朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

13.大沼浮島エリア
 浮島は風の向きなどに一切関係なく、静かに、あるときは走るように動き、すれ違ったり、一列に並んだり自由自在に遊泳する。大正14年に国の史跡名勝地に指定された。「…大小種々の島形の団塊となり、水面に遊し浮島をなせり。島形五、六十に達す。この島は風なくして除々種々の方向に運動し…奇観極まりなし。…全国浮島中最も著名なるものなり。」(指定理由書より抜粋)
※『大谷郷』より抜粋

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 大沼には多くの文人が訪れている。古くは長徳元年(995)に藤原実方が二首の歌を残し、橘南谿(1754〜1805)は『東遊記』に紹介し全国に知られることとなった。湖畔の芭蕉句碑は享保から天明年間(1716〜88)に地方俳人として活躍し中央にも名の聞こえた鸞窓(大沼大行院43代)が建立したもの。またすぐ近くには、訪ねた記念に建てた大正14年(1925)の花の本聴秋の石碑や昭和10年(1935)の福田古道人の句碑もある。
※『大谷郷』より抜粋

最上敬一郎さんのお話
芭蕉塚
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 文化3年(1806)の浮島絵図面には、「七夕の夜、牽牛星と織女星が年に一度の逢瀬をかささぎが翼をならべて天の川を渡したという故事によって名づけられた。神秘的で霊験あらたかな浮島にふさわしいところからこの名がある。また、相愛の男女がこの橋を渡ると縁が結ばれると伝えられている」とあるそうです。昭和55年(1980)に閼伽沼と共に復元されました。
※鵲橋説明板より

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 別当大行院は役の証覚の弟子覚道の直系であり、現当主の最上氏は54代目を数えます。浮島稲荷神社は、源家、徳川家、大江家、最上家など時の権力者の尊崇厚く祈願所として加護を受けてきたことから、多くの貴重な文書が所蔵されています。
※『大谷郷』より抜粋
※無断見学不可
最上敬一郎さんのお話
緋網代の駕篭
弁慶の笈
ウワバミのミイラ
大沼絵図

浮嶋稲荷神社及び別当大行院略年表

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「雨願い地蔵」と呼ばれ、地区の皆さんに親しまれてきたお地蔵様は、白田隆さんの自宅でお祀りしています。雨を願う時は、このお地蔵様を大沼に浮かべて祈願したのだそうです。
 ※見学はできません。

白田隆さんのお話
雨願い地蔵様
 大暮山地区を一望できる小高い丘に八幡神社が建っています。本殿屋根葺き替えのおり、発見された棟札には「文政□□年、棟梁□□」と書かれており、少なくとも文政年間には建立されていたことが分かります。
 ご神体は桧の一本造りで、素朴にして雄大な作品です。高さ40センチメートル。臥獣に乗った応神天皇の立像で江戸中期の作と推定されています。
 4月15日の例祭は村を挙げて盛大に行われます。
※『大谷郷』より抜粋

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 元禄4〜5年(1691〜2)頃の大火により、十数戸の村とともにことごとく焼失しました。この時萬福寺のご本尊地蔵菩薩だけはぜひ助けなければならないと、村人は猛火をくぐりぬけなんとか運び出しました。しかし、ご本尊はひどい火傷にあい、それ以来お厨子の奥深く安置され秘仏となっています。境内には、経文を納めた宝篋印塔やあきごぜの墓があります。
五百川三十三観音第14番札所(聖観世音)朝日町大暮山46-1
※『大谷郷』より抜粋
五百川三十三観音縁起
五百川三十三観音霊場一覧
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 大暮山萬福寺の境内には「あきごぜ」の墓が建てられています。 
 萬福寺の中興第二世和田宥啓住職の資料によると、天保12年(1841)は天候不順で水稲不作、蚕腐れの年でした。
 越後からやってきた瞽女(三味線をひいて歌いながら門付けする盲目の女性)たちは、四、五人で組をつくり、目が見えないので、前の人の腰からのばした手ぬぐいを後ろの者が握り、大きな荷物を背負いながら、暗くなった大暮山の山道を歩いていました。ところが連日の大雨で土砂崩れにあい、最後尾を歩いていた「あきごぜ」だけが生き埋めになってしまったのです。村人たちは、あまりにもかわいそうに思い、みんなで和尚に頼み葬式をあげたと伝えられています。
※『大谷郷』より抜粋
 昭和57年(1982)、大暮山地区で途絶えていた大黒舞が一人の若者により復活しました。同地区の長岡清一郎さんが、宴会の演し物のために同僚から清助新田大黒舞(寒河江市)を教わったのが始まりです。それ以来、結婚式や歳祝い、開店祝いなど、様々なお祝い事でお願いされるようになりました。

