朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
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お話/菅井かちさん(大谷高木) ■大谷連合区からの依頼 じいちゃん(義父・菅井米吉)は、風神祭の田楽提灯の絵付けを毎年していた。連合区の人から「今年も描いでけろな」といつも頼まれるんだっけ。田楽提灯の行列は、七区まで区ごとにまとまって歩くけど、その区の先頭に立つ大きな提灯を七つ描いていたんだ。毎年大変そうだったね。 お盆過ぎると、提灯を家に持って来て描き始めるんだけど、子供たちとリヤカーを引っ張って行って、連合区の公民館の二階から下ろすのを手伝ったりしたね。 絵は縁側で描いていた。紙を枠に貼って、日にあてて、ぱりっとしてから描くんだ。そのほうが描きやすいんだベな。こだわりがあって人に任せられない人だったから、貼る作業も手伝ったことはなかったな。紙は、貼り合わせが透けて見えた記憶がないから、一枚の大きくて丈夫なものを貼っていたと思う。 ■絵付け作業と絵柄 大きな提灯に鉛筆で下書きを「ざっ、ざっ」と描くのを見て、嫁さ来たばかりの頃は間違えるんじゃないかと心配して見ていた。でも、失敗して貼りかえした事はなかったね。 絵の具は、一久薬局から買ってきた染め粉を、どんぶりに溶かして使っていた。黄、緑、赤などの三色位しかなかったので、混ぜて色を作っていたな。 普段から、本にいい図柄があると、その頁を折って重ねて置いたりしていた。一年中、頭から離れなかったんだべ。毎年同じ絵は描けないし、何年か前に描いた絵を描くと「昔あったっけね、と言われるから描けない」と言っていた。近所の白田孝一さんから絵の本を借りたりもしていたな。 絵柄は、弁慶とか武者絵とか時代物が多かった。わらじ履いている姿なんか上手だったね。義父の描いた絵は一枚も残っていない。提灯は破いて新しく描くものだからね。 稲穂に雀のような絵は簡単だから、子供たちに頼まれると「ささーっ」と描いてあげていた。祭りが近くなって、できたものをここに並べておくと、絵を見に近所の大人も子供も集まってくるものだった。子供たちは、自分の持つ田楽提灯にも描いてもらいたくて持ってくるけれど、いつも時間も絵の具もなくなってしまうから、ちゃんとは描けなかったね。赤い絵の具しかなくなって字だけ描いてあげた事もあったな。子供達は気にあわねがったべ。(笑)鞍馬天狗とか月光仮面みたいな絵は、若いお父さん達が子供達の田楽提灯に描いてあげたもんだった。 昭和42年に、72歳で亡くなる年まで描いていた。私が嫁に来た昭和25年には、すでに描いていて、若い時から頼まれていたと聞いたので、二、三十年は描いていたんだべな。 亡くなる年の風祭りの時に、獅子踊りの笛吹きをしていたけど、途中で「疲れてだめだ」って言って帰って来たんだ。そしてその年の10月に亡くなったんだ。 ■棺も作る器用な大工だった 義父は、大工をしていて、誰かが亡くなると頼まれて棺(がん)も作っていた。今と違って、背負うもので、真四角の箱に傘(屋根)を付けるものだった。紙を屋根のように貼ったもので、ただまっすぐでなく神輿の屋根のようにかっこ良く丸みをつけて貼っていた。立派なものは五分位(15mm)の巾に挽いた薄い木を細かい網代編みにして作っていた。 板を買ってくると寝ないで作っていたね。やっぱりこだわりがあって、忙しい時以外は人に任せられなかった。器用な人だっけね。金紙とか銀紙を小さく刻んで飾りを貼り付ける手伝いはさせてもらったな。 取材/平成25年7月18日 安藤竜二 菅井かつこさん 大正15年生まれ。大谷高木在住。 |
朝日町ふるさとミニ紀行第3弾。須ノ瀬の「納経塔(板碑)」や、五百川三十三観音の一番札所である「水口十一面観音堂」と慶長出羽合戦の際に最上勢がたてこもって上杉勢と対峙したといわれる「水口楯」跡など、常盤地区の歴史を訪ねます。 日 時 7月28日(日)午前9時〜12時 参考頁 佐竹家エリア |
