朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
三中分校の思い出
三中分校へは、昭和五年、六年と在学しました。当時の入学児童数は二十二人で、先生が一人、子供たちは着物(和服)やもんぺで通学していました。また、現在のようなノートがなかったことから、石盤(筆記用の粘板岩の薄い板。昔、子供が石筆で文字や絵を書くのに使った)を使い「はな・はと・まめ・ます」などと読み書きをしていたものです。
終戦後は、三中分校を使い素人演芸会を開いていました。農作業が終わると自然に地区民が集まりああでもない、こうでもないと夜遅くまで練習した思い出があります。
お話 : 鈴木栄一さん(八ッ沼)
私が入学したのは昭和二十八年で、児童数は五十人くらいだったと思います。当時の思い出は、一生懸命に掃除をしたことや校舎の周りを走り回ったこと、学校の帰り道で化石探しや魚捕りをしたことなどが記憶にあります。最近までは、私の住む能中地区の「協有会」という若衆会で、年一回、校舎周辺の清掃作業をしていました。また同級会では、集合場所を三中分校にして、思い出話に花を咲かせてます。やはり、大人になった今でも、何かしら三中分校と関わりをもっていたい気持ちがあります。
お話 : 海野義弘さん(能中)
私は昭和六十二年の入学で、児童数は十人でした。授業は普通の教室での授業のほか、野山の探検や青空教室などがあり、楽しかった思い出があります。少人数だからこそできた授業だったと思います。また、三中分校は、勉強だけでなく遊びでも中心でした。これは昔からそうだったと思いますが、卒業してからもつい立ち寄ってしまう、そんな忘れられない存在ですね。
お話 : 佐竹千鶴さん(八ッ沼)
昔は公民館がなかったことから、地域活動や青年団、消防団活動となると、毎晩のようにこの校舎の三階に集まり、酒などを飲み交わしながら語り合った記憶があります。このように三中分校は、子供たちだけでなく大人も公民館的なものとして利用した、地域に根差した学校でした。閉校となった今でも三中地区のシンボルとして、私たちの心にしっかりと生き続けている宝です。
お話 : 佐竹充廣さん(八ッ沼)
(平成10年 旧三中分校シンポジウム・パネルディスカッション「三餘学校は私たちの宝物」にて)
朝日町エコミュージアム協会
:[
メモ
/
05.八ッ沼エリア:住民学芸員のお話
]
Home
ニュース&イベント情報
ニュース&イベントデータ
朝日町エコミュージアムの訪ね方
01.朝日連峰エリア
01.朝日連峰エリア:見学場所
01.朝日連峰エリア:住民学芸員のお話
01.朝日連峰エリア:詳細について
01.朝日連峰エリア : 関連団体・書籍
01.朝日連峰エリア : 関連もよおし
01.朝日町から見える大朝日岳ビューポイント33
02.朝日川エリア
02.朝日川エリア:見学場所
02.朝日川エリア:住民学芸員のお話
02.朝日川エリア:詳細について
02.朝日川エリア : 関係団体・書籍
03.空気神社エリア
03.空気神社エリア:見学場所
03.空気神社エリア:住民学芸員のお話
03.空気神社エリア:詳細について
03.空気神社エリア : 関係団体・書籍
04.佐竹家エリア
04.佐竹家エリア:見学場所
04.佐竹家エリア:住民学芸員のお話
04.佐竹家エリア:詳細について
05.八ッ沼エリア
05.八ッ沼エリア:見学場所
05.八ッ沼エリア:住民学芸員のお話
05.八ッ沼エリア:詳細について
05.八ッ沼エリア : 関係団体・書籍について
06.椹平の棚田エリア
06.椹平の棚田エリア:見学場所
06.椹平の棚田エリア:住民学芸員のお話
06.椹平の棚田エリア:詳細について
06.椹平の棚田エリア : 関係団体・書籍
07.豊龍神社エリア
07.豊龍神社エリア:見学場所
07.豊龍神社エリア:住民学芸員のお話
07.豊龍神社エリア:詳細について
08.館山エリア:見学場所
08.館山エリア:住民学芸員のお話
