朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報
04.佐竹家エリア:見学場所
国指定重要文化財「佐竹家住宅」は、最上川の舟運が盛んだった頃の大庄屋の住居です。大庄屋を務めた佐竹長右衛門家は、米沢藩に通船差配役を任命された家柄で、大淀村から川通村までの、船子(水主)雇い、綱手道の管理、梁仕掛けの管理、破船の救出における人足割り当て、払い米(濡米)の世話など、安全な通船を図る仕事をしていました。現在の建物は、元文5年(1740)に建てられたもので、山形県内陸部における上層農家の現存する建物としては保存の状態がよく、歴史を知る貴重な民家です。
※現在も佐竹さんご家族がお住まいです。見学の申し込みは、エコミュージアムルーム Tel0237-67-2128が窓口となっております。直接佐竹さんに申し込みされないようお願い致します。また、毎年見学会も催されていますのでお問い合わせ下さい。 →佐竹家住宅について/鈴木治郎氏(pdf) →佐竹家住宅見学会 →アクセスマップはこちら |
戦国時代の最上家と上杉家の戦いの舞台の一つ。朝日川の流れと川側の絶壁による守り、そして敵兵を一ヵ所におびき寄せて攻めるための曲輪や三十堀、たて堀の配置がなされています。常盤地区を挙げての整備により明確に見る事ができるようになりました。
正面には、かつて栄えた朝日岳信仰の第一遥拝所だった水口十一面観音堂があります。 ※写真は西部公民館から見た水口観音堂と楯跡(写真/安藤美智子) →歴史見学会 「朝日町の天地人」(PC) →アクセスマップはこちら ※十一面観音堂の裏山です。 |
かつて栄えた朝日岳信仰の第一遥拝所。 宝暦5年(1755)に当時の大庄屋佐竹長右衛門が中心になり再建しました。貴重な江戸中期の代表的な三間堂ですが、言い伝えによると旧観音堂は八間堂であり、現在の場所の裏山南斜面に在ったとされます。朝日町指定有形文化財。五百川三十三観音第1番札所。朝日町大字常盤に634
また、観音堂のすぐ裏山には、戦国時代に上杉勢との戦場となった水口楯の遺構を見ることができます。 ※参考文献/『朝日町史』朝日町教育委員会 →五百川三十三観音縁起 →五百川三十三観音霊場一覧 →アクセスマップはこちら |
佐竹家住宅への石段を上る途中左側の観音堂は、宝暦の大洪水の時、米沢市春日町の旧家堀江家の守護仏が流れ着いたのを拾い上げて祀ったと伝わります。宝暦9年(1759)建立。五百川峡谷三十三観音第30番札所。朝日町常盤い84-1
※抜粋 /『ふるさと 朝日町散歩』朝日町広報委員会 →五百川三十三観音縁起 →五百川三十三観音霊場一覧 →アクセスマップはこちら |
JAさがえ西村山西五百川支所の建物は、昭和3年に創立20周年記念事業として建てられた鉄筋コンクリート建築です。当時として鉄筋コンクリートの組合事務所は、全国的に珍しかったそうです。
細部に見られる洋風な装飾や、丸いステンドグラス、そして通りにどっしりとそびえ立つプラタナスの並木がとても印象的です。 取材させていただいた佐竹支所長から、同じ建物が九州の方にもあるらしいという話を聞きました。もし、今もまだ残っていたら是非見てみたいなと思いました。 白壁、幾何学的デザインの木製のドア、三階の半丸窓、昔の計算機、たくさんの昔の帳簿、木製の本棚、地下室、玄関…。様々な歴史が刻まれています。 報告 : 宮森友香(エコルーム職員) 取材 : 平成14年(2002) ※内部見学はJA西五百川支所にお問い合わせ下さい。 Tel0237-67-2131 |
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・佐竹家住宅の見学申し込みはエコミュージアムルームが受け付けております。直接申し込まないようお願い致します。
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よって、サイト内で紹介しているほとんどの見学地は、観光地として整備している場所ではありません。夏は草が茂り道がなくなる場所もあるかも知れません。もちろん冬は雪に閉ざされます。また、個人所有の神社や建物等も一部含まれております。アクセスマップも細道までは表示されません。
予め御了承の上、見学の際は下記についてご留意下さるようお願い申し上げます。
・安全に留意し危険な場所には近づかないで下さい。
・マナーを守り、無断で個人敷地内に入らないで下さい。
・不明な場所につきましては、エコミュージアムルームへお問い合わせ下さい。または、エコミュージアムガイドをご利用下さい。
Tel0237-67-2128(月曜休)