快適な電動付き自転車(朝日町観光協会所有)で、色鮮やかな十二神将が守る薬師堂や乳地蔵の東永寺、伊豆大権現の種まき桜、円仁の弟子安慧が開いた豊龍神社、ダチョウ展示團など、新宿(あらじく)や宮宿(みやじく)の歴史・文化・産業を訪ねます。
日 時 7月14日(日)14時〜17時 参加費 500円 定 員 8人(8台分) 案内人 安藤竜二 申込み ←左記申込みフォームより もしくは電話0237-67-2128(月・木休) 主 催 朝日町エコミュージアム案内人の会「朝日町ふるさとミニ紀行」vol.2 協 力 NPO法人朝日町エコミュージアム協会 参考ページ |
「ため池百選」(農水省)に選ばれた大谷のため池群の一つ、「谷地山三連ため池」(渡邉勝美さん所有)の睡蓮が、今年は例年より早く開花し見頃を迎えています。湖面を埋め尽くす優しいピンクの美しさに心癒される風景となっています。安全とマナーに気をつけて見せていただきましょう。
→アクセスマップはこちら →大谷の睡蓮ため池 →渡邉勝美さんのお話 →フォトギャラリー ツイート |
自然を活かし共生を目指すリゾート「Asahi自然観」周辺を散策し、豊かな自然や文化を五感で楽しみます。空気神社や修験者の道、ブナの大木、雄大な朝日連峰を一望するポイントなどを、ゆっくり楽しみながらまわります。ぜひご参加下さい。
日 時 6月22日(土)9時〜13時 参加費 500円 定 員 先着10人 案内人 松田勝美 ※動きやすく歩きやすい服装でいらして下さい。 ※昼食と飲み物をご持参下さい。 申込み ←左記申込みフォームより もしくは電話0237-67-2128(月・木休) 主 催 朝日町エコミュージアム案内人の会「朝日町ふるさとミニ紀行」vol.1 協 力 NPO法人朝日町エコミュージアム協会 参考ページ1 参考ページ2 |
高田山には、朝日町で最も身近なブナ林があります。今年も高田地区の皆さんが案内して下さいます。
途中にはヤマナシの大木や、伝説の残る地獄沼、かつての朝日修験者の古道もあります。コース途中の西展望台からは「大朝日岳ビューポイント33」にも選ばれた朝日連峰やAsahi自然観を、東展望台からは宮宿の町並みを望むことができます! 多くの皆様のご参加をお待ちしております。 日時 / 5月12日(日)午前9時半集合 10時出発 2時間半位のコース 集合 / 高田公民館(交流ふれあいセンター) その他 / ・山歩きの服装(小雨決行いたしますので雨具も) ・飲み物、おにぎり等ご持参下さい。 問合せ・申し込み / ・エコルーム TEL・FAX 0237-67-2128 〆切は5月10日 ※左側のお申し込みフォームもご利用下さい。 詳細については/ 佐竹啓次さん(高田区長)TEL0237-67-7641 →高田のブナ林について →ツイート |
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エコミュージアムコーナーの展示を、山菜やきのこ採りを職業にしている長岡幸司さん(太郎)の「山と共に生きる」と、茅葺き職人の白田吉蔵さん(常盤)の「朝日町最後のカヤ葺き職人」のパネルに更新しました。それぞれ素敵なデザインの2枚組となっています。創遊館にお立ち寄りの際はぜひご覧下さい。
