獅子宿燻亭5・・引っ越し中

早くも獅子宿燻亭5が満腹になってしまいました!

大変恐縮ですが「獅子宿燻亭6」に宿替え致しますので、引き続き宜しくお願い致します。

2016.05.26:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

早速三枚下ろしに

  • 早速三枚下ろしに
獅子頭の木地を中津川の獅子彫り名人の話では、水に漬けて精を抜き乾燥させるというが

私流だと獅子頭用の伐った柳は、すぐに皮を削ぎ落とし芯から割って荒彫りするべきであると

考えている。

これから梅雨に入り切口や、養分タップリの皮の下の部分に菌や虫が入るので

屋外に置くのは過度の乾燥で割れを呼ぶ。

保管は適度に風が入るような人の出入りする屋内が最適だろう。



樹木を伐採する時は、地面から60cmぐらい上から伐るようなので、今とっかかっている

根っこの入手は貴重な部位による制作だと考えている。



しかし、傾斜に育った樹木は、その斜面ゆえの重力との戦いで力が掛かっている部分に

繊維を強化武装するようだ。


それが仇となり予想出来ない乾燥時の変形を呼ぶのではないか?・・。



因に総宮神社の獅子頭の飛び出した左目も、根元の材を用いた栃の変形と考えていたが

考えは変わった。意図的作為的に作られた、不動明王の天地眼だ。





さて、成田産の根っこなので早速、加工を開始した。

虎の模様の様に縦縞が入っている。




根元のこんな所まで、鉄砲(カミキリムシの幼虫の跡)が入っている。

こんな真っ暗いだろう穴で奴らは何を考え、硬い繊維に意図も簡単に穴を開けれるのだろうかと

関心する。


木に穴を開けて繁殖するフナムシを研究して、トンネルのシールド工法を開発したと聞くが

自然界の知恵は何億年もの研究の成果らしい。


だが今年は早くも、もう薮蚊が飛んで私を狙っているので・・・困る。



2016.05.25:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

成田で・・2

  • 成田で・・2
今日の晴れは湿気が多くて蒸し暑く、

昨日の丸太運びで筋肉痛気味のせいかダルい・・・。









昨日伐って割り運んだ柳の皮を、剥いてみたらスルスルだ。

季節に依って樹皮が簡単に剥けるタイミングがあると聞いたが、今なのだろうか ?

