HOME > 獅子彫り日誌

秘めたる技術あり

  • 秘めたる技術あり
年末から年をまたいで制作している獅子頭もだいぶ仕上がって来た

昨日、舌を制作した



耳と舌は軽量化の為、桐を用いている

六キロ半だが、耳と舌が乾けば六キロだが、まだ減量途中だ





今回三本の軸の位置について発見した事がある

二本の握り棒と顎を開く為の軸の三本を取り付けた

二本の握り棒の位置は上に手のひらを向ける様に握り、手首のちょっと下に当る様に設定すると

獅子頭の顎を下げたまま口を容易に開ける工夫がされている

この工夫は成田八幡神社の初代の獅子頭に唯一見られ継承されている

獅子頭の後頭部の木口も後ろに大きく作られている

以前から何故この形なのか疑問だった

五十川の獅子頭も成田と同じ形で、現在も使用されている渡辺 亨(とおる)作の獅子頭は

僅かな力でスッと開口するのに驚く

軸棒は総宮神社系と同じ二本なのだが簡単に開く

今回の制作で軸を取り付ける際、開口軸の位置が可能な限り前に位置すると軸の後ろの部分の

重みが振り子になり開口を助長する作用があるだ




成田の古い獅子頭は文政時代に作られたとあるが、この様な意匠が既に工夫されていたとは

驚く・・このような秘めたる技術を後世にも残したいものだ
2016.01.08:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

浅立諏訪神社に初詣

  • 浅立諏訪神社に初詣
 元旦には雪がドンとあるので初詣も敬遠しがちであったが、今年は別である。

年始詣りの途中に、浅立の諏訪神社に初詣に訪れた。

着くなり、ごぉ~ん ごぉ~んと鐘を突く音が響いている。

皆で家内安全の願いを込めて突いてみた。


除夜の鐘ほど風情は無いものの、正月らしくて良いものである。

拝殿に大きな一対の獅子頭が奉納されている。説明の看板があり夫婦の獅子だそうだ。




こちらの神社には太々神楽の獅子舞があったという記録がある。

昨年秋に訪れ倉庫に見慣れぬ獅子頭があるのを発見し気になっている。

なんとか、その獅子頭を拝見出来るよう願い参拝するのであった。
2016.01.01:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

雪降る前にと(更に増量中)

  • 雪降る前にと(更に増量中)
一昨日、いよいよ強い冬型の天気図予報をみて根雪だなと

寝かして置いた柳の木地を引っ張り出して来た。

紙に側面図を描いて切り抜き型を作る


外に作業台を出して木取りを行う

そして、エンジンのチェーンソーで縦横、高さを整える


この作業は外で行わないと室内が暫く排ガス臭くなるのだ

木地の端はどうしても乾燥して割れが入る

その部分をなるべく除く

今回は奥行きを52cmに設定した

どちらを獅子頭の前にするか後ろにするかも、獅子頭の耐久性に影響する




どんどん進み形が仕上がって行く

試作の獅子頭を横に置いて採寸出来るので早い

先日、桐で作った耳を取り付けると形になって来た





明日は中刳り貫く作業に入る



さて・・今年も明日と明後日しかない

しかし、粛々と獅子彫りを執り行う

雪は降ったが雪掻きする量でもなくありがたい


3日目の今日は獅子頭木地の内部を刳り貫く作業だ

お隣のニャンコ連も次々と訪問しては、ご飯を補給して行く

ニャンコ食堂化しつつある

お代は愛嬌




意外と早く済んで、次の工程は顎を木取りして合わせる作業に入った






30日 なかなか時間がない



合わせだけで晦日の作業は終了








年明けの初仕事

荒彫りから細かい所まで手を入れた

中も更に刳り貫きを進めて8キロまで軽くしたので、持ち運びが楽である

表情は試作の獅子頭より、眉先を下げて眼を絞り、鼻の穴を広げ唇をめくらせて

憤怒の表情を強めた

今日は軸棒を取り付けてみよう・・




2015.12.28:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

軍楽隊

  • 軍楽隊
年の暮れご多忙のところ恐縮だが、

時間のある方はYouTubeで「天童市建勲神社神幸祭軍楽隊」を検索してみて戴きたい




現在は小学生が伝承している様だ


個人的には似ていると感じるのだが・・空耳だろうか?



どこか総宮系の獅子舞でお馴染みのお囃子のドンデンカ♪に聞こえてくるのは私だけ?



なんとこちらの神社は織田信長を祀る神社らしい

調べてみると幕末天童は織田信長の二男信雄直系が統治していたとか



YouTubeでいろいろ見てみると北は北海道、鳥取にもある

京都の時代祭りの維新勤皇隊や戊辰行進曲




上山八幡神社鼓笛隊、山形市漆山の調練(漆山稲荷神社例祭)とか

使われている楽器が面白い

篠笛と締め太鼓、西洋楽器の大太鼓とスネアドラムだったりする

幕末明治維新の和洋折衷


それと黒獅子舞の囃子が似ているとは如何なものか?



黒獅子の囃子はドンデンカとダダンコの二曲だが勧進代の総宮神社では獅子連中の出入りの際

別な笛の調べが奏でられる

獅子踊の一曲ではないかと推測しているが不明だ


またダダンコの太鼓は相撲の触太鼓と推測している

その太鼓に上手く笛で合奏している形で作られているので感心する

何時頃、誰が作ったものか全く不明なまま受け継がれている

これからも人から人へこの音が伝承される事だろう

総宮神社の獅子舞いの創始は社殿の創建と戦勝祝とを併せ、兵士に獅子を舞わせたのが

始まりとある

また総宮神社略史の牛の涎には獅子の舞の雅楽が始まりとある

結論は出そうも無いが、もう少し調べてみよう・・





2015.12.25:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]

文五郎の獅子頭

  • 文五郎の獅子頭
高山文五郎作とはっきりしている獅子頭は初めて見る

文五郎作と思われる獅子頭は置賜にも多数見られるのだが、まだ確証はない

河北町西里根際の三宝神社の獅子頭である

河北町は高山文五郎の出身地

正面からの荒いコピー写真だが貴重だ

鼻等はまさに寺社彫刻風の獅子の鼻である






髭が彫り込まれているが、川西町犬川龍蔵神社の一対の赤獅子や米沢市塩井の毘沙門天の

赤と黒の一対の獅子頭を彷彿させる

                         

・・・つづく
2015.12.23:shishi5:コメント(0):[獅子彫り日誌]
今日 8件
昨日 31件
合計 230,219件