朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

14.秋葉山エリア
 明鏡橋近くの高台(上の山)にある桜公園は、地元栗木沢区で整備された憩いの場です。桜咲く頂上からは、五百川峡谷ビューポイントの一つの、新旧二つの明鏡橋が架かる美しい景色を眺めることができます。東屋も整備されていますから、お弁当を広げるおすすめポイントとなっています。

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五百川峡谷ビューポイント。「新旧明鏡橋と朝日岳も見える。春は色とりどりに花が咲き、秋は大隅側川縁の紅葉がひときわ美しく、冬は霧氷が朝の光でキラキラ輝く」
  撰/志藤正雄さん(栗木沢)
 河川舟行の守護神として祀られたのだろうと考えられています。地区民にとっては風邪の神やとりしゃぶき(百日咳)の神としても信仰されています。町内で二番目に古いとされる享保7年の「繋馬図」があります。
※『大谷郷』より抜粋

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※分かりづらい場所にありますので地元の方にお尋ね下さい。
無量庵の開山は、応永年間(1394〜1428)と伝えられています。江戸時代は真中昌城院の末寺であったとされ、その後、大谷の永林寺の末寺となりました。ご本尊の阿弥陀如来座像は、江戸時代の寛文から元禄期の製作といわれ、目鼻立ちが整い、衣紋も繊細に描かれ気品あふれる作品です。朝日町指定文化財。
※『大谷郷』より抜粋

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 水面より170mの高さを誇る最上川最大の絶壁が明神断崖(通称:用のはげ)です。江戸時代の舟人も圧倒したと伝えられ、その姿は大朝日岳山頂からも確認できます。黄金の橋や竜神伝説が残り、周辺地域には、ヤマガタダイカイギュウ化石発掘地、上川原山ノ神縄文遺跡などもあり、遥かな歴史を想像できる場所となっています。断崖は最上川を境にした大江町にありますが、朝日町側からその全容を見ることができます。

※朝日町真中地区から眺められます。川岸からの見学地は分かりづらくなっています。エコミュージアムルームにお問い合わせ下さい。

用のはげと周辺めぐり(2008)
辰年!竜神信仰の明神断崖を訪ねる(2013)
フォトギャラリー(PC)
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 心鏡(しんけい)上人は、断崖頂上の明神と稲荷明神の間に黄金の橋が架かり明神が仲良く遊んでいる神秘的光景を見て、「この地こそとどまるべき」と決めたと伝わります。境内に江戸大火の火を消すために水をかけたと伝わる“男石・女石”もあります。心鏡上人は、大井沢大日寺中興の祖と謳われた道智上人の弟。
  文禄三年(1594)開創。本尊/地蔵菩薩 真言宗智山派
※『大谷郷』より抜粋

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 心鏡上人が見たという黄金の橋は、この稲荷明神から向かい合わせの断崖頂上に架かったとされます。例祭日は4月19日に近い日曜日。
※『大谷郷』より抜粋

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 寛文10年(1670)創建とされます。享和3年(1803)に奉納された「前句付け」の俳額は、朝日町で一番古く、西村山郡内でもニ番目に古いものです。阿吽の竜の絵馬もあります。例祭日は4月第2日曜日。昭和55年頃に台風により社が壊れた雷神も合祀。例祭日は4月20日。祀られている12基の石仏は村に散在していたものをここにまとめたもので、「右ハおおや、左ハくりのき沢」と刻まれた追分石や明神断崖頂上と同じ弁財天の大きな石塔もあります。
※『大谷郷』より抜粋

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 真中昌城院を開山した心鏡上人は文禄3年(1594)にこの地から昇天しましたが、同じ真言宗の八ッ沼若宮寺13世法印盛永が徳を慕ってこの石碑を造立しました。
 心鏡上人は法力のみならず学識高く近隣村人の崇敬を集め、その逸話は数々の伝説として残り、今なおその徳をたたえ毎年4月29日には盛大なお祭りが開かれています。
※『大谷郷』より抜粋

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 平成10年(1998)に発掘調査が行われ、大きなものでは直径40センチの木の柱が24本発掘されました。約3000年前の縄文時代晩期と考えられ、縄文遺跡において柱根の発見は県内ではじめてとなりました。現在は埋め戻されてあります。
 ※写真は用橋と記念碑

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 昭和53年、用の当時小学6年生だった斉藤正弘君と渡辺政紀君が発見。ヤマガタダイカイギュウは800万年前の海にすんでいたほ乳類で、ステラーカイギュウ(18世紀に絶滅)の祖先にあたるものではないかと考えられています。 海牛類の進化を知る上で世界的に貴重なもので県指定文化財となっています。
※大江町ホームページより抜粋
→詳細は大江町ホームページ(PC)

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 大永ニ年(1522)中山町長崎円同寺第6世領山呑察の開創。ご本尊は「如意輪観世音菩薩」。曹洞宗。

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 「日当りの良い日の午前10時半過ぎになると、はげ(明神断崖)の岩壁に、舟形光背の観音様の影が現れる」(真中・堀庄一さん談)ことで話題となっています。よく見ると、徳昌寺(用)のご本尊でもある右手を頬によせ首をかしげる如意輪観音の立ち姿に見えます。真中の稲荷神社や昌城院からよく見ることができます。

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 明神断崖頂上に鎮座している厳島神社は、大永2年(1522)に、徳昌寺の領山和尚が弁財天を祀り再建した旧弁財堂です。天保14年(1843)稲荷明神を合祀しました。明治の神仏分離令時に市杵嶋姫命を祀る厳島神社となりました。対岸の舟渡山ノ神社のものと同じ年享和3年(1803)に奉納された大江町で一番古い前句付けの俳額や、朝日町中沢の掘次郎右ェ門(周玉)作の騎馬武者絵馬と俳額があります。

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 厳島神社には三枚の竜の絵馬が奉納されています。社伝には「当社右に竜神ありと言い伝う。懸崖に穴あり故に穴山と云う。里人祈願の時穴の辺りに新餞を供えて祭る。按ずるに龍神はおかみ神を云う。」とあります。
 用地区の斉藤高治さんによると「戦後頃までは竜の穴に生卵を供えて祀っていた」と。似ている竜の絵馬は対岸の舟渡山ノ神社にも1枚あります。
※参考文献『海牛の里』(用公民館・編著/斉藤高治)