伐られても葉っぱが芽生えた部分もあり、柳の細胞は生きているようだ。




昨日丸太伐りした残りの柳を、軽トラに乗せる。

生木の柳は重たいので、地面から荷台までの高さが問題で筋肉痛の原因なのだ。




さてさて太い肝心の根っこに手こずる。

こんな時は伐採のブロにお願いするに限る・・五十川の渡部製材さんに依頼すると直ぐ到着。

ものの五分で残りの部分を伐ってしまった。

後からお聞きしたのだが、根っこの地面から2・30cmの部分には雨だれの跳ね返りで砂が

帯びていてチェーンソーの歯を鈍くするそうである。





懸案の大物も転がって地面からついに離れた。


軽トラの後ろ、荷台の下に木地を台替りにしておいて踏み台にして「えいこらしょ」と

乗っけるのだが・・半割にしても根っこは、かなりの重量なので

小川の橋に渡してあったアルミの渡しをお借りした。






なんとか伸し上げて荷台に詰め込む。

人力とはなんと非力であることか痛感す。


2016.05.24:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

成田で丸太さばき

  • 成田で丸太さばき
快晴に恵まれ21日の黒獅子まつり、長井小学校の小獅子舞も無事終了しホッとしている。

平成15年から始めたので獅子舞クラブは今年で13年になる。

紆余曲折あるが、毎年元気な獅子振りたちが表れては羽ばたいて行く、その繰り返しで

これで完了は無いのだ。


今年も会場に獅子舞クラブOBが元気に顔出ししてくれる。


さて今日はテレビの予報通り気温が上がり、最上川桜大橋の点滅する気温表示は30℃だっ

た。

5月は湿気が無いので、蒸し蒸しする事無く快適でありがたい。





午前中頃合いを見計り、柳の情報を戴き根回ししていた成田地区の安部さんちにお邪魔した。

午後から訳有って敷地の倒した柳の丸太伐り作業をさせて戴きたいとお願いしたのだ。

敷地でワラビ採り中の奥様に「まずお茶飲めー♪」と茶の間に誘われお邪魔す・・。

こちらのお母さんは、勧進代から成田にお嫁にこられ昭和7年元旦生まれだそうだ。

最初にお邪魔した時、長谷部吉之助のご子孫が成田に嫁入りしている情報をお聞きし

ていたので確認する。

すると西高玉の甥子さんがワラビ取りのお迎いにいらして、獅子談義が盛り上がった。

西高玉の獅子頭も作らせて戴いている。






さて午後から初夏を想わせるウララかな陽気の中、チェーンソーの爆音が鳴り響いた。

側には鯉の養殖池があり、成田駅が見える・・・今日は西山が遠く見えるし飯豊山は

霞んで見えない。昨日はもの凄くハッキリ近く見えたのだが。

田植えも進んで、田圃には水が張り東南アジアだ・・ビッキも暗くなると美声を一斉に奏でる。


こんな極楽の季節を、後何回部会う事が出来るだろうか?



5m程に伐られ倒れている柳の3分の1の所に腐れた切り株があった。

丁度良くそこが支点となって柳を支えていて幸運だった。

チェーンソーで伐っているうちに丸太の重みや重心が変化して60cmバーのチェーンソーが

挟まって抜けなくなる時がある。

チェーンソーの歯研ぎのバランスが悪いと真っ直ぐ着れず、カーブを描いたたりする。

切れないと木屑がチップ状から粉になり分かる。

丸太の内部に腐れや空洞があると木屑は黒くなり、がっかりするのだがしょうがない。

今回も上の枝に空洞があった。

最初に伐採する時も切り口の位置や重心によって割れが入ったりして価値を落として仕舞う事があ

る。今回も太い部分に残念な割れが見られた。

地面から100cm程根元の部分が残って、葉っぱが伸びている。

生命力のある柳は、伐られている事に気づかず葉を出して来るのだ。伐られても細胞は生きている。

その尊い命を獅子頭に刻むのである。

この柳の情報が無ければ、このまま朽ちて自然に帰るはずであるが幸か不幸か獅子頭に形を

変えてもらう。


運びやすい様に芯から縦引きに伐る。


瑞々しい獅子頭の白い柔肌が爽やかな外気に晒された。






2016.05.23:shishi5:コメント(1):[獅子彫り日誌]

石田三成のご子孫の話、追加

  • 石田三成のご子孫の話、追加
川西町中郡の堀金「證誠寺」にまつわる話を追加しよう。


慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで敗れた石田三成は41歳の生涯を閉じた。残された三成の

子供が直江兼続を頼って米沢に逃れ、證誠寺にかくまわれたと伝えられている。


その後、米沢に移り堀金姓を名乗りその後、子孫が石田姓を改名している。

ご住職から、現在の庫裏(くり 住職の住む住宅)の改造前の写真を拝見した。





慶長5年以来の建物だったかは不明だが、ご住職が子供の頃住んでいた建物で、隠し部屋や

逃避用の隠れ通路があったらしい。三成の子孫を匿うためだっただろうか?

ご住職幼少の頃、立ち入り禁止の開かずの間があり、こっそり入って激しく怒られたという

記憶を語ってくれた。

トップの写真は庫裏の解体中の際に出て来た、駕籠(かご)再現の写真である。


また、この寺は古くから旅の僧侶や修験の聖たちが立ち寄る寺院だった事もあったらしい。

その昔、各地の情報収集が容易だったのだろう。

四百年前の時代歴史ロマンが漂う寺院だった。

再び、ご住職のお話を聞きに訪れてみたい。




熊野神社のお札の版木
2016.05.18:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]
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