本ネイチャーゲーム協会
日本ナチュラリスト協会カモシカ調査グループは、山形県朝日連峰において、1976年からニホンカモシカの生態調査および保護活動を実施しています。 A4版 1000円
編集/「あさひまちF21」教育文化プロジェクト 発行/朝日町
朝日町に残る昔話を調査しまとめました。1993.A5版 1000円
朝日町エコミュージアムケータイガイドのシステムについてや、システム制作発注は、
デザインプレイス
へお問い合わせ下さい。
データさえあれば、簡単にシステムを作ることができます。
 清野安一家の古文書によると、前九年の役(1051〜1062)の折、出羽仙北の豪族清原氏は源頼義親子に加勢し、天皇の命に背いた陸奥国の豪族安倍頼時父子を滅ぼしましたが、帰陣の時、清原氏の一族である清野義房・渡辺春潔が古槙におちつき、神明大神宮の社を建立したとあります。現在の社殿は明治8年の再建。祭神は天照大神。境内からは古槙集落を一望できます。
※参考文献/『ふるさと朝日町散歩』(朝日町広報委員会・長岡幸助)
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※長い石段と鳥居が目印です。
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・エコミュージアム/西澤信雄「農村文化運動」No.184(農文協 2007年)

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 ・朝日町エコミュージアムについて〜住民ひとり一人が学芸員〜
 「エコミュージアム研究」No.18(日本エコミュージアム研究会 2013.5.31発行)

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五百川三十三観音第23番札所。
日月寺跡とされる中堀地内の高台にある千手観世音菩薩のお堂です。創建は不詳ですが、現在のお堂は大正の初期に三吉家が再建したものです。この観音様にまつわる不思議な出来事は数多くあるそうです。祭礼は4月17日と夜観音は8月10日。
※『送橋の歴史』(送橋長寿クラブ編)より抜粋
五百川三十三観音縁起
五百川三十三観音霊場一覧
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 観音堂のある中堀地内の小高い丘に造立されています。創建不詳ですが、祭り一切を行っている渡辺多内家よると、明治の神仏分離令の折りにお堂が解体され跡地に石碑を建立したのだそうです。武人の姿のご神体には背に「日月寺」の文字が刻まれています。
※『送橋の歴史』(送橋長寿クラブ編)より抜粋
※船渡には日月神社があります。
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・山形県朝日町のエコミュージアム 〜大谷風神祭のとりくみ〜
 「エコミュージアム研究」No.20より抜粋(日本エコミュージアム研究会発行)

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 彼岸の頃、川通りのばあちゃんは「マスノスケは夜中に「マスノスケ今ここ通る!」と言いながら最上川を歩いてくんなだ。それを聞くと死ぬなだ」と教えてくれた。おっかなくてがらがら寝るんだっけ。マスノスケは、キングサーモンのことをいう。昔、少しは上ってきたんだ。

お話 : 熊坂正一氏(最上川第一漁業協同組合代表理事組合長)取材 : 平成18年

ガイドブック『五百川峡谷』
五百川峡谷の魅力
五百川峡谷エリア
 雄峰朝日連峰磐梯山と共に国立公園として時代の脚光を浴びてから5年になる、朝日連峰は最近、山岳地形、山岳気象、動植物の生態または無尽蔵と称される地上地下資源、電力資源において専門家はもとより一般山岳愛好家の注目を引く様になったのは何より嬉しいことである。
 五百川郷の中心地朝日町(宮宿町)から二十四キロ。トラックを利用して約一時間四十分登山の基地朝日鉱泉に到着する。
 山形から約四時間、始発バスの客となれば、お昼にはすでに俗塵を湯に流して仙境の客人となれるのだ、せんせんと流れる朝日川の左岸一段と高い丘地に二軒の鉱泉旅館がある、朝日館、古川屋がこれである。開湯は明治初年。実に八十余年の歴史ある鉱泉である。朝日大権現の霊異によって発見され、泉質は炭酸カルシューム。胃腸病、腹痛等に特効あるといわれている。浴客実に年間六千人。夏期登山シーズンとなれば遠く関東地方からも訪れ一日三百人を越す時もめずらしくない。登山シーズンには宮宿から出張売店もありサービスにつとめている、しかし五百川郷のそちこちにみられる原始的なランプぐらしだ。
 古川屋の古老、房吉翁はことし六十六歳。十五歳の時から先達をつとめ朝日を跋渉する事、実に五百三十回。全く山の主である翁はいまなおかくしゃくとして大きいどうらんになた。きせるをポンとたたきながら「今の若い者は…」と気焔を上げている。先年若者数名連れて大朝日から全く道なき道をぬうて三面に行っている。旅館は食付一泊三百円、宿泊料一泊百円。下界で想像のつかない安さだ。
(写真・阿部幸作“ランプ生活の朝日鉱泉” 文・長岡幸助)
※山形新聞連載記事「朝日探訪」ランプの朝日鉱泉〜山の主・先達つとめる房吉翁〜
(昭和30年、掲載日時不明)より全文
大谷往来

 倩、徒然の紛れに、村の風景書き続け候わん。そもそも、大谷村東西南北山続き谷深うして、其の景殊に盛んなり。

 先ず東に古館あり。清々たる最上川の流れ、前に当り帆懸船の往来を詠む。駒の頭に釣垂る人は水辺に居て竿の梢を見る。寔に(まこと)に用山の明神、粧坂の粧い眼下に相見え候。

 後は愛宕山、山の頭に当り、草木の花帯び春の風に綻び落る風情は、秋後の雪の天に飛ぶかとうたがう。御伊勢原の雲雀霞の海に音あり、万世楽を囀る(さえずる)。日光山の鴉(からす)あやふきを告げ松椙に舎る。

 南はかん嵯の鍵蕨寸尺延びて蛍に壱夜の宿を借す。面白岩に愛宕山、老若の男女袖を烈ねて参詣す。狐塚の百合草の花は小首を曲げて色を争う。間木山の残月梢の花清に入る。

 西に当り社あり、大沼山と号す。其の景勝地森々たり、二十丈の松の枝、空吹く風のその音は颯々たり、琴の調べに耳を峙だて沼の浮島は形勢を揃え水浪に遊ぶ。

 瀧の沢の兎子は、嶮岨の山腰を走り飯森山に居す。大暮山の在家夕陽の煙立って高山に登る。初木山の猿猴は杣人の往来を呼ぶ。

 北に社あり、北野天神と号す。峯を登れば谷地山なり、岬伝いに所々に雪降り鹿の子斑に村消え、霞の内の松が枝茂蒼たり。後は、中丸、模様見田、狢森、前は田面打ち続き、西の溜井に鷺立ち、寺山の狼は鵜食沢の落馬を覘う。

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