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お話 白田吉蔵氏(常盤) ■師匠は、庄内の温海の人だった。 私は、昭和6年常盤の農家に生まれで80歳は越した。あの頃は、部落のどこ行ってもカヤ葺きの家ばかりだったから、仕事は無くならないだろうと思って、カヤ葺き職人になった。本間さんって師匠は、温海の五十川から来ていた人で、こちらに来て春から雪の降って仕事のできなくなるまで出稼ぎだった。当時は、仕事をする家に寝泊まりして稼ぐのよ。家の人と同じで、まだ太陽の出ない4時半ごろから朝仕事だ。7時に朝食、10時に一服、12時に昼食、昼は2時間休む昼寝して休まないとだめだ。3時に休んで、6〜7時ころまで、明るくなれば働き、暗くなるまで働いたのだ。最初は、弟子だから物を運んだり、カヤを上げたり下げたり、その間に盗み見して仕事を覚えるのだ。どだことするのか、こうしたら良いとか、考えなければならないのだ。年季奉公は3年間で、無給で師匠について回って覚えると、免許皆伝だ。珍しいことだが、師匠は修了書を書いてくれた。そのあと1年は、お礼奉公だ。終わった頃で、20才だった。 ■昔は、カヤ葺きの仕事はいくらでもあった その頃は、仕事はいくらでもあった。屋根葺きは、あんまり道具を使わない、だから大変なんだ。何でもできるようになるのに10年かかる。棟とかをきれいにするテクニックとか、物差しで測ったりしないからね。1回1回全部状態が違うから、屋根屋根によって、自分の判断でしなきゃならない。一応基本はあるけど、屋根によっていろいろあるから、大工さんみたいに測ってするのではないから難しい。のきっぱだって、まっすぐにするのは難しい。頭と目とカンで考えて平らにしないといけない。道具もすべて自分で作るのだ。長いことやって来ると、どんな仕事もできるようになる。最近、寒河江の慈恩寺を西郡の7人全員で、春から秋までかけて5年くらいで全面改修した。 ■材料は山から採って来る カヤ葺きの材料は、各家で準備したものだ。30坪の家なら、9,000ぱ必要だった。もちろん修理するにもカヤが必要で、山に近い人は山から取ってくる。一ツ沢には、カヤ刈りの解禁日があった。町の人は、畑のすみに作っておいたのだ。普通の家の毎年の補修なら1反もあれば間に合った。良いカヤは山の日あたりの良い所に生えた硬いのだ、河原のも良い、肥やしの多い畑のそばは、ワアーて伸びるが柔らかくて弱い。一番良いカヤは、スゴロのカヤって言って、葉っぱがさっぱりないカヤで、春に集めるのだ、雪が終わった後、ハカマが雪で取れてすくっと立っているのを根っこから刈って来るのだ。沢山は採れないが、これを少しだけ軒先に使うと、白くてきれいで、何年たっても軒先下から見たらわかる、これがよい家だ。カヤ屋根にはカヤとともに、縄とコダネギ(小駄根木)がいる、コダネギは山から採って来る、マンサクの木が軟らかくて折れにくいので、一番良い。ブドウつるも使うし、細木(細い杉丸太)も何本も山から持ってきた。 ■カヤ葺きの家は、100年持つ カヤ葺きの家は、昔は100年持つと言われた。新しく葺くと、20年間は何もしなくてよい。そのあとは、毎年300ぱ位ずつカヤを補給して補修していく、6〜7年で、屋根を1周していけば、一番長持ちするのだ。きちんと管理していれば、雨は洩らないから中の縄も腐らない、そうすれば手入れも簡単だ。 最近は、カヤ葺き職人も減ってしまった。昔は五百川だけで15〜16人、朝日町で45人、西郡では120人いたのだが、今は西村山で7人だ。茅葺きの家も減って10軒もない、今は佐竹家や水口の観音堂をしているが、80歳越えて屋根に上るのは、続けているからできるのかもしれない。息子からやめろと言われるが、するいことだからする。我々の世代は、わりあい丈夫な人が多い。終戦の年卒業したのだから。今は、朝日町で一人だけだな。仕事も増えないだろうから、最後のカヤ葺き職人だな。 (No.1204 聞き書き/西澤信雄 写真提供/朝日町広報) 白田吉蔵(しらた きちぞう)氏 昭和6年(1931)生まれ。 現在、西村山郡草屋根職組合連合会会長。15歳からカヤ葺き職人になる。 81歳の今も現役で、最後に1軒屋のカヤ葺きの新築の家を葺き建てたのは65歳の時。埼玉県でドイツ人から頼まれたゴルフ場の中の建物で、材料はカヤの代りにヨシを使用し、ドイツから運んだそうです。 No.1204 白田吉蔵氏(常盤) 上記ダウンロードボタンで印刷用のpdfファイルを開けます。 |
