朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

07.豊龍神社エリア:住民学芸員のお話
大正15年(1926)に、宮宿郵便局長をしていた父の栄三郎が自費で建てた。新しい局舎ができた昭和33年まで使われていた。道路拡張で今の位置に少し動かしたんだ。
お話/鈴木澄さん(宮宿)

玄関は山高帽のような屋根がせり出していた。観音開きの扉、その両隣には明かり取りのアーチ型の洒落た小窓が付いていた。玄関の上の掲額には「局便郵宿宮」と書いてあった。当時、寒河江西村山地区では一番モダンな局舎として名高かった。玄関を入るとガラスで仕切られた高いカウンターがあり、右側には公衆電話室もあったな。
お話/落合登喜雄さん(宮宿)

郵便の他にモールス信号の電報業務もしていた。戦時中はたくさんの召集令状が届き、そのたびにその方に電報を届けに行った。辛い仕事だった。二階は電話交換室で、24時間、電話をかけた人の線と相手の線をつなぐ仕事を交代でやっていた。郵便、電報、電話と、宮宿町の全ての情報はここに集まっていた。文化発祥の役割を担っていた建物だったといえるね。
お話/清野寅男さん(宮宿)

(取材/平成12年6月 安藤竜二)