日本民俗論⑦ けん玉に秘められたH

  • 日本民俗論⑦ けん玉に秘められたH
 長井市が、競技用けん玉の生産日本一であることをご存知であろうか。知らないであろうなあ。まあよろしい。さて、けん玉を子供のオモチャだと思っているでしょうが、そうではないのである。
 日本にけん玉が紹介されたのは江戸時代といわれ、1830年に喜多村信節が著した『喜遊笑覧(きゆうしょうらん)』に「安永六七年の頃拳玉と云もの出來たり」とあるのが知られており、当初は酒席の遊びであったと考えられる。(一説には、長崎の出島で、ヨーロッパから来た外人が、遊女と遊びながら伝えたとも言われている。)
 本題に入ろうか。ケンとは剣ではなかろうか?玉に何故穴が開いているのか? 玉とは何か?。そして、けん玉の音を、「パッコン、パッコン」と表現するのである。日本けん玉協会の会長である金井会長の色紙には「けん玉の響きは、平和の響き」と起毛されている。全く、「パッコン、パッコン」は「平和の響き」に他ならないと思うのであるが、みなさんはいかがであろうか。なお、初代会長は、「タロジロは生きていた」で有名な藤原一生さんであるが、そのことについては次の機会に話してみたい。
 写真は長井の『山形工房』で制作されたけん玉で遊ぶケニアのご婦人である。そう、長井のけん玉で、世界が平和になるのだ!
2013.06.07:orada:[変な民族学5巻 日本民俗論]

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