朝日町エコミュージアム|大朝日岳山麓 朝日町見学地情報

14.秋葉山エリア
 標高224.6メートルの秋葉山は、戦国時代には本城である真木山城の出城として、曲輪・空堀・堀切など中世の城館跡の遺構が明瞭で、歴史的にも貴重な文化遺産となっています。平成10年に北部地区の文化拠点として山頂まで遊歩道等が整備され、子供も高齢者も容易に登ることができるようになりました。学び・見る・遊ぶ場所として利用されています。
『大谷郷』より抜粋

アクセスマップはこちら
※秋葉山グラウンド北側駐車場(右側)から登れます。山頂まで10分。途中には山ノ神社や稲荷神社が祭られています。
フォトギャラリー(PC)
秋葉山エリア(大谷)
 延享4年(1747)二代鈴木清助が山頂に秋葉神社を創建したことから、以後この山を秋葉山というようになりました。秋葉神社は古くから火伏せ、商売繁盛の神として周辺村々の厚い信仰をうけてきました。頂上西側下には奉納相撲を行った跡が見られます。明治40年(1907)7月に神社焼失しますが、同43年(1910)1月に再建しました。その後、社屋の破損がひどく昭和59年(1984)に解体、ご神体は鈴木家の土蔵に安置し跡地に記念碑を建立しました。
『大谷郷』より抜粋

アクセスマップはこちら
※秋葉山の山頂です。
秋葉山エリア(大谷)
 秋葉山山頂に『大谷往来』の全文を表した説明板が建てられています。『大谷往来』は、元禄7年(1694)大谷村の彦七が記したもので、自然豊かな大谷の四季を順序よく的確に美しい文章で書き表しています。しかも短い文章の中で名所旧跡や神社仏閣、動植物、特産品など、300年前の村の様子が一目で分かり、『大谷往来』は、まさに元禄のエコミュージアムといえます。
『大谷郷』より抜粋
『大谷往来』全文
大谷の皆さんのお話
大谷往来の風景について
彦七は風和かもしれない
大谷往来には節があった
『大谷往来』について

アクセスマップはこちら
秋葉山エリア(大谷)
 戦国時代、大谷集落の南西方向の真木山に真木山城(写真左)があり、秋葉山(写真中央)は森山と呼ばれ、猿田楯(写真右)と共に敵からの攻撃に備える出城(楯)となっていました。弓の矢に使ったといわれる矢竹は今も自生しています。真木山城大谷家は血縁関係にあった大江家が天正12年(1584)に最上家に滅ぼされた時、最上家に仕えるのではなく農民として土着する道を選びました。
※写真は用山山頂から見た秋葉山
『大谷郷』より抜粋
アクセスマップはこちら
秋葉山エリア(大谷)
五百川峡谷ビューポイント。「元禄時代に書き綴られた『大谷往来』の風景と変わりなく滔々と流れる最上川が眼下に見える。」
撰/堀敬太郎さん(大谷)
写真/堀敬太郎さん「絵になる風景賞」受賞(平成10年)
春の眺望はこちら
アクセスマップはこちら
※県道112号より入った秋葉山グラウンド南側駐車場に登り口があります。
秋葉山エリア(大谷)
エリア地区 / 川通、栗木沢、船渡、真中、中沢
川通地区より下流へ順番に紹介してあります。

(お願い)
 このサイトは、朝日町エコミュージアムがこれまで培ってきたデータを紹介することにより、郷土学習や観光により深く活用されることを目的に運営いたしております。
 よって、サイト内で紹介しているほとんどの見学地は、観光地として整備している場所ではありません。夏は草が茂り道がなくなる場所もあるかも知れません。もちろん冬は雪に閉ざされます。また、個人所有の神社や建物等も一部含まれております。アクセスマップも細道までは表示されません。
 予め御了承の上、見学の際は下記についてご留意下さるようお願い申し上げます。

・安全に留意し危険な場所には近づかないで下さい。
・マナーを守り、無断で個人敷地内に入らないで下さい。
・不明な場所につきましては、エコミュージアムルームへお問い合わせ下さい。または、エコミュージアムガイドをご利用下さい。
Tel0237-67-2128(月曜休)
 朝日町の北部にある「秋葉山(旧秋葉山楯跡)」は山頂まで約10分。のどかな最上川の流れを眺められる頂上に「大谷往来」の看板があります。これは元禄時代以降に大谷地区の寺子屋で教材として活用されたもので、周辺の名勝・旧跡・特産物が紹介されています。
 麓に開けた大谷地区は、菅原道真の子孫が移り住んだ土地と言い伝えられ「四天神」をはじめ随所にその歴史を物語る文化財が残っています。また、秋葉山と明神断崖に挟まれた真中地区には心鏡上人の黄金の橋伝説が残り、船渡地区では県内唯一の柱根が残る縄文遺跡が発見されています。


