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変な物

  • 変な物
どちらかと言えば似合わないので変だ

以前から考えて作ってみようと思った物を作ってみた


獅子頭の後頭部がストンと切取られている様な形に疑問を感じていた

幕を取り付ける為の機能的な形なのだろう

後頭部が丸い獅子頭など見た事が無かった




備前焼の獅子頭や狛犬などは首の部分に接続してタテガミで覆われている

成田、五十川の獅子の様に重りの役割になり口が開けやすくなるだろうが変だ・・

この半分位にしてはどうだろうか?

タテガミを植え幕を取り付けてみたい物である

幕の重みが加わり口が開けっ放しになってしまうのではないか?








何時もの冬の雪に閉ざされた環境になり、いろんな事を考えては作っている・・・
2016.01.21:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

マナコとタテガミ

  • マナコとタテガミ
制作中の白鷹町下山地区の獅子頭が今度出張との事で整えてみた

厚手の金紙を丸く切取り、赤い網膜の輪を貼り3㍉程の輪郭を置き黒い紙で瞳孔を作る

3㍉の間隔に金が現れてキラリと光るのだ




浅立、広野、小山沢の備前型(勝手に命名)の眼に共通している

素晴らしい先人の知恵だ

試作獅子のように鮎貝型のガラスの眼も考えたが、大きく口を開け歯打ちする衝撃を考慮して

描き眼を採用した

頬に毛のある獅子は白鷹には前例は無いが、獣感が増し鋭い牙を隠す効果が感じられる

獅子頭の色は赤に黒を入れた、茶というか赤黒だ

眉は漆黒、唇や口の中は鮮やかな朱で舌は濃い赤、牙や白眼は金箔となる

2016.01.19:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

棟札にその名前が・・

  • 棟札にその名前が・・
大工 高橋小平の名前が、成田八幡神社の棟札にあったという資料を提供戴いた

明和九年(1772年)8月29日の棟札の写しである

小平は成田八幡神社の建造に関わっていた

恐らく小平は宮大工で社殿の建築や梁などの彫刻を手掛けたのではないか

総宮神社の鬼面制作は天明二年(1782年)なので十年前の仕事である

鬼面の寄進者兼塗師である飯沢市之丞は婿入りし、後に平吹市之丞となり

文政(1804年~1817年)年間には五十川の肝煎を勤めていたので鬼面寄進の動機は察する事

が出来る

前回の話題に有った平山熊野の獅子頭制作は安永九年(1780年)である・・


総宮神社略史の「牛の涎」に安永年間(1772年~1780年)、に宮村の大工小兵衛に命じて獅

子頭を似せ造らせたり・・とあり、小平作の幻の獅子頭の記録が残っている

(尚、小平と小兵衛と紛らわしいが同人物と考えている)

総宮の獅子頭制作と平山熊野の獅子頭制作が同時期なのが分かり、大工として実に脂の乗り切

った時期なのであっただろう

だんだんぼやけていた小平や市之丞の姿が現れて来た

成田の獅子頭も、この頃の作と考えるのが自然ではなかろうか










2016.01.19:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

虎穴に入らずんば・・

  • 虎穴に入らずんば・・
こちらのブログ「棟札拝見」の最後の疑問を覚えているだろうか?

総宮略誌の鬼面の寄進の話である

総宮神社の木造鬼面の寄進者が成田村の飯沢市之丞とあり、大工は高橋小平

さらに塗師が飯沢市之丞・・・飯沢市之丞は平吹市之丞ではないかという推測だった



鬼面の眉毛はギザギザ眉毛で成田の獅子頭と共通している


もんもんと頭の中でその疑問が膨らみ本日、平吹市之丞の生家にお邪魔したのだった

本当は獅子なのだが、虎穴に入らずんば虎児を得ずとなる

虎穴は五十川地区の平吹良三氏宅である



膨らんだ疑問を尋ねると、その推測通りで

成田の農協十字路付近の飯沢又右衛門家から婿に入って、二代目平吹市之丞に襲名したとい

う話だった




総宮神社に鬼面を寄進は天明二年(1782年)

