朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

14.秋葉山エリア
 明神断崖のあたりには、朝方に最上川から上がる細長い雲(霞)がよく見られますが、この写真は絵馬と同じ口を開けた竜の顔に見えたもので、竜神信仰の里に現れたとして話題となりました。(2008.10月)
参考写真(PC)
 明神断崖(用のはげ)頂上の厳島神社裏から朝日連峰大朝日岳を正面に、美しい朝日町の風景を眺望することができます。足許に注意。

アクセスマップはこちら
フォトギャラリー
明神断崖と周辺風景(PC)
 この追分石は、大沼浮島経由で出羽三山にお参りする人達のための道標でした。上部には大日如来(湯殿山権現)を表す梵字が記され、右側に文政5年壬午年(1822)大や村、中央に「右大ぬま山、左よねさハ」と刻んである。
 もとは山の上の旧道に建っていたものが何回かの道路改修で現在地に移動したといわれています。
※『大谷郷』より抜粋

アクセスマップはこちら
 粧坂の墓地に高さ50センチメートルの五輪塔二基が建てられています。この塔はその形式から室町時代(1393〜1573)のものと推定され、小野清七・惣兵衛両家で建てたという記録が残っています。
 当時このような五輪塔を建てるには相当な格式と財力が必要だったとされますが、両家ともかなりの繁栄を誇っていたと伝えられています。
『大谷郷』より抜粋

アクセスマップはこちら
※国道287号線より粧坂地区へ向かい集落にはいる手前の墓地内にあります。
 月山権現領として天正12年(1584)一石六斗の土地を大江氏からいただいたものです。別当の小野家は代々「おつきやま」という屋号で呼ばれています。
※『大谷郷』より抜粋

アクセスマップはこちら
※個人所有地にに立ち入らないようお願いします。
 祭神は建雷命で区民からは「雷神様」と呼ばれ親しまれています。電力会社の人が雷が落ちないようにとお参りに来ることもあるそうです。毎年4月20日の祭りの日には多くの参拝者で賑わいます。
※『大谷郷』より抜粋

アクセスマップはこちら
 朝日町で唯一のめずらしい神社です。祭神は腰族の神といわれる腰王で、特に耳と腰の病の人が信心するとご利益があるといわれ、奉納するならわしの河原で拾った「穴あけ石」が、お堂の前に数十個供えられています。大江町所部の腰王神社から分霊されたといわれており、村人は「おこしゅうさま」と親しみをこめて呼んでいます。

アクセスマップはこちら
※国道287号線から中沢に向かい、粧坂へ入る道の次の細い農道を登ります。
 ご本尊は弘法大師が作ったといわれる延命地蔵尊で、真濟上人がここに一寺を建立し延命山地福寺遮那院としたと伝わります。真濟上人は弘法大師空海の高弟で、空海が真言宗を開いた京都高雄の神護寺の二世であり、真言宗ではじめて僧正という高い位についた人です。
 正徳元年(1711)春、井戸を掘った時に、土中から古仏の地蔵菩薩が現れたので本堂に安置し本尊物として祭りました。その際に遮那院を福寿院に改めたといわれています。
五百川三十三観音31番札所(聖観音) 朝日町中沢585-1
五百川三十三観音縁起
五百川三十三観音霊場一覧
アクセスマップはこちら
 よだれ地蔵様は、よだれや疳を治してくれる子育て地蔵です。今でも遠くから参拝に来る人が大勢います。祈願の時は小豆餅を供え、地蔵様の口元にあんこを塗り、小豆餅断ちを約束し、治った時は地蔵様に帽子やよだれかけ、鐘の緒とともにお菓子を供えてお礼参りをします。
 江戸時代の中頃、楯岡から運ばれていた地蔵様の荷車が突然動かなくなり、地蔵様が「私はこの美しい地にとどまり、民衆を救いたい」と言いました。村人達は大喜びし、お堂を建てて祭ったのだそうです。
※『大谷郷』より抜粋

アクセスマップはこちら
 エコミュージアムの小径 第5集。「大谷往来」は元禄時代以降に大谷地区の寺子屋で教材として活用されたもので、地区内の名勝・旧跡・特産物が紹介されています。A5版
 編集・発行/大谷往来シンポジウム実行委員会
※エコルームで販売しております。(郵送可)500円
 朝日町北部地域の有志等により刊行されました。歴史と文化財がたくさんの写真で地区ごとに詳しく紹介されています。 編集・発行/朝日町北部地区郷土資料集編集委員会 平成14年発行
※エコルームで販売しております。(郵送可)1200円
一度は途絶えてしまった大谷の獅子踊りの復活から20年の功績を振り返る記念誌。
編集・発行/大谷獅子踊保存会 発行日/平成5年1月24日 A4版
角田流大谷獅子踊