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お話 長岡幸司さん(太郎) ■朝日の山が大好きだ わたしは朝日町太郎生まれで、もう80歳は越したが、今でも毎日山菜採りや、キノコ採りで生活をしている。もちろん冬は休みだが。家の周りにも、山菜やキノコのホダ木があるので、冬もキノコや山菜にかこまれているなあ。もう3、40年は、こんな生活をしている。朝日の山が大好きで、朝日のことなら、どこに何があるか、何でも知っている。俺の庭みたいに思っている。 ■山の恵みで生かしてもらっている 昔は、西五百川にたくさん俺のような人がいたが、今は少なくなった、商売にしている人は、何人もいないな。採ったキノコや山菜は、みな業者に売っている。キノコは、小さな箱に入れて売るのだ。買った八百屋が、市場に行ってセリで売る。その売った代金を後程精算してくれる。何でもそうだが、買ってくれる人がいるのだから、箱に入れるのにも、美しく見えるようにしないとだめだ。ただ決まった量だけ入れているのではだめだ。少しでも高く買ってもらわないと、大切な山の恵みを山から苦労して背負ってきたのだから。 山に行ったら何でも採るようにしている。もちろん、マイタケ、ブナハリタケ、ナメコはキロ当たり値段が高いのだが、採れないときは、サルノコシカケでも採って来る。サルノコシカケは重いだけで、マイタケの何十分の一の値段しかならない。それでも、山に入って、なにも採れない時は、なんでも採ってこないとだめだ。どれも山からの恵みだから、われわれ商売人はそれで生かしてもらっているのだから。 ■山は危険でいっぱいだ 山には、いっぱい危険もある、よくあるのはスズメバチだな。これに刺されると、腕がしびれてくる。俺はいつもバイクだから、片手でバイク運転してきたこともある。手の回り、3か所刺された時は、山からガラガラ降りて来て、バイクのとこさ来て、ガソリンつけたんだ、さっぱり腫れないのよ。腫れてきてからではだめだ。フキの葉つけるのも良い。ホウの木の皮も良い。刺されたら、まずそこを絞ることだ。いろいろ方法はあるが、今では薬を持っている。ハチ刺されの薬だ。何事も準備が大切だ。 ■クマには、18回もあったことがある 一番おっかないのは、クマだ。おれは一回もかみつかれたことはないが、見たことは18回もある。一番近いのは、2間(3.6m)の所で出会ったことがある。登山道では、3間の所でもあった。あの時は、休んでいたら下から来たのだ。だから、いつも鈴着けている。峰越す時は、鈴鳴らすのよ。鈴鳴らすと、クマがあわててブナの木に登っていったことがある。木に登ったクマはおりてこね。一度は大きなの、2ついて、鈴鳴らすと一つは木に登ったが、もうひとつ大きな黒いの軍用機みたいないたのよ。ハアーて口あいたが、鈴鳴らすと、木に登っていった。鈴のあの「ケンケン」って音は嫌いなのだな。登山者も持っていたほうがよい。今は、山に入る時、爆竹持っていくこともある、奥に行って、この辺は危ないなあと思ったら、爆竹掛けるとおっかなく無い。クマには、どこでも気をつけなければならない、尾根越えるときは、声を出し「オオー」てさなる。腰にいつも鈴をつけていることも大切だ。おれは毎日山で仕事をしているのだ、山にはクマもスズメバチも住んでいる。だからこちらが気をつけなければならない。かかられたら損だ、かかったクマだっていい思いしないだろう。 (No.1203 聞き書き 西澤信雄) 長岡幸司氏(太郎) 昭和5年(1930)生まれ。 農家もしているが、山菜採り、キノコ採りを本業にする。今でも、朝日の山に毎日のように通う。朝日は自分の庭のように詳しく、山岳遭難の時も案内を頼まれ参加する。 上記ダウンロードボタンで印刷用PDFファイルが開きます。 |
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日時 8月15日午後2時〜21日
場所 朝日町常盤に634
→水口十一面観音堂