長岡清一郎さんのお話
大黒舞との出会い
演出と衣装
大暮山の大黒舞のこと
※大黒舞をご用命の際はエコルームへお問い合わせ下さい。

 
 樹齢約1,100年、根周14.7m、胸高直径3.38m、約3mの上部で多くの枝を分かち、枝は四方に張り出して垂れ下がり、西側の一枝は地に接して着根し、すでに親木と離れて独立している。
 主幹は約10mの上部で四幹に別れ直上し、高さおよそ26mにおよび、樹冠は円錐形をなして一樹で森を形づくっている。
 日本海側に自生する杉の一種で、山形県下の杉では第1位の巨樹とされている。
 昭和28年8月31日山形県指定天然記念物となる。
※大江町教育委員会

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※旧大暮山分校跡より細道を10分。道が狭く軽トラックが望ましい。
 国の名勝「大沼の浮島」は歴史も古く、伝説の多い昔から著名な観光地です。白鳳9年(680)に山岳修験者の役小角により発見され、その弟子覚道が開いたと伝えられています。沼の周辺はブナやミズナラの巨木など多様な植物群に覆われ沼を浮遊する島々の存在で全国的に有名です。「浮島稲荷神社」は、かつて大江家・最上家・徳川家の祈願所としての役目を果たしていました。大沼には「大沼楯跡」があります。
  大暮山地区の萬福寺には「瞽女(ごぜ)の墓」があります。瞽女は、歌や語りで旅をしながら生活していた盲目の娘達のことで、この墓は崖に転落し亡くなった越後のあき瞽女を供養したものです。


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           エコミュージアムルーム内
 TEL:0237-67-2128
 eco@town.asahi.yamagata.jp

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朝日町観光協会サイト
朝日町観光協会サイト(PCサイト)
 
エコミュージアムの小径 第3集。国の名勝「大沼浮島」は歴史が古く、伝説の多い昔から著名な観光地です。大沼を代表する皆さんからお話をうかがいました。 A5版
 編集・発行/朝日町エコミュージアム研究会 平成7年
 エコミュージアムの小径 第7集。大沼を由来とする山伏神楽が、宮城県丸森町で伝承されていることが分かり、600年ぶりの里帰り公演が叶えられました。大行院当主最上敬一郎氏のお話、宝物紹介、シンポジウム報告など。A5版 編集・発行/大沼浮島ものがたり実行委員会 平成12年(2000)
※エコルームで販売しております。500円(郵送可)
 平成11年(1999)春、朝日町立大谷小学校大暮山分校は、児童数減少に伴い閉校しました。同時に、一世紀の歴史を持つ校舎も取り壊しの予定でした。惜しまれる声も聞かれる中、地元朝日町の若者たち「おもしろ塾」が、なくなるまえに思いで作りをしようと、試行錯誤の中、第一回の白い紙ひこうき大会を計画しました。それは、ただの競技会ではなく、あったかくて懐かしい夏のワンシーンをみんなで作るような、そんな大会をめざすことになりました。
 すぐに、使われなくなった花壇にひまわりの種をまき、その苗は地元の小学生たちが水やりをしてくれました。大会一週間前には校舎を大掃除しました。地元の農家の皆さんは、校庭の雑草を刈って下さいました。また、閉校式の折、ぬかるんだ校庭に大量に敷かれていた砕石も重機できれいにかたずけて下さいました。
 そして、ひまわりも咲いた大会当日、たくさんの白い紙ひこうきは、ゆっくりと、ふわりふわり校庭の空を気持ちよさそうに飛行しました。
 その後、校舎解体は延期され、新しいスタッフによる新実行委員会も結成され、毎年夏恒例のイベントとして開催され人気を得ましたが、平成21年(2009)に惜しまれる中、校舎は取り壊されました。前年に開催された第10回の最終大会には、分校や大会のファンが全国から300人参加し、歴代スタッフも50人、アマチュアカメラマンも数十人押し寄せ、最後の夏を楽しみました。

大暮山分校と白い紙ひこうき大会の写真