HOME > 創業者の記憶 ~吉田功~

10月7日 秋深し

都会地では、まだ夏日が時折現れるというのに、雪国の当地では
つるべ落としに、晩秋の面差しが1日、1日と深くなってゆく。もうすぐ暖房
の季節となる。ちょつと早いが、今年の降雪が少ないことを、祈りながら
過ごす日が、多くなっていく。




10月4日 長井商工会議所任期最後の常議員会

午後一時より、任期最後の常議員会開催。
会議所三役の決定が決定され、11月1日より、新三役の下組織運営が
始まる事に、なりました。様々な課題を抱えての船出でしょうが、議員全体の
協力のもと、又職員の協力も含めこれまでと又違った方向性で、平等な
会員のために、頑張っていくと思う体制で、一応納得して来ました。

9月30日 新設備導入

今朝は秋雨前線も、通り過ぎ久しぶりの秋晴れ。
社内に新しい設備(ウオータージェット)が導入され、新しい加工方向への
第一歩を模索することに、なりました。金属はおろか樹脂、ガラス、ゴム
あらゆる素材の形状を水力によって、加工できる機械です。地元では
まだ何所も導入してなく、弊社が初めてのようです。
幅広く、試作や開発品等お客様の要望に、広く対処できるようにと導入しました
よろしくお願いいたします。




9月28日 9月24日の河北新報に掲載されました


山形社会道しるべ探して
<道しるべ探して>産学官で一丸 自立呼ぶ


若手の作業を見守る吉田功さん(左)と重成さん=長井市の吉田製作所
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◎とうほく共創 第4部ものづくり(上)脱企業城下町

 日本経済を覆った「失われた20年」とは何だったのか。立ち込める黒雲の下で東北の製造業は、ただ立ち尽くすだけだったのだろうか。答えを求め、ものづくりの現場を訪ねた。
 半世紀続いた企業城下町は1995年、あっけなく陥落した。
 人口約3万の長井市を製造業のまちに押し上げた東芝系列蓄電器製造のマルコン電子だったが、生産拠点を海外にシフトしたライバル企業との価格競争に敗北。株式は同業他社に売却された。
 マルコン電子は最盛期の90年代前半、市の製造業で出荷額の4分の1(270億円)、従業員数の5分の1(1200人)を占めていた。
 東芝ブランドを失った製造品出荷額は、わずか数年で4割も減少した。しかし、依存することに慣れきったまちは、減少幅すらすぐには把握できなかった。
 市産業活力推進課長の横山照康さん(56)は「どれほどのショックがまちの中に及んでいるのか、皆目分からなかった」と振り返る。

 夢から覚めた後、横山さんたちは製造業の現状や課題の洗い出しを始める。
 意外にも地元には、基盤技術や先端技術がバランス良く集積していることが分かった。新幹線や高速道が通っていない利便性の悪さがかえって幸いし、町工場は外へと分散せずにとどまっていた。
 「地元企業と人材こそが長井の資源、という答えにたどり着いた」と横山さん。「依存」と「支え合い」は別物と気が付いた。
 企業城下町の没落と前後して、今度は山形県立長井工高の統廃合問題が起きる。地元製造業に人材を供給してきたが、いつの間にか定員割れと校舎の老朽化に直面していた。
 「地元に定着する人材を育てないと、長井は駄目になる」。立ち上がったのは吉田製作所の吉田功さん(75)たち町工場の経営者だった。
 高校存続運動の先頭に立ち、新校舎建設資金の調達に奔走。西置賜工業会を設立し、長井工高で技術指導を始めた。生徒の技能検定料や道具代も工業会が捻出した。

 20年がたっていた。
 省力化機械、自動機械の町工場が後ろ盾となって長井工高では今、競技用ロボットの研究開発に力を入れている。東北ではここだけという二足歩行ロボットの競技会が毎年開かれるまでになった。
 存続が決まった高校、それを支えた地元町工場と行政が三位一体となり「ロボットの長井」という都市戦略が出来上がった。
 吉田さんの長男で現社長の重成さん(42)は「小さくても全国に通用する技術を持つことが大事」と胸を張る。もたれかかるのではなく、自分の足で歩いて行く。


関連ページ:山形社会道しるべ探して

9月27日 9月最週に突入

台風や雨、曇り日の多かった9月の月も漸く過ぎ去ろうとしています。
今日も曇り小雨、稲刈りも刈ったり、休んだりで天気の具合で中々、進まないよう
です。収穫量は平年並みらしいが、水分の多い田んぼでの稲刈りは。
順調とは行かないようです。松茸の収穫も日照不足かいまいちの様子。
工場内は、新規設備の導入で、昨日よりてんやわんやの状況。稼動させるまで
後二日くらいは、かかる模様。月末に向けてもう一分張りの状況です。