虎穴に入らずんば・・

  • 虎穴に入らずんば・・
こちらのブログ「棟札拝見」の最後の疑問を覚えているだろうか?

総宮略誌の鬼面の寄進の話である

総宮神社の木造鬼面の寄進者が成田村の飯沢市之丞とあり、大工は高橋小平

さらに塗師が飯沢市之丞・・・飯沢市之丞は平吹市之丞ではないかという推測だった



鬼面の眉毛はギザギザ眉毛で成田の獅子頭と共通している


もんもんと頭の中でその疑問が膨らみ本日、平吹市之丞の生家にお邪魔したのだった

本当は獅子なのだが、虎穴に入らずんば虎児を得ずとなる

虎穴は五十川地区の平吹良三氏宅である



膨らんだ疑問を尋ねると、その推測通りで

成田の農協十字路付近の飯沢又右衛門家から婿に入って、二代目平吹市之丞に襲名したとい

う話だった




総宮神社に鬼面を寄進は天明二年(1782年)

安永年間(1772年~1780年)に小兵衛に獅子頭を作らせたという記録が有る事から

獅子頭を制作した事と鬼面を寄進した時代が近いので時代考証はクリアーしているのだが

一方、安永年間に歴代獅子頭を制作した記録は総宮神社略史には無いのが不思議だ

寛文十一年以来、元治元年(1864年)に制作しているが年代が離れている


謎が一つ解決して、また謎が増えてしまった


・・推測も増えて来た

白鷹町の龍澤寺の見事な社殿彫刻を思い出してみよう

長谷部吉之助、菅原鹿蔵、新海惣松の三人の匠の共作である・・

瑞龍院では菅原鹿蔵・・同所西高玉稲荷神社では長谷部吉之助が獅子頭を制作

同時期作られた相方の獅子頭は菅原鹿蔵の可能性も出てくる



長年、成田八幡神社の最古の獅子頭は平吹市之丞が彫ったと考えられて来たのだが

彫刻は高橋小平で塗師は平吹市之丞が手掛けたのではないか

自論なのだが、平吹作の獅子頭は奥行き60cmと大きく重さは6kgちょっとで超軽量だ

内部を薄く薄く彫り込まれ軽量化に徹している

握り棒が四本、棒だけでも1kg を超え

ヤクの毛の重さもバカにならない250gはあろうか?漆の重さも300gほどだ

それらをさっ引くと、木地だけで4kgぐらいに減量しないと、その重さにならないはず

成田の獅子頭を作るには、かなりの経験と技術が必要である

飯沢家から婿入りする前から総宮神社に鬼面を寄進し塗師でもあった市之丞は、平吹家では

漆やお茶、ハッカの栽培、10町歩の耕地を拓き水路の開拓まで行っている

茶室を建設し茶道の造詣も深かったというマルチな人物だった

しかし農業や開拓をし塗師をしながら彫り師も兼務することは信じがたい

宮の高橋小平については、平山熊野神社の獅子頭を制作しているが調査はこれからだ

しかし数々の名品を残しているに違いないと考えている・・・




安永九年の作(1780年)


写真を探していたら獅子頭の裏の記名が出て来た

文字配列が微妙だが塗師が「成田  惣右衛門」?もしくは「成田」のみかも知れない


あぁまた謎が増えている・・・ 
2016.01.13:shishi5:[獅子彫り日誌]

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