08.館山エリア : 詳細について
08.館山エリア : 関係団体・書籍
09.町のりんごエリア
09.町のりんごエリア:見学場所
09.町のりんごエリア:住民学芸員のお話
09.町のりんごエリア:詳細について
09.町のりんごエリア : 関係団体・書籍
10.沢内エリア
10.沢内エリア:見学場所
10.沢内エリア:住民学芸員のお話
10.沢内エリア:詳細について
11.杉山と長谷地エリア
11.杉山と長谷地エリア:見学場所
11.杉山と長谷地エリア:住民学芸員のお話
11.杉山と長谷地エリア:詳細について
11.杉山と長谷地エリア :関係団体・書籍
12.五百川峡谷エリア
12.五百川峡谷エリア:五百川峡谷の魅力
12.五百川峡谷エリア:見学場所(北部)
12.五百川峡谷エリア:見学場所(中・西部)
12.五百川峡谷エリア:住民学芸員のお話
12.五百川峡谷エリア:詳細について
12.五百川峡谷エリア:関係団体・書籍
12.五百川峡谷エリア:事業報告
五百川峡谷ビューポイント
14.秋葉山エリア
14.秋葉山エリア:見学場所(大谷)
14.秋葉山エリア:住民学芸員のお話
14.秋葉山エリア:見学場所(川行)
14.秋葉山エリア:詳細について
14.秋葉山エリア : 関係団体・書籍
13.大沼浮島エリア
13.大沼浮島エリア:見学場所
13.大沼浮島エリア:住民学芸員のお話
13.大沼浮島エリア:詳細について
13.大沼浮島エリア : 関係団体・書籍
15.大隅遺跡エリア
15.大隅遺跡エリア:見学場所
15.大隅遺跡エリア:住民学芸員のお話
15.大隅遺跡エリア:詳細について
15.大隅遺跡エリア : 関係団体・書籍
16.朝日町ワイン
16.朝日町ワイン:見学場所
16.朝日町ワイン : 住民学芸員のお話
16.朝日町ワイン:詳細について
17.朝日町全エリア
エコミュージアムルームだより
エコミュージアムショップ
朝日町エコミュージアム協会
リンク
住民学芸員
カテゴリー
メモ
メール
Q&A
暦
リンク
地図
ウィキ
特集
プラン
ケータイサイト
問い合わせ
プロフィール
All Rights Reserved by asahimachi ecomuseum
終戦後は、三中分校を使い素人演芸会を開いていました。農作業が終わると自然に地区民が集まりああでもない、こうでもないと夜遅くまで練習した思い出があります。
お話 : 鈴木栄一さん(八ッ沼)
私が入学したのは昭和二十八年で、児童数は五十人くらいだったと思います。当時の思い出は、一生懸命に掃除をしたことや校舎の周りを走り回ったこと、学校の帰り道で化石探しや魚捕りをしたことなどが記憶にあります。最近までは、私の住む能中地区の「協有会」という若衆会で、年一回、校舎周辺の清掃作業をしていました。また同級会では、集合場所を三中分校にして、思い出話に花を咲かせてます。やはり、大人になった今でも、何かしら三中分校と関わりをもっていたい気持ちがあります。
お話 : 海野義弘さん(能中)
私は昭和六十二年の入学で、児童数は十人でした。授業は普通の教室での授業のほか、野山の探検や青空教室などがあり、楽しかった思い出があります。少人数だからこそできた授業だったと思います。また、三中分校は、勉強だけでなく遊びでも中心でした。これは昔からそうだったと思いますが、卒業してからもつい立ち寄ってしまう、そんな忘れられない存在ですね。
お話 : 佐竹千鶴さん(八ッ沼)
昔は公民館がなかったことから、地域活動や青年団、消防団活動となると、毎晩のようにこの校舎の三階に集まり、酒などを飲み交わしながら語り合った記憶があります。このように三中分校は、子供たちだけでなく大人も公民館的なものとして利用した、地域に根差した学校でした。閉校となった今でも三中地区のシンボルとして、私たちの心にしっかりと生き続けている宝です。
お話 : 佐竹充廣さん(八ッ沼)
(平成10年 旧三中分校シンポジウム・パネルディスカッション「三餘学校は私たちの宝物」にて)