朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

10.沢内エリア
エリア地区 / 古槙、送橋

(お願い)
 このサイトは、朝日町エコミュージアムがこれまで培ってきたデータを紹介することにより、郷土学習や観光により深く活用されることを目的に運営いたしております。
 よって、サイト内で紹介しているほとんどの見学地は、観光地として整備している場所ではありません。夏は草が茂り道がなくなる場所もあるかも知れません。もちろん冬は雪に閉ざされます。また、個人所有の神社や建物等も一部含まれております。アクセスマップも細道までは表示されません。
 予め御了承の上、見学の際は下記についてご留意下さるようお願い申し上げます。

・安全に留意し危険な場所には近づかないで下さい。
・マナーを守り、無断で個人敷地内に入らないで下さい。
・不明な場所につきましては、エコミュージアムルームへお問い合わせ下さい。または、エコミュージアムガイドをご利用下さい。
Tel0237-67-2128(月曜休)
 清野安一家の古文書によると、前九年の役(1051〜1062)の折、出羽仙北の豪族清原氏は源頼義親子に加勢し、天皇の命に背いた陸奥国の豪族安倍頼時父子を滅ぼしましたが、帰陣の時、清原氏の一族である清野義房・渡辺春潔が古槙におちつき、神明大神宮の社を建立したとあります。現在の社殿は明治8年の再建。祭神は天照大神。境内からは古槙集落を一望できます。
※参考文献/『ふるさと朝日町散歩』(朝日町広報委員会・長岡幸助)
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※長い石段と鳥居が目印です。
五百川三十三観音第23番札所。
日月寺跡とされる中堀地内の高台にある千手観世音菩薩のお堂です。創建は不詳ですが、現在のお堂は大正の初期に三吉家が再建したものです。この観音様にまつわる不思議な出来事は数多くあるそうです。祭礼は4月17日と夜観音は8月10日。
※『送橋の歴史』(送橋長寿クラブ編)より抜粋
五百川三十三観音縁起
五百川三十三観音霊場一覧
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 観音堂のある中堀地内の小高い丘に造立されています。創建不詳ですが、祭り一切を行っている渡辺多内家よると、明治の神仏分離令の折りにお堂が解体され跡地に石碑を建立したのだそうです。武人の姿のご神体には背に「日月寺」の文字が刻まれています。
※『送橋の歴史』(送橋長寿クラブ編)より抜粋
※船渡には日月神社があります。
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 今もやっている遊びに「春の山遊び」がある。山菜がうまく、りんごの仕事が忙しくなる前の春盛りに、冬から開放された喜びを身体の内外から味わうものになっている。
 村のみんなに山遊びのことを連絡し、当日の役割分担を決め、村で一番高い高森山か、村を一望できる田の頭の古峯神社に歩いて登り、途中の旧道の由来や清水、種まきこぶしなどをお年寄りから聞きながら,春の陽を浴びながら進む。その中で興味のあったものに「館山にあったお城のお姫様弥生姫が紅葉狩りにきた伝説のある「緋の沢」の話がある。そんな話を聞きながら頂上に着くと別動隊が朝から準備していた昼の宴が始まる。
 昼の宴は、山菜をふんだんに入れた「いれか汁」と鰊汁。途中採ってきた山菜をその場で天ぷらにして振る舞う。子供は自家製のりんごジュース、大人はビールに日本酒を注ぎこみ、つらかった冬の話や四方山話が満開になる。帰りはいっぱい気分でぽかぽか陽気の中をゆっくりと下って来る。そして段取りを含め三日の春遊びが終了する。…と思ったら公民館に入り、山遊びの反省会となる。山から里遊びになり夜も深まっていく。これが送橋の春の山遊び。

お話 : 清野孝一郎さん(送橋)
取材 : 平成17年(2005)
 夏の送橋川での遊び。瀬になり広くなっている場所に石と草などを使ってやや大きめの池のようなものを作る。その池の水をふんどし一丁の姿で、井戸かきの要領で水を干していく。仲間数人で汗だくになってがんばるが、最初は全然水が減らない。やはり川の水が入ってくる所があり、また水止め作業を行って掻き出す。やがて岸辺の草が大きく垂れ下がるようになると魚の背中が見えてくるようになる。掻き出す動きも益々早くなり出し、のどもカラカラになってくる。一番低い所に魚が集まり始める時がもっとも興奮する。気をもんで「かぶたれ」する者が出てくる。それを尻目に魚を捕まえ篭に投げ入れる。懐かしく楽しかった夏の思い出。

お話 : 清野孝一郎さん(送橋)
取材 : 平成17年(2005)
 和紙づくりは、昭和41年頃まで夫が主に冬仕事でしていた。私も手伝いをしていたが、漉き方は1年しかしていない。和紙作りは夫の母がしていたことだが、どこから伝承されたかは分からない。古槙部落では多い時には5軒くらいで和紙作りをしていた。材料のコウゾは家の付近に植えてあるもののほか、八ッ沼などの西五百川方面から購入しソリで運んでいた。できた紙は主に障子紙として使われた。宮宿の近江屋などに納品していた。

〈製造工程〉
1.コウゾを60センチ程度の長さに切る
2.桶をかぶせて半日くらい蒸かす
3.あたたかいうちに皮をはぐ
4.村の人に委託し、皮から黒い表皮をはぎ取ってもらう
5.その白い内皮を煮る
6.すりこぎ棒より大きめの棒で叩く。(家族みんなで)
7.水を張った舟に入れる
8.目の粗い布に入れて水分をとばす
9.水にニレの根を加工したものをいれた紙すき用の舟にいれる
10.紙を漉く
11.漉いた紙を取りやすいようにクグ(草)をはさみこんで重ねる
12.万力で水分を搾る
13.厚手のトタン状のものに貼る
14.下から水蒸気をあてて乾かす
15.周囲の部分を切りそろえる
16.20枚位に束ね出荷する
※蒸かす桶は古槙和紙組合の共有だった

お話 : 清野よし子さん(古槙)
取材 : 平成17年(2005)

 古槙地区は、かつて蚕室の温度管理や換気に使う障子紙としての「和紙」作りが盛んに行われておりました。下芦沢地区の小芦沢川は、7月初めになるとたくさんの「ホタル」の乱舞が見られ、その雅びやかな光を一目見ようと多くの人が訪れています。また、地区を流れる送橋川には、花嫁が濁流に流され「むかさり石」になったという悲しい昔話も残っています。
※写真は古槙の大天宮参道からの風景です。

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