安永年間(1772年~1780年)に小兵衛に獅子頭を作らせたという記録が有る事から

獅子頭を制作した事と鬼面を寄進した時代が近いので時代考証はクリアーしているのだが

一方、安永年間に歴代獅子頭を制作した記録は総宮神社略史には無いのが不思議だ

寛文十一年以来、元治元年(1864年)に制作しているが年代が離れている


謎が一つ解決して、また謎が増えてしまった


・・推測も増えて来た

白鷹町の龍澤寺の見事な社殿彫刻を思い出してみよう

長谷部吉之助、菅原鹿蔵、新海惣松の三人の匠の共作である・・

瑞龍院では菅原鹿蔵・・同所西高玉稲荷神社では長谷部吉之助が獅子頭を制作

同時期作られた相方の獅子頭は菅原鹿蔵の可能性も出てくる



長年、成田八幡神社の最古の獅子頭は平吹市之丞が彫ったと考えられて来たのだが

彫刻は高橋小平で塗師は平吹市之丞が手掛けたのではないか

自論なのだが、平吹作の獅子頭は奥行き60cmと大きく重さは6kgちょっとで超軽量だ

内部を薄く薄く彫り込まれ軽量化に徹している

握り棒が四本、棒だけでも1kg を超え

ヤクの毛の重さもバカにならない250gはあろうか?漆の重さも300gほどだ

それらをさっ引くと、木地だけで4kgぐらいに減量しないと、その重さにならないはず

成田の獅子頭を作るには、かなりの経験と技術が必要である

飯沢家から婿入りする前から総宮神社に鬼面を寄進し塗師でもあった市之丞は、平吹家では

漆やお茶、ハッカの栽培、10町歩の耕地を拓き水路の開拓まで行っている

茶室を建設し茶道の造詣も深かったというマルチな人物だった

しかし農業や開拓をし塗師をしながら彫り師も兼務することは信じがたい

宮の高橋小平については、平山熊野神社の獅子頭を制作しているが調査はこれからだ

しかし数々の名品を残しているに違いないと考えている・・・




安永九年の作(1780年)


写真を探していたら獅子頭の裏の記名が出て来た

文字配列が微妙だが塗師が「成田  惣右衛門」?もしくは「成田」のみかも知れない


あぁまた謎が増えている・・・ 
2016.01.13:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

塗上がり(増量中)

  • 塗上がり(増量中)
漆塗りの工程が仕上がった

制作中の成田八幡神社の新しい獅子頭だ

生々しい漆の匂いがプンプン仕事部屋に漂う・・危険な香りでもある

硬化しているので漆負けは無いはずだが、幾度も慚愧している

これから毛植えをするのだが、毛穴の深さをドリルで調整する際が注意だ

漆の細かい屑が皮膚に触れると、あの痒い痒いがジワジワ襲ってくる

厳重に手袋をして行わないと感染だ




受け取って早速、耳の固定用の紐を取り付ける

これをやっておかないと尖った耳を、うっかり落として傷つけてしまう

これも何回か経験済みである


次は顎の開閉棒の横ズレを防止する栓を取り付ける

竹を削って軸の穴に差し込む

現在は打ち込んでカチッとしていても、乾燥すると緩んで顎が外れる時が多々あるので

獅子舞直前に確認しなくてはならない





金箔に透明な保護剤を塗布する・・・これもうっかり擦ったりして傷つけるのを防ぐ為だが

漆が完全に硬化するまで時間がかかるので保護剤でカバーするのだ


保護剤を採用する前、とある神社で新調した獅子頭を例祭にお披露目した際

原因不明の無数に細かい擦れたような傷が付き、金箔の工程をやり直した事がある

この神社では、獅子の制作に関して不思議な事件が多々発生しているので不思議だ


さて・・毛植え工程に入るのだが、この毛穴の多さに驚く

自分で開けのだろうから楽しく取り付けしよう

仕上がりが楽しみだ




ヤクのを毛穴の大きさに合わせ束ねる作業に入る

何と数えてみると150の穴を確認・・・前回制作の獅子頭は120ヶ所の毛穴だった

用意した三束のヤクの毛を使い切ってしまった


本日最終仕上げは延期となったが毛を取り付ける前の重量を量ってみた

・・・6.5kg

木地の最終重量が確か5.8kgだったので漆による増量は700g

700gは結構な重さである・・・この獅子頭は奥行き60cmで大型

減量は至難の業だった



成田の獅子頭についてまた面白い話を聞いた

口幕の取り付け穴を開けるため、獅子連中の頭と若い衆が獅子宿にご足労戴いた

その口幕に名前が有るのだという・・「もみ」だそうである

名前の由来は不明だが、この口幕に名前が有る神秘さに驚く

調べてみよう

(角力から、ちょっと指導が入りまして修正した箇所がございます)
2016.01.09:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]
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