▽秋葉山エリアをもっと探る______


▽お問い合わせはこちら_______
 〒990-1442山形県西村山郡朝日町大字宮宿2265
 朝日町エコミュージアムコアセンター「創遊館」
           エコミュージアムルーム内
 TEL:0237-67-2128
 eco@town.asahi.yamagata.jp

▽飲食・宿泊情報はこちら_______
 朝日町観光協会サイト
朝日町観光協会サイト
朝日町観光協会サイト(PCサイト)
 
 昭和新田遺跡は秋葉山の北側、粧坂集落より西方に200mほど入った所にあります。大谷川支流の沢に接し、自然堤防上に集落が確認されました。遺物としては、縄文土器や石器、そして平安時代の須恵器、土師器などが出土し、また柱穴、溝跡などが確認されています。
『大谷郷』より抜粋
※写真は日光山と昭和新田遺跡
アクセスマップはこちら
※現在は水田に埋め戻されています
秋葉山エリア(大谷)
 南蔵院の系図によると、初代玄長坊は、室町時代の宝徳2年(1450)生まれで文明17年(1485)36歳で死亡しています。4代と7代が南蔵院を名のり、10代以降は幕末まで世襲、代々白山神社の別当を務めた家柄です。
※写真は正面が白山神社跡、右が南蔵院
『大谷郷』より抜粋

アクセスマップはこちら
※個人宅です。屋敷内には入らないで下さい。
秋葉山エリア(大谷)
 永林寺開祖の道愛禅師が尊崇した虚空蔵菩薩の御堂は、永林寺があった開山に建立されています。二間四面のお堂で創建は古く、応永5年(1398)といわれています。徳川将軍から五石七斗のご朱印状を受け、由緒ある虚空蔵様として信仰されてきました。
※『大谷郷』より抜粋

アクセスマップはこちら
※分かりづらい場所にあります。地区の方に尋ねるかエコミュージアムルームにお問い合わせ下さい。
秋葉山エリア(大谷)
 ニ渡観音は応永2年(1395)に建てられた町内でも古い観音堂で。堂内の縁起書によれば「白田内記家の先祖が月山参りの途中、白髪の老人に逢い『私はニ渡りの神なり、郷里に帰りニ渡の社を建て信心すれば必ずや村を守るであろう』というお告げがあったので社を建て自ら別当となった。」とあります。徳川将軍より二石六斗のご朱印状を受け、格式ある神仏として崇拝されてきました。
『大谷郷』より抜粋
五百川三十三観音第16番札所(聖観世音)朝日町大谷1858
五百川三十三観音縁起
五百川三十三観音霊場一覧
アクセスマップはこちら
※大谷往来館や峯壇公民館のそばです。
秋葉山エリア(大谷)
 創建不詳。最上家親が寒河江城主であった慶長9年(1604)、堀(保利)内匠に与えた安堵状などからみて、400年以上も前と推測されています。最上家改易後、引き続き徳川将軍より二石九斗六升のご朱印状を受けています。
 江戸時代には180坪の境内をもち、本社、拝殿ともに10.5坪、稲荷社、鳥居などもあったという記録があります。現在は保利家の庭園内に記念の小祠が建てられてあります。
※『大谷郷』より抜粋
※個人宅につき見学不可。
秋葉山エリア(大谷)
 江戸時代の頃は、境内は990坪もあり、笹屋敷とか阿弥陀屋敷といわれていました。広大な境内には、本社、拝殿、鐘楼堂、鳥居が建ち、八幡領二十一石六斗四升のご朱印地を徳川将軍より安堵され、古くから格式ある八幡様として崇敬されてきました。明治に入り、神仏分離令により、八幡神社は別当である大谷家の門前に、阿弥陀如来は庭園内にとそれぞれ分離建立され現在に至っています。
※『大谷郷』より抜粋 
※写真は八幡神社
アクセスマップはこちら
※阿弥陀堂は屋敷内にあります。無断で入らないで下さい。
秋葉山エリア(大谷)
 あらゆる悩みや苦しみを身代わりし、どんな願いも叶えてくれるといわれ、昔から庶民の心のよりどころとして親しまれてきました。大谷にも主な街道の入口に六つの地蔵堂があったといわれ、村人の幸せや安全を守ってきました。愛宕地蔵尊・延命地蔵尊・鍛冶地蔵尊・永林寺延命地蔵尊・安産地蔵尊・えんこ淵地蔵尊(増水で流失)があります。(写真は鍛冶地蔵尊の万年堂)
※『大谷郷』より抜粋

アクセスマップはこちら
秋葉山エリア(大谷)